3 異世界自動運転車専用道路
「ふむ、三反崎さんの居た世界ではまだ自動運転車は無かったんですね」
猫本さんは興味深げだ。
「一応実験で高速道路を走ったりとかはしてたみたいなんですけど。あとは自動ブレーキとか?」
元の世界でも自動運転のニュースはよくテレビで見た。
何故か来てしまったパラレルワールド日本。元の世界とは色々違うことが多すぎてカルチャーショックの連続の彼女である。
いま彼女たちの乗る自動運転車が走るこの透明道路、ほとんど全て自動運転車専用の高架道路で、専用高架道と呼ばれているらしい。
こちらの世界では2000年ごろに『一般道路の様な複雑な環境では安全な自動運転車の実現は遠い』と判断されてこの専用道路が構想されたという。
高速道路や鉄道と同じように、法律で人の侵入を禁止した道路だ。
自動運転機能が交通の状況を識別しやすいように、センサーや標識を道路や車両に多数設置して運転を制御させている。
2000年といえば彼女の居た世界ではようやく携帯ゲーム機がフルカラーになったあたりの時代だ。
基本仕様は案内軌道と呼ばれる道路の側壁に沿って進む輸送システム。簡単に言うと、バスの形した、でっかいミ〇四駆だ。
さすがにそれだけだと決まったルートしか通れないので、道路の分岐や合流があり、そこでは自動操縦が車両を操作する。
人工知能かと聞いたら、そうではないという。
「どちらかというと、車が来たのをセンサーで感知して信号の色を変えるとか駐車場のバーを上げるのに近いですね」
仕組みはよく分からないが人工知能じゃないらしい。
とにかく、人工知能じゃない自動運転機能はいたるところに二重三重に設置されたセンサーにより制御される。
センサーは側壁や合流、左右分岐、停車場などに道しるべとして設置されており、道路上のセンサーの他にも車両間のセンサーなどによっても状況を感知して左右の道を選んだり加減速してお互いの速度を調整して譲り合ったりしてる。
窓の外はまだまだ街中、外の景色に彼女が気になる事は尽きない。
「高架は大体道路に沿ってるように見えるんですけど……完全に地上の道路に沿ってるんじゃなくて、曲がり角とかは避けるんですか?」
「既存の十字路の様な交差点だと、信号を使うと渋滞が発生してしまいます。
自動運転で制御しようとすると、複数方向から様々な動きをする自動車に相互に対応しないといけないため処理が重くなってしまうんです。
そのため、二手の道が一本に合流、一本の道が二手に分岐、というようにできるだけシンプルな原則で設計されています」
「自動運転車は常に時速百キロぐらいでてるからね~、自動車が使ってるような普通の曲がり角だとぐいん!ってなっちゃうね」
そのため専用高架道は交差点のだいぶ手前から緩いカーブを描いて曲がるように設計されてるそうだ。色々な理由で十字路は不都合だったらしい。
道路は基本一方通行。
町の一区画を囲むような一周3kmぐらいある巨大な環状道路と、その環状線に出入りする一対の一方通行道路が何本か接続していて道路を形成している。
つまり超巨大なロータリーだ。なるべく渋滞を防ぎつつ交通状況を複雑にしないように工夫されてる。
そもそもこの環状道路の仕組みは、九州のとある路面電車が共同運営時に、新技術特区として循環路同士を繋いで配車を融通し合った流通革命が元なのだそうだ。
その路面電車はコンビニや郵便局、運送会社などの異業種と共同運営を開始した。車両の一部を倉庫に転用し、旅客と並行して小規模の貨物の移送や保管を担う事で、利用客の少ない時間帯も採算をとることに成功。
荷物の運送で採算をとりつつ増発する事で、人が交通機関として利用する際の利便性も向上させたという。
しかし疑問が浮かぶ。
「でも全員がバスみたいな自動運転車持ってると道がぎゅうぎゅう詰めでは?」
「はい、あの様に道路が高層化しているんです」
道路が何層にも重なっている。
専用高架道の構造は、高速道路よりデパートの立体駐車場に近いようだ。車を入れたらエレベーターみたいに動いていくやつじゃなくて自分で坂道を上って行って駐車スペースを探す方のやつだ。
「街を見れば分かるけど、専用高架道は何層にもなっててさ~、基本二~五階建てで東京とか人口が集中してるとこは五十階建てにしてるとこもあるよ」
五十階!?
「東京のほとんどのビルは道路の下に半ば埋もれる形ですね。透明なので、ある程度の日照は確保できていますが、頻繁にメンテナンスしてもすぐに道路の轍や側壁にあたる部分がくすんでくるので少し都市の環境問題になっています」
空中の透明な道路に発生するくすみ……どんな光景なんだろう……。
しかし、この道路がビルを囲んでる光景を見て不安になるのは。
「……この透明なやつ、材料は草木なんですよね?
燃えたりしませんか……?」
高速道路が木製で、それがビルの周りを高層階まで取り巻いている所を想像していただきたい。どう見ても組みあがった巨大焚き木。
ビルを囲んでキャンプファイアーは勘弁してもらいたい。
「いえ、むしろ難燃化しているのでビル火災時などに、高層階の人の避難路として活躍する事が多いですね。消防車も高層階に乗り入れられますし放水も届きます」
それを聞くとすごい便利そう……ただ単に近未来感を出す背景として設置されていたSFの定番、透明な道路は実は意外と合理的なのだろうか。
「農業用地みたいな日照が大事な場所のそばとかだと高層化しないこともあるけどね~、大体は専用高架道に光ファイバーを組み込んで日照を補償してるよ」
こんなインフラを整備するの大変だろう。
過疎化は元の世界でも問題になっていた。
彼女は昔見たおばあちゃんの家が凄い辺鄙な山の中だったおぼろげな記憶を思い出した。
「……都会はすごい発達してますけど……やっぱり地方とかは置いていかれてるんですか……?」
「何をもって置いてかれてるかって話もあると思うけど、交通の便なら地方も良くなってるよ~。
細塵結晶とか作るのに植物が凄い量必要になったから、専用高架道上に自動運転の温室を走らせてるんだ。ほら」
鈴木さんが窓の外に目をやるので彼女もそちらを見ると、植物で青々した透明なコンテナの群れとすれ違った。どう見ても走る温室だ。
「自動運転機能で適切な日照を得られるように地方の山奥まで移動しています。なるべく広く遠くまで専用高架道が伸びていた方が都合がいいわけです」
つまり植物様の温室を日向ぼっこさせるついでに人間様のインフラも賄えるというわけだ。
道路は貴重な動植物の生息地などからは距離を離すように法律で定められているらしいが、数百km以内なら一日かければ往復できるので道路はなるべく伸ばしたいのが本音だろう。
再び植物の茂ったコンテナとすれ違う。今度の中身は低木の樹木の様に見える。
これらの自動運転車は、人と植物の移動の他に、流通の大部分も担っているという。
「……これだけ長距離移送が発展したらバスやトラックの運転士さんの失業は多かったんじゃないですか……」
彼女としては失業問題は他人事ながら他人に思えなくてきつい。
「いえ、自然公園や歴史のある建物のそばは高架化しないことが多く、バスでないと行けない所が多いんです。観光バスなどの需要はありますよ」
「文化財保護もあるのですが、初詣などの際に渋滞のもとになるという現実的な理由もあって神社仏閣等の周囲の専用高架道の建設を禁止されています」
同様の理由で人が集中して渋滞が起きかねない都市部の主要駅やイベント会場などの周辺にも専用高架道がなく、今でも都市の中心へのアクセス手段は電車やタクシーらしい。
少し離れた停留所でベースを下りて電車やタクシーに乗り換えるなどの動きを想定されており、複数の交通手段を用意する事で混雑を緩和する狙いだ。
バスや鉄道は中近距離に絞って増発し、そこそこの需要を維持しているという。
では、トラックは?
「車両が地上に降りれる場所は限られているので、自動運転車を使ったとしても目的地の近くでトラックに積み替えて現地まで運ぶ事が多いですね。
大型車両を運転できる人が貨物と一緒に搭乗したり積み替え所に待機して引継ぎを行うなどします。
そうした理由で、今の所完全にトラックの需要が絶たれたことはないですね」
自動運転中に事故が起きたらその運転手さんの責任という事になるのだろうか?自動運転なのに気の休まる暇がなさそうだ。
「いえ、明確な意図で事故原因を作ったと証明されない限り、自動運転中の搭乗者は事故の過失を問われません。
自動運転車の起こした事故は行政の責任として行政が補償する事になっています」
「一方で地上は歩行者や一般自動車も居るのでブレーキを使う機会も多いのですが、複雑な状況下では自動運転だけでブレーキをかけるのは難しいのです」
向こうの世界でも自動運転車が看板の模様や前方にひらめく旗などを、標識や人と誤認して急ブレーキ踏むとかそういう話も聞いた。
2020年を間近に控えた元の世界ですら未だに手こずってたんだから、確かに2000年ごろに自動運転を実現しようとするならセンサーでがちがちに固めて、障害物の無い空間を通行させるという過保護な構造にならざるを得なかっただろう。
「大型車両の運転手さんはね~、専用高架道ではよく寝てよく休んで地上では本気出す、全国を飛び回るお仕事だよ。実技超難しいらしいけど」
向こうの世界では過労にあえぐ職種の一つだが、こっちでは比較的幸せなようだ……。
自動運転車の需要は輸送にとどまらず、災害時の公衆衛生の向上から、日常のちょっとした時に必要な作業スペースの確保まで、その影響は多岐にわたる。
住居としてのキャンピングカーをはじめ、病院の処置室に近い性能を持つ救急車や、入院のための病室、店舗、公衆トイレ、小規模の工房、調理場、オフィス、会議室など様々な用途の車両が設計されているのだそうだ。
「ちょっと頑張れば個人で貸店舗ぐらい借りれちゃうんだ~」
一部の商業施設や道路脇はそんな貸店舗車両が乗り入れる事を前提に設計されているらしい
つまりデパートの中に路面電車ぐらいあるこの車が乗り入れてくるのだろうか?
「それって……移動販売車のでっかい版て感じ?クレープ屋さんとか焼き鳥とかラーメンとかタコ焼きとか」
「ううん、パッと見は普通のお店~。車両だって分かんないよ」
いや、分かるでしょ……タイヤついてるし……付いてるよね?浮いてたりしないよね?さっき向こうの道路走ってたやつは普通のでっかいバスみたいだったし。
「一度模様替えのバイトしたけどね~、車を入れた後にまわりの床を固定するの、工事終わったらもう普通のデパートの中にしか見えないよ」
詳しく聞いてみると……車の周囲にパズルのように床を敷き詰めるのだそうな。
大丈夫なのそれ?
「車両の入れ替えの時もね~、また床と壁を外して移動させるだけ」
「いや……床と壁を外すだけってサラッと言ってるけどけっこう大変じゃない?あと強度的にも大丈夫なの?そのお店」
「最近の建物はね~、指示通りにパズルみたいにはめ込んでけば大丈夫なようになってるよ」
それは大丈夫なんだろうか?
「そうした空間は公共の道路と一体化する事になるので、安全第一ですからね。
国が中心になって、構造設計師を結集してより使いやすく、より精密なシミュレーターが開発されています。
複雑な構造や新材料、大災害やテロなどの特殊な状況下もシミュレートできるようになっており、国の基準に合格するにはこのシミュレーターで一定の条件をクリアする必要があります。これのためにスーパーコンピューターの需要が伸びてるんですよ」
「その後で全国各地の大規模実験場で実物大模型を立てて色々実験してみるんだ~、爆破実験とかちょっとしたイベント扱いだよ」
「ああ、当然ながら見学者全員、安全な位置に離れて防護壁を完備した上で行っていますからね、大丈夫ですよ」
その景気の良いアメリカ映画のセットみたいなのはどうなの?資源に余裕があるとそういう事もできるって事なのか?
「実物大模型って……二度手間じゃないですか?シミュレーターだけでいいような気がするんですが。」
「それはやめた方が良い気がするよ~、カオス理論的に」
カオス理論的に……こっちの世界の言い回しだろうか?
「膨大な部品を管理するにはコンピューターの助けが必要ですが、シミュレーターだけでは実際の状況を再現するのが困難なのです。
例えば飛行機などでは必ず風洞実験を行いますが、これは飛行機の揚力に関係する渦という現象が、カオス理論に密接に関係するからですよね」
「え?本当にカオス理論が関わるんですか?」
「するよ~」
「……カオス理論ってよく分からないんですけど、そんなにシミュレートじゃ無理なものなんですか?」
「はい、まず、ポアンカレという人が三つの星が重力などで相互作用しながら動くときの事を計算しようとすると、簡単な式なのに普通の方法では解けない、非常に複雑な事になるのを証明しました。この三体問題というのがカオス理論の最初と言われています」
「その後ね~、電気回路の観察とか、生き物の増え方とか気象の計算とかでも、最初に入れる値を色々替えてやってみたら、すごく近い数字を入力しても全然違う結果が出るようになる現象がいっぱい見つかったんだ。
しかもどんどん増えるとかどんどん減るとかじゃなくて、全部結果がバラバラなの、ちょっと数字違うだけでバラバラになるの、だからカオス」
「最初に入力された条件がほんの少し違うだけで全然違う結果が出る、遠くにいる蝶の羽ばたきみたいな小さな値が違っただけでも竜巻が起こる。
それを表現したのがバタフライエフェクト、という名称です」
バタフライエフェクトってそういう話だったの?漫画アニメで名前はよく聞くし、大体の理屈は分かるんだけど、発見に至った詳しい経緯は知らなかった。正直、頭いい人の言ってるよく分かんない話だった。
「そういうわけでシミュレーターだけを使うと思いがけない微弱な要素によって壊滅的なダメージが発生する事もあり得るため、模型実験が義務付けられています」
現在もシミュレーターだけで完結できないか色々試しているらしいが、何かしらの不確定要素が出てきて、いまだに完璧なシミュレーターはできていないらしい。
「はい、ですがこのシミュレーターによってパズルのような建材を組み合わせるという設計が可能になり、3Dプリンターによって製造が可能になりました。
木工の指物技術と最新技術の融合ですね」
それを利用したのが最初の車両を入れて床を張り替えて……という仕組みらしい。本当に立体パズルだった……。
この入れ替え型構造、導入している施設は多いという。というか導入していない方が珍しい。
1フロアまるごと入れ替わり制のお店にしてしまえば期間限定オープンや店舗の入れ替わりに伴う改装による労力や時間的なロスが少なくなるのだ。
「この簡素で利便性の高い仕組みは1960年代のメタボリズム運動の流れを継いでサーキュリズム運動と呼ばれています。
誰でも自分のお店が持てる時代ですよ」
「ふえー……、夢が広がるなぁ……」
外に広がる大海原を眺めながら、彼女はふと漠然と雑貨屋さんとかに憧れていたことを思い出した。
ここはメガフロート上の感染症隔離病棟。
乗っていた救急車型車両が病棟型車両に連結されて、そちらに乗り込む。宇宙服みたいな感染防護服を厳重に着込んだ人達が出迎えて車内を案内してくれた。
すごいものものしい、この大騒ぎの原因が自分がこっちの世界に来たせいだと思うと、彼女は怖くなってきた。
「ご迷惑おかけしてすいません……」
「いいえ~、むしろものものしくてごめんなさいねぇ、何かあったらすぐ言ってくださいね」
ものものしいと思ったら意外と優しい。
何かこう……怒られるっていうか冷たく見られるかと思った。
この病室は自動運転でメガフロートの専用高架道を巡回している。
必要な時は中央病棟に車両が入って行って、着替えやご飯を配達してもらったり、お医者さんが乗り込んで診察してもらったりという仕組みだ。
車両に載せられないような大型機械を使う治療や検査などの時は患者が病院に降りる事もある。
個人の病室は簡単な鍵もかかる個室。患者取り違えを防ぐために渡された識別用のリストバンドが個室の鍵になっている。脈なども測ってるから取り外さないように言われた。
トイレも各部屋についていて、毎日簡素な下着と入院着の着替えとご飯三食が配られる
車両内の施設は個人の病室、複数人で利用する食堂、リハビリテーションルームという名のフィットネス機器の部屋などがある。
音山さんによると普通の専用高架道では車両の連結数は制限されている。
このメガフロート上は特別の許可を取って速度制限がある代わりにかなりの車両数連結可能になっている、との事なので多分他にもオプションがつくのかもしれない。
そう、病棟も自動運転車だったから彼女は一歩も外に出ずに連結車同士を移動した。
彼女はまだパラレルワールドの日本の国土に触れてない、ずっと室内である。
この世界はもしかしたら一生一歩も外に出ずに暮らせるのかもしれない。正直お外に出たくなかった彼女にとっては願ったり叶ったりである。
ところで彼女は今、早速、勝手が分からなくて困っていた。
トイレが……何か……何だろこれ?いや、普通の洋式トイレなんだけど……何だこれ?