010 家族
家に入るとキッチンから良い匂いが漂って来た。私はキッチンに入り、その匂いの元を製作中の人物に帰宅の挨拶をした。
彼女の名前はユーリ・マークス。父の妹だ。既に人妻で勿論私からすると叔母さんになるが、やはり「おばさん」というと怒るので、ユーリさんと呼ぶのが習わしだ。
彼女は早く亡くなった母に代わり、父や私の面倒を何くれと見てくれている。勿論今やっているのは夕飯の支度だ。彼女の旦那でもあるバリィ叔父さんは、ミナモト錬金工房の経理を見てくれているし、彼女自身も事務仕事を手伝ってくれたりしている。それもあってこうして平日の夕ご飯は彼女の手料理を一緒に食べる事がほとんどだ。「手間は一緒だから」というのが彼女の口癖だ。彼らは私たちにとっては家族なのだ。
「ユーリさん、すいません。直ぐ手伝いますね。」
夕食の支度は、通常私も手伝っているのだが、今日は例の一件で出遅れた。
「良いのよ。学校の用事があったのでしょ。まずは着替えてらっしゃい。」
まるで親子の会話だが、叔母夫婦には子供がいない事もあってか、私の事を実の子供の様にかわいがってくれている。母を早く亡くした私に取って有難い話だ。私が軍の道に進むと聞いたら悲しむかもしれない。それを考えると正直心が痛む。
私は彼女の言葉に甘えて自室に戻ると、部屋着に着替えた。デニムのジーンズに生成りのシャツというラフな格好だが、一般庶民の格好なんて大体こんなものだ。
私は、忘れない様に、明日の目覚ましをセットする。
(私は優秀、私は優秀・・)と校長に言われた言葉を心の中で唱えながら、いつも通り丁寧に、魔術刻印にアクセスし目覚ましをセットする。気のせいかいつもより素早く完了できた様な気がする。心の持ちようって大事ね。
私は、目覚ましを定置であるタロスケの足元に置いて、部屋を出た。
キッチンに向かう前に私は洗面所に向かった。
手を洗うのを忘れていたと気付いたのだ。蛇口をひねって流れ出す水を見ていると例の魔術適性の例え話を思い出してしまった(ちなみに水道の蛇口の仕組みは、魔術とは関係ない)。
手を洗った後、顔もじゃぶじゃぶ洗い、鏡に映った自分を見る。
水も滴るいい女・・。じゃない。どう見ても軍人になれる様な勇ましい容貌ではない。ただのどこにでもいる美少女だ。
はてさてどうしたものだろうか。
本当は父に頼み込んでそのコネクションを使って、最後のあがきをしようと考えていたのだが、アル兄さまが裏で糸を引いていると判った今、それも難しいだろう。というか多分今頃全力で父を説得しているに違いない。
とりあえず、まとまらない考えを中断してタオルで顔と手を拭いた私は、キッチンに向かいいつもの自分のエプロンを素早く身に着けた。私の入室に気付いたユーリさんからすかさずアイコンタクトで指令が飛んできた(笑)
私はその無言の指示に従い、テーブルに皿を並べていく、私が並べた皿にユーリさんが食事を盛り付けていく。十年を超えるコンビネーションだ。流石に慣れたものである。
今日のメインはひき肉団子の薄焼きソテーの様だ。おいしそう。
いつも思うのだが、ユーリさんの料理の腕は一流だ。その気になれば店でも出せるのではないかと思ってしまう。
ユーリさんから準備が出来たので、皆を呼んで来る様に言われて、父と叔父さんを呼びに行くと、アル兄さまはもう既にいない。
ご飯時だけは、男どもの集合も早い。ここで愚図ると飯抜きを言い渡されるからだ。何だかんだで家の権力はユーリさんが握っているのだ。
ご飯が終わり、デザートが出される段階になって、父が口を開いた。
「アルバートに聞いたぞ。騎士課程に推薦されたそうだな。」
さすがに父は迂遠な会話などしない。ストレートに聞いて来た。
「騎士課程じゃないわ。来年から新しく出来る魔術騎士課程というそうよ。」
私は、心配そうな表情をしているユーリさんを横目に見ながらそう答えた。
「アスカちゃん騎士課程に希望を出していたの?」
ユーリさんがそんな事を言いだした。まさか希望も出さない課程に推薦されるなど考えてもいないのだろう。まぁこれが普通の感覚だ。
「国は今一人でも多くの魔術騎士を求めている。そのリクルートの網にアスカ君が引っかかったという事だろう。」
バリィ叔父さんはさすがにその辺の事情は察した様だ。
父は不機嫌を隔そうとせずにむっつりした表情をしている。
「お前はどうしたい?魔術騎士と言えば、貴族だが、同時に軍人だ。命のやり取りをするのがその仕事だ。しかも高等科卒の軍人となれば立派な職業軍人だ。他人に言われてなる職業じゃない。」
父が言いたい事は理解できる。徴兵でなる軍人と、高等学科を卒業し士官としてなる軍人は、根本的に違うのだ。経緯はどうあれ、本人が選んで戦地に向かうのだ。覚悟のない人間が行くべきではない。
「高等科に進みたいからって、無理に軍人になる必要は無いぞ。国家錬金術師だけが錬金術師じゃない。親父(お祖父ちゃん)もただの錬金術師だったが、皆に尊敬される職人だった。重要なのは結局自分が何になりたいかだ。」
やっぱり父はすごい。私の覚悟のなさをずばり言い当てているのだ。私はもちろん軍人になりたい訳ではないが、そうかといってそれ程錬金術師になりたいかというと、胸を張って言い切れる程の覚悟は持っていない。
厳しいなぁ。
これが大人になるという事なのかなぁ。