4 異世界トイレ
彼女は終電で寝てたら異世界のパラレル日本に来てた一般人。
現在、感染症予防のため病院の自動運転車の病棟に隔離入院中。
彼女は悩んでいた。
突然ですが、このパラレルワールド日本のトイレの使い方が分かりません。
誰かに聞きたいと思って病室を出る。
ここは自動運転車の車両である。他の三人も乗っているはずだが、長い説明だったので詳しい事を忘れてしまった。
最悪の場合ナースコール押すべきかもしれない。などと彼女が悩んでいると食堂車に誰か座っている、大人しい茶色い髪をお団子にした女の人だ。
「あのー、すいません」
「はい、どうされましたか?三反崎さん」
彼女の聞き覚えある声だった。女性も彼女の名前も知っていた。という事はこの世界の数少ない知り合いである。
「猫本さん!?」
救急隊員の猫本さんはカールした肩より短いぐらいのショートの黒髪だったはずである。茶色いお団子頭ではない。
「はい、そうですけど?
……ああ、……鎧兜が無いからですね」
「外套?」
「はい、鎧兜です。頭に被る」
外套を!?頭に被る!?
その後、きちんと説明を受けた。
そう、彼女が猫本さん音山さんを最初に見た時に髪の量多!!と思った理由はこれである。
道理で髪の毛の量が多く見えたわけだ。フェイスガードのついたヘッドホンに見えたあれ、あれはこっちの世界のヘルメットだった。
こっちの世界では、特定の職場では全員がヘルメット装着しているためパッと見で個々人の見分けがつかず危険につながるから、という事で髪型で見分けられるように髪の毛があるらしい。
つまり、超強固な鬘もといヘルメットである。
猫本さんは仕事の時間ではなくなったのでもうヘルメットを脱いでいたのだ。
この病室は個室に鍵がかかる代わりに、他の三人の病室と連結されている。そして廊下を通って自由に行き来できるようになっている。
普通は個人に一病室車両なのだ。こういう仕様は小さい子供の入院患者さんが家族と一緒に泊まるための形態だそうだ。
この世界に不慣れとはいえ、お子様用と聞くと彼女は若干不本意だったが、今回は実際に助かった。
来てくれたのが同性で良かったと思う……こんなの異性には聞けない。
「トイレのですね……使い方が分からないというか……」
問題のトイレ。
普通の洋式の便器である。
トイレの蓋開けたら中に謎のものが入っている事以外。
座面も含めて、便器内が清潔そうな紙袋?ビニール袋?で覆われてる。何かどっかで見た事ある気がするけど分からない。新品の掃除機のパックみたいな…。
とにかく、便器の座面から使用面まで清潔で頑丈そうな紙でまるっと覆われてる。
これを水で流そうとしても大丈夫?ちゃんと溶ける?途中で詰まったりしない?と思うし、絶対溶けないと思う。どう見ても量が多いしトイレットペーパーみたいに溶けるものには見えない。
かといって便器から引っ張り出して……というのも不潔だし意味不明だ……
「ああ、もしかして三反崎さんの世界では水洗トイレが普及しているんですね」
「そうです」
その通りです。
「では、そのまま普通に用を足してください。便器の蓋を閉めれば回収されて新しいカバーが着きます」
「回収!?」
カバー!?
………………言われたとおりに実行しました………
………ええ、はい、ちょっと頑丈そうな便器の蓋を閉めて開けたら手品のように清潔まっさらなカバーがかかってました……。
影も形も臭いも跡形もないよ……何言わせるんだ。
細かい仕組みはメーカーによって違うが、トイレの大部分を覆うような袋を設置して排泄物を回収し、密閉できるゴミ箱に詰めて収納するという仕組みだ。
この病院の場合は感染症予防でこの後に他とは違った処理をするものの。この病院だけでなく他のすべての自動運転車のトイレがそうなので、この世界で生活する以上はこのトイレとお付き合いする事になる。
『災害時に水が流せなくなっちゃったトイレにゴミ袋被せておいて、用をたしたらごみとして捨てる』というあの方法が全自動になったやつ。と考えて良い。吸水ポリマーなどを含めて、自然に分解しやすい材質が使われているそうだ。
どっかで見たと思ったこの袋、言われてみれば底面がペット用シーツっぽい。
この便器を覆う使い捨てトイレカバーはトイレットペーパーと同じ感覚で全国のスーパー、コンビニ等々に安く置いてある。足りないと公衆衛生の一大事だ。大昔のパリのトイレ事情に一気に逆戻りになるだろう。
「はい、そして事故や事件防止のために、蓋を閉めた時に頭部が入らないようなサイズに設計されてますので安心してください。便器の蓋をきちんと閉めたのを確認しないと作動しないようになっています。
また、ゴミとして出す時もX線透過像などで簡単に内容物を確認していますよ」
深く意味を考えると怖い。申し訳ないけどその話聞いても安心よりぞっとする割合の方が大きい。まぁ走る車の中なんて密室だから色々起こりえるんだろう……
何で水洗でなくこの仕組みかというと、水洗トイレだと便器の洗浄の度に数リットルの水が必要になり、自動運転車内に設置するのにスペースや重量、衛生管理に難があった。
そこで考えられたのが、要はおむつを便器に敷いて、用をたしたら密閉できるゴミ箱にポイというおまる方式。それを全自動に改良したのがこれ。という事らしい。
これを実現するのに色々な工夫がされたらしい。回収した排泄物からメタンガスなどを回収して利用するというのは序の口、脱臭や感染症予防の仕組みなどの血の滲む様な工夫が無ければ一億台のぼっとんトイレが日本全国に芳しいかおりと病原体を振りまいていただろう。
「ええ、この方式は、水が大量に使えないような時、災害発生直後などに強かったので導入が推進されました」
結局回収してポイしないといけないなら汚水タンクより袋詰めの方が量も少なくなるし処理しやすい、なら日常的に使えば製造コストも下がる、という事になったらしい。
当然ながら初心を忘れず、電気が止まった時用の手動の処分方法も用意されている。
場所によっては水洗トイレは残っているらしいけれど、自動運転車のトイレは全てこれだ。
機械に回収されたトイレのゴミは見えない所に密閉できるごみ箱があり、そこに収納されている。
とはいえ、そのままだといつか溢れかえってしまうので、専用高架道に隣接して建っているゴミ収集所まで捨てに行く。
工場の組み立てロボットの技術を応用し、ドライブスルーの様に適当なゴミ収集所でゴミを回収して新しいごみ袋に付け替える、という事を自動でやってくれるらしい。
「あの、ところでこれからの病院生活ですが、何か分からない事とかありませんでしたか?」
「いや~、一度に全部は覚えきれなくてちょっと……」
色々説明されたが一度で全部覚えるのは無理だった。
「では、順を追って説明させていただきますけど、分からない事があったらまたいつでも聞いてくださいね」
二回目だけど説明は長かった。そういえば聞いたかも?というレベル。多分また聞く。
身分証明用のデータを収集するため、DNAや指紋の採取もあるというので彼女は驚いた。
今の所悪用された話は無いらしいし、彼女自身に特に不満な意見があるわけじゃないものの、元の世界ではデリケートな話扱いされてただけにさらっと流されると少しもやっとする。やっぱりデリカシーがない気がする、若干ディストピアの空気を感じる。
体は清拭、ただし問題のある病原体が検出されなければ20日目あたりからシャワーも利用できる。
「シャワー……って結構水使いますよね?」
「はい、水分の供給は滞らないように工夫されていますし、ベースにもシャワーや洗濯機がありますので排水機構が整備されています」
それらの排水はゴミの回収と同じく、一時的に排水タンクに溜められたあとで自動的に外部の設備に回収される。
ただし、ここは感染症専門病院だからしかるべき処置をした後で流すことになる。まわり海だし。
日が傾きかけてきたころ、彼女が外を見るとメガフロートの周辺の青々とした綺麗な海が見える。
便利……便利な世の中だ……でも……
「でも細々とエネルギーや二酸化炭素を回収しても。
ゴミも大量に燃やして、車もずっと走らせないと立ち行かないとなると……やっぱり環境問題やエネルギー問題からは逃れられてないんですね……」
夕食の食堂車には全員が居る。
彼女の居た社会に比べればよっぽど豊かで、正直羨ましい。
だけど、やっぱり資源とエネルギーを湯水のごとく使う環境の上に立ってる事に不安を感じるのは……社会不安の大きい世界から来たせいなんだろうか……と思っていたら皆のコメントに面食らった。
「そうかな~?環境問題やエネルギー問題がどこからどこまでかっていう事もあるかもしれないけど」
「ええ……汚水は激減して浄水場の負担も減っていますし、温暖化ガスはなるべく回収して植物育ててますし……他に何かありますかね……」
「国内産油量も安定していますし、エネルギー面でも大きな問題は抱えていないと思うのですが……」
「はい?」
こっちの世界では日本にでっかい油田でもあるのだろうか?
「蒸気変換法っていう~、簡単に言うと石炭からガソリン作る技術があるんだけど……」
「え…………根本的解決にはなってないけど、もしかしてすごい?」
「少なくともこっちの世界では第二次大戦の時には実用化されてたよ~。
一酸化炭素と水素の混合ガスをsyngasとか水性ガスとか合成ガスっていって、それで色んな炭化水素の物質が作れるんだけど、石炭から一酸化炭素を発生させるために石炭を燃やして高温にして、更にガスを反応させるために石炭燃やして高温にして……みたいな。
あんまり効率よくなかったんだ~」
初耳だ。こっちの世界の独自の歴史なんだろうか?
「でも最近、直接流入式冷却水プラズマ発生装置っていうのができてさ~。
これは少ない電力で超高温の水、というより水からプラズマ、つまり超高温の水素原子と酸素原子を作り出してゴミを分解して有害物質も分解するっていう装置なんだよね」
プラズマというと精々オカルト現象の正体がどうたらとかプラズマのディスプレイがどうたらという話でしか聞いたことがないのでコメントしづらい。
「ゴミってもえるごみが多いからさ~、炭素が多い所に超高温の水素と酸素をぶつけるわけでしょ。
その時出るのが大体一酸化炭素と水素なんだよね、まぁ、ゴミだから他の混ざりものも色々出来るけど。
そこから色んな企業がちょいちょい手を加えて……ゴミからガソリンとか作れるようになった」
「そのちょいちょいが難しかったんですけどね……反応に不要な夾雑物を除いたり、触媒を開発したり……」
「ああ、ガソリンというか、ゴミと自然エネルギーを主に利用して様々な炭化水素化合物を製造してます。
大量に化石燃料を発掘して使用する必要が無い、という事ですね」
ガソリンって循環型社会に加われる存在だったっけ?
何か頭を抱えたくなってきた。
「一度自然エネルギーを燃料に変えて、それを発電に回す。というと効率は悪いですが、不安定な太陽光や風力などの自然エネルギーを燃料という形で備蓄できるようになったのと、ゴミ処理も同時に行えるという仕組みにより、社会全体として見た場合はそれなりに効率よく運転しています」
基本的にゴミ処理を自然エネルギーでまかなって燃料を作り、自然エネルギーの出力が低くてゴミ処理に電力が足りないとなった時にだけ他からもらうというスマートグリッド方式にしたところ、随分効率よく運転しているらしい。
「でも二酸化炭素の排出が問題になったりは……?」
自然エネルギーじゃないって事は大体火力発電所とかですよね?
二酸化炭素が発生する場所が火力発電所などに限られているため、宇宙ステーション等に利用されている二酸化炭素吸収装置で吸い取って純二酸化炭素を作り出し、ドライアイスにしたり温室に放出して植物の生長を促すなど様々な事に有効利用しているという。
エネルギーとゴミ処理と二酸化炭素が原因の温暖化という社会問題が一気に三つ解決している。
「何か……すごいですね……」
「はい、公的機関はゴミからバイオガスを製造して発電に当てている他、燃料や有機化合物、肥料などの製品を製造専売し、供給バランスをとって財源にしています。
例えばリンなどを国内で循環できるようになりました」
つまりこの世界の日本、リサイクル設備の整備を頑張って、油田とガス田とグアノを手に入れたらしい。
それを受けて、社会全体の雰囲気が好転、仮にゴミになったとしてもゴミから色々作れる、という環境のお陰で後先考えなくとも生産すれば儲かる、という構造になり、一様に生産に拍車がかかって好循環が生まれているらしい。
「じゃあ、中東とかの産油国はどうなったんですか?」
あの辺のオイルマネーが無くなったら……?
「元産油国の今の産業か~、太陽光を使っての金属精製が今一番流行ってるんじゃないかな~?太陽光でレーザー出すやつ」
太陽光を使う装置は気象条件も手伝って他国で効率的に実験、運用できるところが少なく、その分野では独走しているという。
どうやら太陽光発電や温室効果ガスへの対応にもいろいろ技術革新があったらしい。
このパラレルワールド、ことごとく向こうの世界で乱立してる死亡フラグへし折ってくる。こうなったらいっそ介護とか就活とか学校教育の話も聞いてみたい。
そう思った彼女が数日後に介護問題について聞いてみたところ。
「介護問題?」
きょと~んとされた、まさかの救急隊員の猫本さんも「え?」という顔している。
これだけ似てる世界なら世代人口なんて急に減るもんでもないはずなのに、高齢者はどこに……?