2.異世界に転生するとは聞いてない
ここはウルーフと呼ばれる地方。
緑あふれる自然豊かな土地であり日々ウルーフに住む住民は自分の畑を耕したりして一生懸命働いている。その土地を治める貴族はおよそ半世紀前の争乱にて功績を収めたことで准男爵になった、アリスター・ウルーフ卿である。
父から受け継いだ剣の才能と技術で貴族界でも剣の腕の凄さは知れ渡っている。彼は元が剣を握るだけの平民である為、領地の民にも分け隔てなく接し貴族であるにも関わらず領民と畑で桑を奮っている。
領内に盗賊が出て来た際はすぐに現場へ駆けつけ単騎で盗賊を一網打尽に、被害を最小限に抑えたことによる強さへの信頼も民が彼を慕う一つの要因であろう。
彼は貴族きっての愛妻家としても知られており社交界でも彼の治める領地でもその凄さが確認されている。人目も憚らずにいちゃいちゃ……独身の貴族男性には恨めしげな目で見られている。平民とはいえ相手が大変見目麗しい事も拍車をかけている。
ーーーさて、そんなアリスター・ウルーフ准男爵であるが、半年前に第一子に続いて新たな赤子を産んだという。名をリヒト・ウルーフと名付けられ、大切に可愛がられていると言われている……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ウルーフ地方、準男爵家にて。
パンパンパン!
「ほらっ! リヒト、パパの胸の中においで!」
普通の家のリビングを少し大きくしたような場所、そこで体のガッチリとした、精悍な顔つきの一人の成人男性が前屈みになりながら立っていた。
彼こそがこの家の家主であり、アリスター・ウルーフ準男爵本人である。
彼は顔に満面の笑みを浮かべながら手を叩き、おいでと繰り返している。そんな彼の視線の先には頭の毛の生え始めたばかりの小さな小さな赤ん坊が。
その赤子は手を叩くアリスター卿に向かって小さい手足をぱたぱたと必死に動かしながらハイハイをしようとしている。
「頑張れリヒト、もう少しだ!」
まだ腕に全く筋肉がない為ハイハイをしようにもできないのだが、それでも赤子はジタバタと動きながらゆっくりとアリスター卿に近づいていき、ついに彼の広げる腕へと到着する事ができた。
「おお〜リヒトぉぉぉ! お前はなんて賢いんだ! まだ生後六ヶ月も経ってないのにハイハイをしようとするなんて!」
アリスター卿は頑張った我が子を抱き上げ優しく頬擦りする。赤子の柔さを分かっているためにグリグリと顔を押し付けるようなことはしない。
スリスリと顔を擦り付けてくる父親に赤子は少し微妙な顔をしながらも決して嫌がるようなことはしない。
長い間頬擦りをしていたアリスター卿だったが、扉がノックされ一人の女性が入って来た事でやっとやめることになった。
「貴方? そろそろ業務に戻らないと終わりませんよ?」
「ああ……そうだったな」
その女性はアリスター卿の妻であるカミラである。
「コリンは眠っちゃったわ。多分しばらくは起きないと思う」
「そうか……カミラはリヒトの相手をしていてくれないか? 私もコリンの寝顔を見たら仕事を始めよう」
コリンはウルーフ家の第一子、長男でありちょうど二歳になったばかりだ。彼は現在別室にてお昼寝中である。
抱き上げられていたリヒトはカミラに手渡され、温かな腕に包まれている。カミラは細い指でリヒトの頬を優しくつついている。
「貴方は私がいないとまともに政務ができないでしょう? 私も手伝います」
「それはありがたいが……リヒトを一人にしておくのはマズくないか?」
「心配しすぎですよ。リヒトは大人しくて滅多に泣きませんし、先ほど自分で賢い賢い言ってたじゃないですか」
「うっ……確かにそうだが……」
「子供の世話も良いですけど、公務もしっかりやってくださいよ? 貴方はもう貴族なんだから」
妻に言いくるめられ沈んだ様子のアリスター卿。彼に呆れながらも微笑を浮かべるカミラ。「困ったパパですね〜」とリヒトをあやしている。
ゆらゆらと眠くなるように揺らしながらそっとベビーベッドに下ろした。
「パパは仕事をしなくちゃいけなくってね。残念だがまた後でな」
「おやすみなさい、リヒト」
アリスター夫妻はリヒトの眼がとろーんとして来たのを見るとベビーベッドのある部屋から出て行った。
「あぅぅ……」
行ったかな……? もう足音は聞こえないけど。
なんだかここ最近眠るフリばっかり上手になった気がする……
あ、どうも。僕です。ハードラックとダンスっちまった結果、浅田◯央選手顔負けのトリプルアクセルをキメて死んでしまった僕です。
天国に行って永年隠居暮らしをするか、生まれ変わって新しい人生を送るかで後者を選んで転生したわけなんですけど、第二の人生が始まって半年程たったんですけど驚くべきことが沢山ありました。
ここ日本……というより地球じゃない。やっぱりこれが一番驚きましたね。
神様が転生すると言っただけでどこに行くか聞かなかったのは僕だけど……まさか別世界にくるとは思わなかった。
カミラ……母さんから産まれてアリスター卿という男の人が自分の父親だってことはすぐに分かった。母さんは綺麗な茶髪でまだ日本人の面影はある。超絶美女という設定がつくけど。それに比べて父さんは完全な金髪……しかも外人顔。こちらもイケメン俳優として十分売れるほどの顔立ちをしている。
最初はイケメンパパと美女ママの間に産まれたハーフかなぁと思ってたんだけど……産まれて一週間経ち意識がはっきりして来た頃には違和感を、一ヶ月経った時には確信した。“ここは異世界なんだな”と。
『仕事に行ってくる』と言ってでかい剣持って家を出る父親を見たり、料理で使うであろう火を掌から出してる母親を毎日見てれば嫌でも理解せざるを得ないってものだよ。
生まれ変わった時に記憶が綺麗さっぱり消えていれば違和感を抱く事もなく、新しい自我を形成して行ったんだろうけど……なんの手違いか記憶も元の自我もはっきり残ってる。ものすごく鮮明に、だ。体は赤ちゃん、頭脳は大人、どこの歩く死神君だろうか。
自分とほとんど変わらない年齢の男に顔をスリスリされたり美女の胸に顔を埋められたりされるとか、色々とキツすぎる。後半はご褒美かもしれないけど。だけど二人は僕の両親であるためなのか、思ったより嫌だとは思わない。
前世の記憶と自我があるせいでまだ二人が親だとはあまり実感できてない。だけどアリスターという名前の父さんは僕に頬擦りする為に毎日髭を綺麗に剃ったりしてるのを僕は知ってます。父さんのそういうところ、グーですよ!
アリスター父さんもそうだけど、もちろんカミラ母さんも僕の事を可愛い可愛い子供だと思って大切にしてくれている。産まれて半年も経てばそれは確信を持って言える。
だったら時間がかかるとしても、二人の立派な子供になれるように頑張ろうと思うのだ。
「ぅぅ……」
まだハイハイも出来ないし言葉を喋ることだって出来ない。
今の自分はただの赤ちゃんだ。意識がはっきりしていても体の本能には逆らえないようだ。徹夜なんて比じゃない睡魔が襲いかかってくる。
「……zzz」
これからのことを考えようと思うのだが、その意思は睡魔に簡単に潰されてしまうのだった。