1. ねじれた別れ話
この小説は、文の頭が五十音順になっています。そこも含めてお楽しみください。
熱いコーヒーが運ばれてくる。
いい香りが鼻腔を優しく刺激して、その香りだけを嗅いでいれたらどんなに幸せだろうと思う。
海野ユウは、ひと口だけカップに唇を付けた。演技の一環として、相手に平静を印象付けるために。
「お別れね、わたしたち」
「考え直すことはできないのか?」
きっと無理だろうという予感はあったが、僕はここで彼女を呼び止めないわけにはいかなかった。
「口だけなら何だって言えるわ」
「けれど、君は重大な勘違いをしているんだ。このままにしておくことはできないだろう」
最初からこうして尋問されることはわかっていた。
白いカップと黒いコーヒー。すべてがその二色だけで完結している。世界がこのコーヒーと同じくらいにシンプルなら、こんなねじれも起きなかっただろう。
「そう、勘違い」
退屈そうに、彼女はそう言った。
「致命的な勘違いだ。つまり、僕はあの夜、誰にも会ってはいなかったんだ」
「テキトー言わないでよ」
唐突に、彼女の声が低いものに変化する。
なんといってもそれは、彼女が本格的に怒るときの癖のひとつだった。
憎々しげな表情を浮かべて、僕は全身で睨まれる。盗人にでもなった気分だった。
「ねぇ、テキトーに言っているんじゃないんだ」
「能書きはいいから、それならぜんぶ説明してよ」
花の匂いがする香水を、彼女は首筋に吹き付けているようだった。ひどくコーヒーの香りの合わない、残念な匂いを漂わせている。
「二日前の夜、君が目撃したのは僕じゃない」
「変なことを言うのね。本当にそんな言い訳が通じると思っているんだとしたら、やっぱりあなたとは別れることになるわ」
まぁ、彼女がそう思うのも無理はない。みんな僕の吐いたくだらない嘘だと考えているんだろう。
「難しいことを言うつもりはないよ。目にしたのは、僕の双子の弟だろう。もう二週間も前から僕の家に半居候状態なんだ」
やはり彼女は、僕の懇切丁寧な説明を信じていないようだったし、端から信じる気もないようだった。
「ユウの顔を、わたしが見間違えると思ってるの?」
「よく見なきゃ、いや、よく見ても僕と弟の見分けはつかないよ」
ライラックの香りをさせた彼女は、とても鋭い表情で僕を殺すように細部まで入念に眺めた。両方の耳の形、まつ毛の長さ、頬の赤み、鎖骨あたりのホクロに至るまでを観察した。
ルーセルの『蜘蛛の饗宴』が、店内BGMとして流されている。
「恋愛関係の継続というのは、もはやしょうがないから諦めることにするとして、最後に君に尋ねたいことがあるんだけれど」
露悪的に、僕は口角を吊り上げてみせた。
「わたしは、本当に海野ユウだろうか?」