25話。考察とお話
結局絨毯に落ちた成分は『浸透』の分しか摘出できず、残りは普通にエレンが掃除することになった。
うん。そりゃそうだよな。粉やジェルがそれぞれの成分の塊なんだから、それ以上抽出することはできないし、さらに絨毯に染み込んだ分は効能も何もないただの染みだし。
高級絨毯に着いた染みを必死で落とそうとしているエレンを手伝おうにも、俺が持つ染み抜きの技術なんざ、ワイシャツの染みができた部分の裏側に濡れタオルを当てながら、表面の部分を濡れタオルで一心不乱にポンポン叩く程度しか持っていないので、完全に足手まといになってしまう。
結局「邪魔するくらいならじっとしていたほうが良いだろう」と自分に言い聞かせた俺は、ベッドの上から四つん這いになって染みを落とそうとしているエレンを見やりつつ、先程使った『成分分析』と『成分摘出』についての考察をすることにした。
まず分析・摘出できるのは薬効に関係あるものだけで、それも曖昧なところがある。
と言うのも、水の中にはミネラルだのカルシウムだのなんだのと色々含まれているはずだが、それについては分析どころか認識ができなかったからだ。
いや、一応試験管の中に残った水が純水である可能性も無いわけではないが、よく見ると下の部分に何か沈殿しているので、それもなさそうだ。
これらの事情から簡単に予想すると、この『摘出』は俺が『分析』で理解できたモノを抽出できるのではないだろうか? と推察できる。
聞けば【聖女】や【賢者】も魔法に対する適性は極めて高いが、最初から特殊な魔法を習得しているわけではなく、学習して習得することで初めて魔法を覚えるらしい。
つまり、俺の薬学に対する知識が増せば増すほど一つの薬品から得られる情報は増えるだろうし、情報が増えれば『摘出』できる成分も増えるということだ。
あとは『摘出』した際に倦怠感を覚えたことから、おそらくスキルの使用には魔力も必要とするんじゃないかな? あとは必要レベルとかもあるかもしれん。
仮説に仮説を重ねているが、結局のところは数をこなしていくことで解決する問題だろう。と言うか数をこなさないとデータが少なすぎるから仮説にもならん。
……これだと今の段階で高価な薬を使っても無意味。それどころか薬を無駄にすることになるから、暫くは品質が劣化した薬を回してもらうとしよう。
取り敢えずの方針を決めた俺は、中々染みが落ちなくて涙目になっているエレンに声を掛けることにした。
「あ~エレン。とりあえずソレは諦めて別の話をしよう」
「あ、諦めるって!」
そんな簡単に言うなぁ! と言わんばかりに声を張り上げるエレン。確かに侯爵の持ち物である高級絨毯を汚したら焦るのはわかるぞ?
しかし俺は「無理なものは無理なんだから、さっさとその労力を別に使うべきだ」と思うタイプの人間だし、絨毯って元々汚れるものだろ?
侯爵だってこれに目くじら立てるような狭量ではないだろうから、心配するだけ無駄だと思うんだ。
いや、流石に意図的に汚すような真似をしたら駄目だろうし、叱るのが当然だとも思うけどな。
絨毯を汚すことになった不幸な事故はともかくとして。
「とりあえず侯爵へは俺から謝罪するから心配はするな。あと、お前と妹を教育することができる侍女を借りる予定だから、その人に染み抜きの技術について聞いてみようと思う」
侯爵家の侍女なら、もしかしたら『スゴイ・シミヌキのジツ』とか言って新品同様にできるスキルとか習得してそうだしな。
「な、なるほど。そういうおつもりでしたか。それなら……」
多少は冷静になったのか、エレンは四つん這い状態から立ち上がり、俺が座るベッドに腰掛けた。
うむうむ。汚すことに慣れてしまって、汚れを見ても平然と無視するようになったら駄目だろうけど、焦り過ぎも良くないからな。
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エレンが神城の心の声を聞いたら『誰のせいだ!』と言いたくなるようなことを考えながら、神城は自分の隣に座ったエレンの頭を撫でると、少しのあいだ黙って撫でられていたエレンが徐に口を開いた。
「それで、別のお話とは?」
エレンも神城に撫でられるのは嫌いではないが、今の自分たちは引っ越してきたばかりでやることが多い。
その中でも急務の一つであった神城のスキルの確認も終わったようなので、次は何をするのか? と聞いたエレンであったが、神城が彼女に提供した話題は、己のことではなくエレンに関することであった。
「そうだな。今も少し言ったが、この屋敷の管理についてだ」
「管理……あぁ、私と妹を教育できる方を雇うということでしたね?」
「そうだ。最初に言ったように、エレンが女官の筆頭であることは変わらない。しかし、エレンはまだ若いし、侍女としてはまだまだ未熟なんだろ?」
彼女たちは接待要員として王城に召し上げられた存在なので、優先されたのは侍女としての能力ではなく、若さと見目麗しさだ。そのため、当然ながら侍女としての技能は高いとは言えない。
「それは、そうですね」
正面からはっきりと『お前は未熟だよな?』などと言われてしまえば、エレンも強がることはできない。実際に彼女の実家に居る使用人と比べても、侍女としての完成度はかけ離れていると言っても良いのだから。
それが侯爵家に長年仕える侍女となれば、いったいどれほどのモノだろうか?
自分の未熟を責めるエレンに対して神城は努めて優しく語り掛ける。
「エレンは若いんだから未熟なのは当然だ。だからこそしっかりと学んでほしいと思う」
「……はい」
神城のそんな言葉を受けて、エレンは神城が自分に対して未熟を責めているのではなく『女官の筆頭とかそういう拘りを捨てて、しっかり学んでほしい』と思っているのだ。ということを理解する。
そうと理解すれば話は早い。エレンとしても、神城に仕えると決めた以上、彼の判断に否は無いし、妹の事を考えてもこの話はプラスにはなってもマイナスにはならないので、尚更反対する理由は無かった。
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エレンの目に光が戻ったことを見て取った俺は、次に考えていたことを提案する前に、あることを確認するために質問をすることにした。
「それと、エレンの実家のことなんだが」
「……なんでしょう?」
俺の言葉を聞いたエレンは、思わぬことを聞かれた。と言うような顔をするが、使用人の実家のことを聞くのはこの時代そんなに意外なことでもないと思うんだがなぁ。何かあるのか?
「正確には男爵家の当主である兄のことについてだな」
「兄の?」
不安そうな顔をするが、あれか? もしかしたら実家の悪評のせいで俺から解雇されると思っているのか?
「そうだ。不躾な質問になるが、エレンの兄は再婚はしてるのか?」
「え? 再婚ですか?」
完全に予想外だったか。まあ俺が気にすることじゃないって言えばそうだからなぁ。しかし、
「そんなにおかしな質問か? 子爵家の次女だった元兄嫁と離縁した以上、再婚は必要だろ? それともそいつは後継ぎとか産んでたのか?」
「い、いえ。二人の間に子供はおりませんでした。だからこそ離縁できたと言いますか」
あぁなるほど。子供が居た場合親権とか揉めるだろうし、場合によっては向こうの家に御家を乗っ取られたりするからな。この辺も後で調べる必要があるが、今はコッチを優先だな。
「なら猶更再婚は必要だろ?」
世継ぎが居なければ御家取り潰しの可能性があるだろうし、場合によってはエレンや妹の子に継がせるというのもあるが、それは兄としても面白くはないだろう。
「はい。それはそうです。ですが……」
「元兄嫁の実家の影響で、碌な相手が居ないんだろ?」
「……そうです」
うむ。予想通りだ。何せ向こうは子爵家だし、元兄嫁の行動も見ようによっては旦那を出世させるために頑張っただけとも言えなくもないからな。
ただし、分際を弁えていなかったのは事実だから、無関係な貴族や心ある貴族連中からは距離を置かれるだろう。しかし自分の友人や知り合いには悲劇のヒロインぶっていれば積極的な味方にはならんかもしれんが、敵視されることもないはず。
そうなれば娘の親である子爵としても、娘の行動に非があることを認めるような真似はしないだろうから、結局エレンの兄と父親が悪者にされるわけだ。
そして子爵に目の敵にされている落ち目の男爵家に娘をやるような親は居ない。一時期は借金もあったんだから猶更だよな。
そんな状況だからこそ、狙い目でもある。
「できるかどうかは確認が必要だが、侯爵から傘下の貴族の娘さんを紹介できないかどうか聞いてみようと思うが、どうだ?」
「え? な、なんで?」
なんでそこまでってか? 変に勘繰られる前に説明をしておこう。
「エレンも理解していると思うが、現時点で俺の立場はとても絶妙なバランスの上に立っている」
「は、はい」
異世界から召喚された勇者の一味にして、王家公認で侯爵の客人となり、貴族の立場を与えられた人間だからな。叩けば埃が出るどころじゃねぇよ。
「そんな感じだから、俺や、俺に関わる人間には厳重なチェックが必要になる。今回俺がエレンをあっさりと引き抜けたのは、お前が元々そういう役割を与えられていたからだ」
当然身元のチェックなども行われていたからこそ、王家も侯爵も認めたんだよな。
「そうですね。……あぁ、そういうことですか」
気付いたか? さすがに王城に召し上げられるだけあって、見た目だけじゃなく頭の回転も速いんだよな。本当に良い拾い物をしたと思うが、褒めるのは後だ。
「そうだ。では俺に関する情報を得ようとする人間は誰から得ようとすると思う?」
「私ですね。そのために兄や妹を利用される場合もあります」
「その通り」
そうなんだよな。俺の存在を知る人間は少ないが、エレンのことを知っている人間は少なくない。そしてエレンは俺と一緒に侯爵家の所有する邸宅に居るから狙えない。ここまで考えれば、俺がエレンの家族に気を使う理由も分かるだろう?
「だからまず自衛ができないであろう妹を保護する。で、男爵家の当主である兄には、侯爵家との関係者と婚姻関係を結んでもらうことで、その穴を塞ぎたいと思っている」
つまり妹を雇い入れるのも、兄に結婚相手を斡旋するのも、あくまで俺の都合。
「幻滅したか?」
「いいえ。……惚れ直しました」
「ん? おっと」
~~
後ろのほうを小声で言いながら、エレンは神城に抱き着いた。
エレンにとって、と言うか貴族にとって結婚に打算があるのは当然だ。妹を保護してもらえるのもそうだし、実家に家を継ぐべき嫡子が居ないので、兄が再婚する必要があるのも事実。さらにその結婚によって侯爵家とわずかでも伝手ができるというなら、エレンに反対する理由が無い。
後は兄が誰かと恋仲にある場合だが、それはそれで自分が神城の情報を回さなければ良いだけなので祝福すれば良いだけだ。
このように、自分たちが抱えていた問題を全部解決してくれる神城に対して、失望や幻滅することなど有り得ない。
エレンは己の幸運を神に感謝し、神城を決して逃がさぬように強く抱きしめるのであった。
現時点では情報が少ないので考察と言うほどのものでもありませんけどね。
職業やスキルについては徐々に出て来そうです。
情報は知る人が増えれば拡散されますので、現時点で目立つつもりの無い神城君は出来るだけ自分の情報を隠す為に動きますってお話
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