15話。メイドさんの事情
さ、流石に六時は無理でした……
神城付きのメイドさんことエレンの実家は、王都に居を構える由緒正しき男爵家である。
ただしこの場合の由緒正しさとは『これと言って特徴がなく、とり潰す理由が無かったが為に生き延びてきた家』と言い換えることができるかもしれない。
家の歴史は長いものの、その職責は単なる文官の家系であるが故に毎月の給金以外の収入は無く、寄り親と呼べるような存在も無い。分かりやすく言えば一山いくらの木っ端法衣貴族であった。
そうは言っても、領地持ちの男爵家のように天候不順やら魔物からの襲撃やらで予定していた収入を得られず、借金に追われるような貴族と比べれば、王都で安定した生活が送れるだけ十分にマシだ。これまでの歴代当主はそう思って暮らしてきたし、エレンの両親や家族もそう思っていた。
実際、普通に暮らし、普通に生活をする分には問題がなかったのだ。しかしそんな浮きも沈みもしない、ある意味で平和な生活もある日を境に終わってしまう。
それは数年前、エレンの兄が子爵家の次女を嫁にしたことから始まった。
兄は嫡男であったので、畢竟兄嫁は次期男爵の妻となる。そのことで何かを勘違いしたのか、兄嫁は大貴族の妻が主催するサロンに参加したり、周囲に賄賂をばら蒔いて兄の立場を強化しようとした。
今考えれば、あれは兄のためではなく、男爵夫人となった自分の虚栄心を満たすための行いだったのだろう。
当たり前の話だが、木っ端男爵が用意できる金ごときでは王都で出世などできるはずもなく、兄は特に出世もしないままであり、ばら蒔きを止められなくなった兄嫁は貧乏な貴族に集られるだけの存在になってしまっていた。
そんなことになれば、当然家計は破綻する。
この段になってようやくと言うべきか、兄嫁の口癖であった『子爵家の力があれば、旦那様は必ず出世しますわ!』という言葉に乗せられていた両親や兄も現実に気付き、これ以上の浪費を控えるように伝えたのだが……兄嫁は頑として譲らずにばら蒔きを続け、数ヵ月後には勝手に借金までしていたことが判明する。
両親にしてみたら「なんとか嫡男を出世させてやりたい」と考えたうえで兄嫁の行動を黙認していたのだろうが、そんな思いは借金取りには関係ない。
結局向こうの実家に話をつけて兄嫁を離縁させることに成功したものの、借金は残っており、父と兄はその返済のために金策に走り回ることになってしまう。
家にあった物はほぼ売り払い、父と兄の稼ぎのほとんどを返済に充ててもなんとか利子を返せる程度。まともにドレスも買えないような生活が数年続いたとき、とうとう父が過労と心労で倒れてしまった。そして満足に動けぬ父に代わって兄が家を継ぐことになるも、働き手が減ったせいでさらに収入が減ってしまう。
そんな悪循環の中、エレンと彼女の妹はなんとか家計を助けることができないかを考えていた。
普通ならエレンが金持ちの高位貴族の妾となれば良い。
幸いと言うべきか、彼女は器量も良く勉学もできたので、それなりに価値は高いと言っても良かったからだ。
……これはある意味では身売りのようなものだが、貧乏な貴族ではよくあることだし、男爵家の夫人でしかなかった元兄嫁ができる程度の借金ならば、それでなんとか返済できる可能性があるのも確かだった。
これも家のため。
そう思って自分を高く買ってくれる相手を探したエレンであったが、現実は厳しかった。まずエレンの家には、高位の貴族との伝手が無かった。また離縁された兄嫁が被害者面をしてサロンで騒いだせいで、エレンの家は向こうの子爵家共々上流貴族に敬遠されてしまったのだ。
残っていたのは、兄嫁に集っていた貧乏貴族か『貴族の娘を妾にできる』と考え、涎を垂らしながら足元を見てくる商人たち。
「虫酸が走る」
男爵家の娘として育てられ、家のためになる相手と結婚することを覚悟していたエレンだが、それでも一人の少女としての思いがあった。
しかし母も兄も、もはや限界に近い。それを悟ったエレンは自分に一番の高値をつけた商人の愛人になることを承諾しようとしていた。
そこに転機が訪れる。彼女の下に王城からの使者が来たのだ。
その使者が言うには、近いうちに異世界から若者を召喚する。その世話役になる気はないか? というものであった。エレンは一も二もなくその提案に頷いた。
見たことも無い男の娼婦になれと言われたにもかかわらず、エレンが何故その提案に頷いたかと言えば、それが王家からの依頼であったからだ。
この依頼を受けることで国から金は支払われるし、王家からの依頼に即決することは、家の名誉回復にもなると考えたのだ。
商人の愛人になるのも、異世界から来た人間の愛人になるのも大差はない。ならばせめて貴族として、王命に、自分の家のために殉じたかった。その決断は、彼女なりの貴族としての誇りでもあったのだ。
そんなこんなで王城で侍女としての教育を受けていたある日、予定通りに異世界から勇者一行が召喚された。
その数は男女合わせて31人。
王家は最初に彼らの職業や人間性、力関係などを調べ、最優先事項である【勇者】ら4人には下手に異性を付けることをせずに、勇者の案内役として王女を、他の三人の付き人として高位の貴族の子女を付けた。
常識で考えれば高位貴族の子女を案内役にするのはおかしい。だが、彼女らの父は、下手に勇者と距離を詰めて彼に懸想しているであろう【聖女】や【賢者】や【剣聖】から敵視されるよりも、彼女らの友人となり、自然な形で【勇者】に近付いたり、友人としての立場を利用して、異世界から来た勇者一行を己の家のために使おうと考えていたのだ。
その過程で【勇者】から子種を貰い、優秀な子供が生まれたら分家を任せて、己の家系に【勇者】の血を入れることができれば最良。彼らにはこういった狙いがあった。
以上のことから、今回召喚された中で有望な職業を持つ召喚者の下には有力な貴族の子女が付けられており、そうでない者にはそれなりの家の者が付けられることになっている。
エレンが神城の言った「それなりの家の娘さん」という言葉に反応したのはそういった事情があった。
彼女の気持ちを言語化するなら「貴方もそれなりでしかないじゃないですか」と言ったところだろうか。
実際【薬師】は戦闘職ではなく、生産職としても微妙な職業である。王家に言わせれば『わざわざ異世界から呼ぶまでもないな』といった感じの評価であり、エレンと同じような立場の侍女たちも、わざわざ彼の側付きとなるために競争をしようとは思わなかった。
だがエレンは違った。確かに【薬師】は微妙な職業だろう。だがその需要から、決して食いっぱぐれることが無い職業でもある。
元兄嫁が作った借金はほぼ無くなったものの、今も満足な貯蓄があるわけではないという実家の事情を考えれば、目立ちやすいがいつ死ぬかも知れない戦闘職や、教会の影響を受ける回復魔法師よりも、安全かつ安定した収入を得られる【薬師】のほうが都合が良かったのだ。
そのような打算もあり、彼女は進んで彼の側仕えになることを決めていたというのに、当の神城は「自分に仕えないか?」などと訳の分からないことを言い出す始末。
(さっさと抱いて終わらせれば良いじゃない!)
金も立場も無い男に仕える気が無いエレンは内心でそう考えていたのだが、神城の言葉を聞いて、その考えを多少改めることになる。
「まぁ話を聞いて損はないと思うよ? 少なくとも、私が君に提案するのは、どこの馬の骨とも知らない男の娼婦になって王家から多少の施しを貰うよりはよっぽど良い提案だと確信している」
「……わかりました。どちらにせよ私には貴方様を無視するという選択肢はございません。その提案をお聞かせ願えますか?」
この言葉は正確ではない。
彼女を含め、彼らに付けられた侍女たちはそれなりとは言え正真正銘の貴族の家の娘である。そのため王家は最低限の配慮として、どうしても無理な場合は性交渉を断ることもできるとし、場合によっては「無理やり襲われた!」と言って相手を脅迫して傀儡にするという方針を取ることもできるような準備も整えていたのだ。
なのでエレンもその気になれば神城の前から立ち去ることもできた。それをしなかったのは、自分でも「現状を抜け出せるなら抜け出したい」という思いがあったからだ。
それに何より、話を聞くだけならタダである。またあまりにも自信満々な態度を取る神城の提案が本当に自分のためになるならそれで良いし、彼が話す提案の内容によっては、監督役に報告して褒美を貰うこともできるかもしれない。
彼女は自身と家族のためならば、どんなことでもする覚悟ができていた。
日本の公家とかもそうですが貧乏な貴族はどんな時代のどんな国にも居るようですね。
法衣貴族なんて沢山居ますし、功績の立てようが無いから出世もしません。土地が無いから特産品がどうとかも出来ませんからねぇ。
可能性があるとすれば、娘が嫁いだ先のコネとか、嫁に来た人のコネなんですが……元々詰まりに詰まっている文官社会では中々ねぇ。ってお話。
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せ、千ポイントを超えた? 異世界ハイファン2位? さらに1位の方は普通にその十倍だと?!
ハイファン、恐るべし……。
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