9 異世界生涯学習
彼女は三反崎、現代日本から来た一般市民だ。
異世界日本に来て数日、カルチャーショックも慣れてきた。しかし
簿記、○○史の類、は分かります。聞いたことなくても想像はつきます。
でもこれ本当に小学生がやる試験ですか?法律とかありますけど、高等すぎませんか?!
あと……
「翻訳補助語って何ですか?」
マジで何?
「ええ!?」
「翻訳補助語が~無い!?」
猫本さんと鈴木さんに走る衝撃。
「意外と翻訳補助語が無いパラレルワールドって多いみたいですよ。
私もそれで三反崎さんが異世界から来たのを確認しましたから」
一人冷静な音山さん。
「じゃあさ~、外国語の勉強とかどうするの?」
勉強は勉強するしかないのでは?
「こっちとは大きく歴史が変わってるの?」
歴史に大きくかかわるようなもんなの鈴木さん?!
「そういう世界もあるみたいです」
そうなの!?音山さん。
「まぁ、この世界の日本も幕末まで翻訳補助語が無かったから驚くほどでもないんですかね…?」
「なくても問題ないのかな~、翻訳補助語での意思疎通が不完全なのは大昔から分かってたけど~便利なんだけどな~」
「実際史実では軍隊の指揮で行き違いとか外交の文章で行き違いとかで何度も大問題になってますからね。誤訳とトラブルの温床です。
個人間のやりとりではある程度有効でも、大きく世界を動かすのは難しいかもしれません。
不明瞭な情報をもとに大きな決断をするのは危険ですから」
私、三反崎。ごく普通の現代日本で暮らしていたけど、ある日突然パラレルワールドの日本に紛れ込んじゃって保護された一般市民。
みんなで盛り上がってる所悪いけど翻訳補助語って……何?
「これです」
と、音山さんが出してくれたのは
最初にくれた『捜査へのご協力のお願い』、の後に見せてくれた謎のふにゃふにゃした記号が入っている方の同じ文面の文章。
そういえば私がこの文章の記号にコメントした時に異世界人って言い切ってたね。
『捜査への३ご協力の२お願い०१』
「……」
日本語だけなら読めるのに相変わらず分かんねーー!!暗号でしょコレ!!!
「あの、いきなり難しい文を読めなくてもいいんですよ」
頭を抱えていたら猫本さんが助言をくれる。あ、難しい類の文章なんですかコレ。
「やっぱりさ~実際に検定受けてもらった方がいいんじゃない?」
いや何言ってんの鈴木さん。私、今どんな試験も受かる気しないんだけど…。
「ええ、ある程度体系化されてますから私達が不用意に教えるよりいいはずです」
「まだ国民IDが発行されていませんので試験に合格しても成績には残りませんが、一度みてみた方がいいと思います」
待って、鬱傾向の人に難しい問題解かせようとしないで、脳みそ働いてないの、最近は正直一桁の足し算でもたまに怪しいの。
と、いうわけで検定を受けられるようになった。検定試験用車両が入院車両にくっついたぞ。
元々はインフルエンザとかで入院して、健康は戻ったけど感染症の隔離日数が経っていない、という子が遅れを取り戻すために使うような部屋、もとい車両らしい。
自動運転車、本当に何でもあるね。
トイレと給水器付。飲みもの、カンニングペーパー等持ち込み可。この連結車の4人の共用、同時に5人まで入室可能。
やだよーう、何か何だかんだ言ってこっちの世界の人達揃いも揃って性格良くて優秀だもん、恥かきたくないよー。
「三反崎さん絶対に国家知識検定のこと勘違いしてるってば~、そんなとんでもないものじゃないよ~、小学生も受けるんだよ?試しに簿記の検定の初段受けてみなよ」
そうかなぁと思いつつ鈴木さんの助言に従って最初の検定は簿記。
他の検定は検定名から内容がほとんど分からなくて敬遠したともいう。
簿記の最初の問題が始まったら、黒丸が三色ダンゴみたいに3つ表示されるんですよ、怖いな~、何聞かれるのかな~って思ってたら
『丸は 何個 ありますか?』
…………算数かーーーい!!
まぁそんな感じの問題を延々解くことになりました。何か脳トレしてるみたいな感覚になってきたぞ。調子に乗ってミスると精神的にきつい程度に算数だこれ。小学一年生とかが解くやつだ。なぜこれが簿記??
これ以降の簿記は段が増えるごとに、加減乗除の一桁、ニ桁、三桁の計算問題。小数点や分数を使えるか、買い物の内容を記した文章から商品の値段を計算ができるか、指定された条件から到着予定時刻や商品を梱包するのに必要な箱の数など目的のものの概算ができるか、等々。
といった基本的な算数が終わったらようやく複式簿記の検定っぽい内容になるらしいんだけど……何故……何故、検定名が簿記?算数じゃダメだった?
「何に使える知識なのか分かりやすい方がいいと思った」とは当時の検定作った偉い人の弁。今も批判されているらしい。
ちなみに三角形の公式とかが出てくる問題は数学史だそうです。
しかし学校のカリキュラムだってちょこちょこ変わるのに細分化に失敗して段と段の間に新しい段をつくる時困らないかって?
既に154の2の5と3分の1段っていう謎の段位があったりするし、低難易度と高難易度で同じ問題が出たりする。見切り発車感満載のグダグダだよ。国家知識検定。
でも今から再整理して段位を動かすと旧版での合格者と新版の合格者での対照とかが大変だから動かせないんだってさ、一応合格年月日も記載されてるからいつの版の試験で合格したか分かるようになってるらしいけど、グッダグダだよ国家知識検定。
教育崩壊の危機に際して突貫工事だったとはいえ割とドジっこで安心じゃないけど安心したよ異世界日本……ちょっと前までは管理社会すぎて、正直、ディストピアっぽいイメージあったよ。
「近い分野をまとめた段、つまり『これがクリアできてればここからここまでの段の内容は多分大丈夫』みたいな、内容を総合した段があるのね。
それをいきなり受ける事もできるよ。検定結果が虫食いになっちゃうけど普通にやる」
まあ、とっくに義務教育が修了してる外国の人とかは小学生の算数とか全部解くの億劫だろうしね。
そういった仕組みなので義務教育課程でも就活に必要な段だけちゃっちゃと受ける強者も居るらしい。
さて、問題の暗号もとい翻訳補助語。
強いて言うなら漢文のレ点とかそういうやつに似ていた。訓点ていうやつ。
要は文中に記号を置いて読みやすくしようというものだ。
ただし翻訳補助語は複数言語に対応してきたのと、一般人が日常的に利用しながら進化したためか正確性や作法より使いやすさが重視されている。
ルールは一つだけ、伝わらなかった事は表現を変えたりして相手にわかるように工夫する事。
過去に、世界的に作法をきっちり整えようとした試みがあったんだけど、逆に特定の言語の人が読みにくくなったりといったトラブルが多発してやめたらしい。その人の使っている母語によって、伝わりやすい記号の使い方が違ったりするのだ。
使い方の例としては、例えば『१』は主語、主題、名詞など。
『२』は१が行う動作や१の状態などを示している。
馬が१走る२
となる。文章の役割を説明する意味がつけられていて、文中に補足として書かれるのだ。
つまり१、२、३、४、५、६、७、८、९、०、という10の記号を使って文中の役割を分類して読みやすくする。
10の記号の役割を理解し、単語を知っていれば、ある程度ではあるけれど他言語の文章の読解ができるようになっている。という仕組み。
「これ、一度に覚えようとしないでくださいね。
使いながらの方が覚えやすいですよ」
と、猫本さんに注意されつつ一覧表ドン。
१: 主語、主題、名詞など
२: 述語、動作、動詞、状態など
३: 形容詞、動作のターゲット、状態など
४: 方法、経緯、経路、道具、原因、実行者、理由など
५: 時、場所、条件、量、同伴者、目的など
६:程度、挨拶、諺、慣用句など言語に特有の表現など
७:文の句切り、接続詞など
८:前の単語を修飾
९:後ろの文を修飾
०:簡単な区切り、話題をまとめて一つの意味にする
各記号の役割は被ってる所も多く、意味の幅も広い、あくまでも参考程度。
この10の記号、実はインドで発明されたデーヴァナーガリー数字という数字なのだ。
元々6~8世紀頃?に数字としてインドで発明され、アラビアを経由してヨーロッパに渡るうちに少数言語話者や遊牧民などが、多数派の定住民と意思疎通を図るための手段の一つとして使うようになった。
数字がアラビア数字と呼ばれる形に変化する一方で、翻訳補助に使われたデーヴァナーガリー数字は形を保ったまま数字とは別の意味が生まれた。
話し言葉では、横で手で記号を形作る事によって、書き文字と同じように意思疎通を補助したと言われる。
「ジェスチャーの手の形がね~、元の記号に似せて作られたから、こっちは数字の記号みたいに大きく変化していかなかったと考えられているんだ」
なるほど。
15世紀頃までに徐々に数字とともに別の意味を持ってヨーロッパ方面に拡散。15世紀の活版印刷と合わさって世界中で利用されるようになった。というのがこっちの世界の歴史らしい。
ちなみに翻訳補助記号としてアラビア数字やタイ数字、漢数字の他。手書きの文章では独自の記号を使用する場合もあったらしい。
最近では翻訳補助語は一部の読字障害を克服するのに一定の効果があるという研究結果もあり、翻訳ソフトが高性能化してもしばらくは必要とされる、といわれている。
どういう風に使うかというと。
例えば
私は१写真を३撮った२
I१ took२ pictures३.
१:主語、主題、名詞など
२:動作、動詞、状態
३:動作のターゲットなど、いわゆる補語や目的語、あと割と普遍的な状態を意味する事もあるけど、२との使い分けは適当。
と、こんな感じ。
私は१このカメラで४その写真を३撮った२
I१ took२ the picture३ with this camera४.
४:方法、経緯、道具、原因、理由、実行者など
まだある。
私は१昨日५このカメラで४その写真を३撮った२
I१ took२ the picture३ with this camera४ yesterday५.
५:時、場所、条件、量、同伴者、目的など
基本はこの5つで大丈夫らしいけど、細かい事も言い出すといろいろ面倒くさいみたい。
६:程度、挨拶、諺、慣用句など言語に特有の表現など
७:文の句切り、接続詞など
८:前の単語を修飾
९:後ろの文を修飾
०:前述、もしくは後述の話題をまとめて一つの意味にする
I१ felt२ ३० it१ is difficlut२ ३० to move२ the car३.
私は१७その車を३動かす२のは०३難しい२と०३感じた२
こんな感じでちょっと長い文はあっさりと複雑化するし、それぞれの言語の特徴が違うので対訳を並べても記号が完全に一致しない事も多い。
じゃあ何に使うの?っていうと、ネイティブや翻訳者が記号を振って、他言語話者が辞書を引き引き元の文の意味を推測する。という事が想定されている。
「う~ん……分かりづらい……」
「記号の意味を直感的に感じられないと難しいですからね、手遊び歌みたいなのもいくつかあります」
あなたに३あげる२
これを३あげる२
私は१あなたに५これを३あげる२
私は१あなたと४これを३あげる२
音山さんが教材を出してくれた。
何度か再生した感じで、とりあえず同じ単語でも文中の役割によって記号が変わるという事は実感として認識できた。
ジェスチャーは以下の通り。
१: 人差し指だけたてて曲げる、日本で言うスリの仕草に近い
२: 親指と四本の指で丸を作り、その丸を潰すように4本の指と親指をピンと伸ばす、そして小指を上げる
३: २の形、つまり親指と四本の指で丸を作り、その丸を潰すように指を伸ばした状態で小指と薬指を持ち上げる
४: 親指、中指、薬指で輪を作り、人差し指と小指を上げる。
५: 手をピシッと伸ばして指先を下に向け手の甲を相手に見せる感じ
६:手の平を相手に見せて下に向け、手をピシッと伸ばし、親指を中指の付け根に当てる感じ
७:薬指、小指を曲げて平仮名の『し』みたいな形を作る、ドイツの『3』のジェスチャーに近い
८:親指とその他の指で८の字を作る感じ
९:親指とその他の指でCの字を作って親指だけ開く感じ
०:グーで手のひら側を見せる感じ
文化によってはジェスチャーに不穏な意味があったりする時は別の形になってることもあるけど、だいたいこの形で通じるらしい。
これ全部覚えるの……?しんどいなぁ……
使い分けに関する教材では
頭が赤い९魚を३食べる२猫०१
魚の頭が赤い
頭が赤い६魚を३食べる२猫०१
猫の頭が赤い
頭が१赤い魚を३食べる२猫०१
猫の頭が赤い魚を食べる
頭が१७赤い魚を३食べる२猫०३
赤い魚を食べる猫頭
頭が१赤い३७魚を३食べる२猫०३
魚を食べる赤い猫頭
……間違い探しかな?
いきなり記号と文章を見比べつつ読むにはしんどい文章なんですが……。
『しかし、こうした使い分けは実は微々たる問題です。人によって使い方が微妙に違うため、この使い方に沿えば必ずしも正解とは言えません』
無慈悲な教材の音声。出さないで、そんなもん。
ルールは一つ。色々言いかえて意思の疎通を図るように努力する事。
例えば「車を動かすのは難しいと、私は思います」
「車を३動かす२のは०३ 難しい२と०३ 私は१思います२」
英語と翻訳補助記号を読めても、ある程度日本語を知らないと全く分からないだろう。翻訳補助語はけして万能ではない。
だからこそルールは一つ。伝わらなかった事は表現を変えたりして相手にわかるように工夫する事。
この場合は多少自分が表現したい内容と齟齬が出ても「私は१その車を३動かせません२ 」ぐらいまで情報を絞ったりする事もある。
これ、英語だから分かる人居るだろうし、もうちょっとしっかり英語勉強すればいいのにって思えるかもしれないけど、全然知らない言語の人と会話する時とかだと翻訳の手掛かりは多い方が良い。という話。
未知の言語でいきなり「dajakajioeakjiumakleieeinjoawanje」とか書かれても
daja५ kajioeakjiu२ maklei३ eeinjoawanje५
彼५ 渡す 望む२ 手紙३ 明日५とか、単語並べてくれたら助かるという話。
『彼』が主語じゃないから『彼に』手紙を渡したい可能性が強そうって読み取れるわけだ。
「まぁ、言語によっては『彼から』५で彼を主語にする使い方をする可能性もあるけどね~」
え?結局この文、何が正解だったの?
『捜査への३ご協力の२お願い०१』をものすごく複雑に解釈すると。
|(あなたが१)捜査に३協力(してくれるように)२|(私が१)お願い|(する२)|(文章)०१。ぐらいの意味かなぁ?
「ややこしいなぁ……」
「何かも~感覚でいいんだって」
「はい、さっきは赤い魚を食べる猫の例ででてましたけど、普段はそんな厳密に考えて使ったりしませんからね。
そもそも個々人によって表記が変わる以上、どんな表現も厳密とは言えません」
「正解はありませんが不正解もないんですよ。安心して使ってください」
「最初は自分で書いた文章に記号を振ってくと良いよ~」
……勉強すればするほど翻訳補助語、適当過ぎない?学問として存在していいのコレ?
国家知識検定に話を戻すと、必須科目で驚いたのが法律。授業に法律があるよ。結構最初の方に労働基準法とか刑法とかえげつないのあるけど、これ何!?
「え~、だって義務教育終わったらすぐ働らかないといけない人も居るのにさ~、それ分かんないとヤバいじゃん、アルバイトで詐欺られたりとか嫌じゃん。
あと子供同士でふざけすぎて知らずに傷害罪や窃盗罪みたいな犯罪起こすし、絶対早目に教えた方がいいって~子供は危なっかしいんだって」
…………そうっすね……。元の世界を思い出して少し遠い目になる。
しかしそこまでして自己防衛に務めるということはやはりこの世界にもとんでもないブラック企業やヒャッハーなモヒカンみたいな人が大勢いるのだろうか……気を引き締めないと
「やっぱり就活は厳しいの?」
「就活……ああ、就職活動ね~、何やりたいの?それによる」
「いや、特に決まってないけど……私が出来る事あんまりないから……」
「あら、基幹産業のどれかに勤めて糊口を凌ぎつつ、欲しい資格を探しながら国知の段位を上げていくのが普通ですよ、今から焦らなくてもいいんです」
猫本さんありがとう、でもまたサラッと知らない単語増やされた……国知はさっきから話題になってる国家知識検定でいいと思うから……えーと質問すべきは
「基幹産業って何ですか?」