6 異世界医療保険制度
「でも……じゃあ医療費は……どうなっているんでしょう……」
心配する彼女の名前は三反崎。社会不安の大きい現代日本から何故か異世界に飛ばされてしまった一般市民だ。
現在、異世界の未知の感染症予防のために病院にお世話になっている。
このパラレル世界の日本は医療費に介護保険料までぶっこんじゃっている制度らしい。
医療保険制度が破綻間近ならこんなとこで健康なパラレルワールドの人間にタダ飯食わせてる場合じゃないぞ。
「医療費はね~、定期健診と基礎医学知識検定の余りから出てるし、足りないと国庫から出るんだ」
……はい?鈴木さんが説明してくれたけど何一つわからない。
また聞いたことない単語出てきたぞ……基礎医学検定……とは??
「はい、現行の医療福祉制度についてご説明しますね」
ここは専門家の猫本さんが説明を引き継いでくれた。
「まず、毎月1回、一泊二日、病院にて定期健診を受けていただきます。
前回医療機関を受診してから30日以降、最大50日以内とされています。」
「これに払う費用はね~、だいたい七千円から」
月一の出費、高!
いや、病院にかかると思えばそこまででもないのか?
内容はお医者さんとの面接、健康相談などから始まる。
身長、体重、体温、脈拍、血圧などのチェックと栄養管理指導などがある。
お医者さん、歯科医師さん、按摩師さんなどによる全身の視診、触診、マッサージ。目鼻耳の掃除や歯の歯石、着色とり。
血液検査で糖尿病、高脂血症から感染症、悪性腫瘍など含めて検査してくれる。
基本的に予約不要、飛び込みアリでこのお値段。
月一健診っていうけどマッサージとかあるし、それ実質エステじゃん?と思ったらネイルケアや理容師さんによるシャンプーまである、別料金でカットもある。
「それとね~、この健診を受けてるとそのあと50日間医療費の自己負担が4割減になる」
それってつまり健診受けないと4割自己負担でしょ。
この世界の日本政府、まさかの労働者に強引に休暇取らせる暴挙。
「正直、形だけの適当な検査に休暇を使うっていうのも……何か非効率な感じ……二日もかかるし……」
要はこの国、月一で二日間仕事休んで七千円払ってエステに通え、と強制される。
そんな休みとれるなら寝てたい。
「いえ、医師が間違いなく誠心誠意チェックして、気になる所は気にしすぎなほど注意してくれますよ。
必要なら精密検査を勧められることもあります。
AIに検査データを入力して二重チェックで診断しています」
猫本さんの説明によると、患者さんが健診から30日以内に医療機関を受診した場合、その患者さんのカルテがチェックされて健診時に受診につながる疾患の見落としが無かったか、注意喚起を怠らなかったかを確認される。
過失があればその過失に応じて診察したお医者さんが患者さんの医療負担の一部を担う。
つまり、疾患を見逃すとお医者さんが損する可能性が高くなる仕組みだ。
それ、お医者さんしんどくない?
「はい、そのため規定の検査で分からないような疾患では過失は問われませんし、検査結果の内容では診断できないような場合であれば過失は認められません」
例えば、健診後に起きた事故による怪我、潜伏期間が短い感染症などでの受診、検査で見つからないレベルの癌などでは医師の過失にならない。
「また、自覚症状などがあっても患者さんが伝えていなければ医師の責任にはなりません」
「何か、言った言わないでトラブルになりそうなんですけど……」
「病院側はカルテと一緒にプライバシーレベル3で記録を残してるからね~、普通は大丈夫だよ」
何が大丈夫か全くわからないけど大丈夫なの?
「でも……仕事が忙しくて健診が受けられなかったら……?」
月一で二日連続仕事休むの、絶対ハードル高いって!
「最終受診日から50日超過によって行方不明事件として保健所から警察に通報がありますので、即座に捜査が行われます。
50日間も仕事で抜けられないというような事態であれば即座に発覚して企業が監督責任を問われるでしょう。場合によっては責任者が強要罪や監禁罪などで逮捕されますので絶対に行ってください」
音山さんが引き締まった顔で注意する。
どうやらこっちの世界はブラック企業が生存できない環境の様だ。
この制度下で職場を維持するために企業が人員の余裕をかなり広くとるようになり、雇用が促され、休暇が取りやすくなったのは確からしい。
そりゃ職場の全員が毎月1回二日連続の休みを請求するというのにグダグダ処理してたらパンクする。
それでお巡りさんに踏み込まれるとなったらもう人を増やすしかないだろう。
ちなみに制度の導入当初、人員を増やさずに病院検査日みたいなのを設けて強制でガチガチに休みを振り分けた企業もあったらしい。
そんなに人件費だけは払うの嫌か?
しかし、ただでさえパンク寸前の現場に引継ぎする余裕はなかったため、飛び込みの重要案件や緊急事態に対応できなかったりして損害を出すのを頻発した挙句にお巡りさんに踏み込まれて早々に潰れたそうなのでザマァ。
「でも……精神的にしんどいとかで外に出れない事もありますよね?」
私だよ。
「はい、そうした精神的、社会的な困窮、職場の人間関係の悩み等も含めて早めに見つけるための検査なので、相談していただいていいんですよ。
そこから専門家に紹介する事も行っています」
う~ん、早期発見早期治療ガチ勢、といった趣だ。管理社会すぎてディストピア感まである。人間、そういうときはお医者さんにだって会いたくないんだけどな!もっと人の心を大事にして!
と言いたいところだけど『とりあえず叱咤激励する』とかじゃなくて適切な対応してくれるなら病院かかった方が良いのかもしれない。
「……その仕組み、病院は足りるんですか?」
だってすごい単純に計算しても仮に1億人が50日に一回来院とすると毎日全国で常に二百万人が病院に居る計算だぞ。毎日だぞ??
お医者さん達ががんばって一人で患者さん10人見るとしても全国で常時二十万人お医者さんが働いてる必要があるんだぞ。毎日だぞ。
それに加えて日常の診療もするとか……お医者さんが何人いるか知らないけど、どう考えてもパンクする。
「はい、この制度のために過去とは比べ物にならないくらい病床数と医療従事者数を増やしました。
高齢者医療と連動して比較的過不足なく病床が埋まってますね。
自動運転車を病室にすることで病床数を調整しやすくなったのも制度の維持に重要だったと思います。
また、定期健診であればベースで一泊する事も可能です」
いつでも出てくるな、この世界の自動運転車チート。
「それでもね~、集中治療室しか空いてなくて定期健診で思いがけない高度な設備の病室に入院しちゃったっていう人もSNSとかで見るよ」
……シーズンオフで空いてるホテルが通常料金でスイートルームに泊めてくれちゃうサービス思い出した。
「ええ、次にですね基礎医学知識検定を受けて頂きます」
一段落してから急に猫本さんの説明に現れる謎単語。
「基礎医学知識検定?」
「はい、怪我や病気に関わる基礎知識です」
ほけんたいいく?
「ええ……具体例を述べますと
薬物動態……いわゆるお薬がどのように体に作用しているとされているのか。
糖尿病や鬱病などの発症メカニズム」
え?暗号?
「各種臓器の位置や形、特徴、働き。
各種感染症、インフルエンザや麻疹、風疹などの症状、後遺症、予防法、治療法など。
つまり、どういう考えのもとで検査や治療を行っているのか、病院にかかる時に知っていていただきたい事を100問あまり。必須問題も入れつつ、ある程度無作為に出題されます」
猫本さんが日本語喋ってるのに内容が全く分からなかった。
え?何?何言ってるのか全然分からなかったけど、つまり健診中に医学のテスト受けるって事でいいの?
「これにかかる費用がね~約三千円」
「アーカイブ中の大量の問題の中から100問ランダムに出題されます。
間違えた問題はチェックされていて、次回からは理解が不十分な箇所をやや重視しつつ広く問題を出題してきます」
「カンニングあり、リトライOK、過去一か月間で一番いい成績をチョイスOKでこのお値段」
「カンニングありなの!?」
「時間制限あるからカンニング頼りでいい成績なんてとれないよ~、病院にかかったときお医者さんの言ってる事がある程度理解できそうなら検索しようが教科書見ようがこまけぇ事はいいんだよ~って感じ」
いろいろ聞いてみると、どうもeラーニングとCBTの中間みたいな感じの様だ。
こういうのは通信検定とか呼ばれてるらしい。
「導入当初はコンピュータが人間を採点するのはけしからんという意見もあったんですが」
と、音山さん。
確かにそこだけ聞くとディストピアの気配を感じるけど、説明を聞く限りでは単語カードの間違えたやつをより分けてシャッフルして……っていう作業が全自動になっただけですよね。
「この問題の正答率でね~、その後50日の医療負担額が変わるんだ~。全問正解なら4割減」
シビアな…。成績が悪い人は医療費がやばい。インチキ療法を信じちゃったら色んな意味で普通の治療を受けられそうにない。
そしてこの国サラッと月一万円、年十二万円を医療費で持ってったな。
鈴木さんが値段を言う時に、だいたい、とか、約、とか言ってる所を見ると、これ多分所得とかで値段変わるぽい。元の世界はそうだったし。
「そのテストってやっぱり血液の成分の基準値とかいちいち調べて答えるとかそういうやつですか?」
「はい、異常な数値を見てすぐ気付けるのは大事ですが、むしろ血液の成分が一定以上に多くなったり少なくなったりしたとき何が起こるかとか、そういう知識の方が大事ですね。
医療従事者は基準値とかそういうのも全部覚えてないとだめですけどね」
「あと、本人ではなく、成績優秀だった人が付き添って一緒にお医者さんの説明を聞くなら成績の良い方の負担額と同じにしてもらえたりしますよ。
つまり、親御さんがお医者さんから説明を受けてお子さんに教えるとか、信頼のできる人に一緒にお医者さんの話を聞いてもらって、改めて理解の深い方から患者さんに説明してもらうという事を想定しています」
「ただし説明へたくそだったり患者さんが説明者の言うこと聞かなかったりしたら患者さんの自己負担になったりするけどね~」
世のお父さんお母さんは大変そうだ……。
そして訂正、成績が悪くて人付き合いも悪い人は医療費がやばい。私、大丈夫かなぁ……。
ちなみに彼女は知る由もないが、制度上、子供と高齢者の医療負担額は少なくなるようになっている。
「はい、次は運動量と食事量の記録を提出していただきます」
食事量は食べたものを写真に撮るだけ。
運動量は自身の動きと連動させて日時を記録する、万歩計の様な専用媒体などがある。
「運動量に関しては肉体労働の人も居るからね~。
スポーツジムの年会費は高いけど、ベースには基本的にシャワーは付いててもお風呂はないから、お風呂入りたくてジム会員になる人多いんだよね~。
そのついでにちょっと運動っていう人も多いよ」
それでも運動は苦手だなぁ……。
「はい、政府もジムには健康増進、スポーツ文化振興のために補助金出してますからね。
食事量、運動量は提出するだけでデータ量に応じて最大1割減です」
猫本さんの言い方だと運動も食事制限ももしかして不要?
「食事制限に沿うとかでなく提出するだけでですか?」
それを肯定してくれる鈴木さん。
しかし
「健康増進のための研究材料の情報提供料って事らしいんだ~。
たまに『あなたの健康のデータを研究に使いたいんですけどいいですか?』っていうアンケートもらったりもするけど~。別に断ってもいいんだよ」
やっぱり早期発見早期治療ガチ勢はちょっとディストピア管理社会じみている気がする。
「健診で4割、テストで4割、運動と栄養のチェックで1割……え!これ全部やると医療費の自己負担って1割!?」
「いや~、基礎医学知識検定100問全部正解できる人は少ないから精々2~3割負担ってとこかな。
だってさ~用意されてる問題5万問以上あって毎秒増えてるからね、5万問から100問抽出されて出題されてるからね」
「そんなに問題作る人居るもんなの?」
他人の保険診療の自己負担を増やそうとするやつは誰だ?保険屋か?暇人か?
「現場のお医者さんが問題を作ってるんだよ~」
現場で患者さんに説明してて「あ、患者さんこれ勘違いしてるわ」って気付いたら時間ができ次第即問題作り始めるのだ。
頼むからここだけは押さえといてくれっていう魂の叫びだからすごい実践的。
「だから内容的に被ってる問題もいっぱいあるんだけどね~、逆に似た問題が多すぎてカンニングの為にキーワードで検索してもAの問題=Bの回答。みたいなのはまず出てこないよ」
「ええ、出題内容が現在の保険診療の考えに沿っているかどうかは定期的に中央で確認してるんですけど、被りはあんまりチェックしてないみたいです」
「飲み忘れた薬を後でまとめて飲んじゃいけない理由を答えさせる問題さ~、必修問題の他にほぼ必ずもう一回出てくのを見ると、お薬の飲み方の説明でお医者さんが苦労してるんだろうな~とか思うよ」
説明に関する医師の悩みが凝縮されている問題集なんだそうだ。
しかし、この世界、安く医療サービスを受けるためのハードルが恐ろしく高い、という事は……
「じゃあ……健診来れない、テスト受けられないとか、体が不自由になったらそのまま……?」
孤独死は元の世界でも問題になっていたけど……
「はい…そうですね……症状を見てそうした事が不可能であると診断が下された場合は、残念ながら病院や後見人の管理下に入って行動が制限されてしまいます」
……逆に言うと寝たきりになっても病院で最後まで面倒見てくれるのか。孤独死を心配するよりは気が楽な気がする。
病院はできる限り健康を保とうとリハビリとか勧めてくるし、そんな病院が虐待などを起こすのを予防するため、定期報告や抜き打ち検査などもあるとの事。
「あとは健康に不安のある人は定期的にメールがくるからそれに返事して~、返事が来なくなったら救急隊が駆けつけるみたいなシステムがあるよ~」
そういえば向こうの世界にも家電製品が使われるとメールが来るサービスとかもあったな。
「あと、専門医学知識検定を修めていると、特定の疾患の治療費が一部控除になる事が多いです」
「専門医学知識検定というと……?」
「はい、心臓外科や呼吸器内科など、もっと専門的で複雑な病態や治療法の詳細が理解できているかの検定です」
「お医者さんになりたい人の他にはね~、自分や家族に持病とかある人がよく受けてるかな。必要な知識だからね」
「お医者さんも受けるぐらいに良い問題なんだ」
「ちがうよ~、お医者さんになるにはこの検定で一定以上の段をとらないとダメなんだ」
「ダン?」
「段だよ~、有段者の段。
お医者さんになるにはね~、検定の指定された段と教習全部終わって国試通る必要があるんだ」
段?教習??
「ああ、医療従事者は必要な知識の幅は広いと言われていますよ。
基礎医学知識検定や専門医学知識検定の他に、調剤などに必要な濃度計算などの段。リスク説明に必要な統計の段など様々ですね」
「段?」
「段ですね」
「え……医学部とかは?」
「医学部は病院の臨床研修や実技試験の場としてまだ大学にあります。
教育改革の時に専門学校にしようかという話もありましたが、様々な問題から施設を一から新設するのは不適当とされました。
研修の方はほとんど昔から変わらないようですが、3Dプリンターでリアルな模型を簡単に作れるようになったため、模型を使った病気の組織のモデルでの勉強や手術の実技試験も行えるようになりました」
「え……教育制度ってどうなってるんですか?学校は?小学校中学校高校大学じゃないんですか?」
「義務教育は中学校までで~、高校は専門的な事を勉強する所、大学は研究するところだよ」
……そう言われると大体元の世界と一緒?なのかな?
「どんな勉強をするんですか?」
「義務教育までは歴史の詰め込み、と言った感じですかね」
え……何か怖いな、国粋主義かな?
「あとゲーム~」
ゲーム??