1 終電で目を覚ましたら異世界
「恐らく三反崎さんは……異世界人です」
おまわりさんの言葉を理解できる前に、窓の外に信じられないものを見た。
正面に座るおまわりさんの背後の窓がゆっくり朝焼けに染まり始めていた。
そして見えた。窓の外の巨大なビル群がすごい勢いで横に移動していくのを。
いや、気付いた。
自分たちが電車の様な乗り物に乗って移動している事を。
「現在日本では自動運転車専用道路が整備され、自動運転車が流通、交通を担っています。
個人が一台、『ベース』と呼ばれるキャンピングカー様の自動運転車両を所有しており、それが個人の主要交通手段になっています。
先ほど三反崎さんが倒れていたのは鈴木さんのベースです」
急に思い出した。
さっき自分が倒れていた台所からここに来るまでにハンドルやレバー、計器みたいなものがある部屋を通り抜けた事を……。という事は……。
呆然とした彼女に、お巡りさんは言葉を続ける。
「ここは鈴木さんのベースに連結した救急車両です」
家の台所と思っていた場所は個人のキャンピングカーの中。
そこから廊下を通って移動してきたこの部屋は実は救急車。
いや、救急車というには大きすぎるこの部屋は『車両』、現在彼女らを乗せて走行中。
という事は……
「めまいだと思ってたらここ本当に揺れてるんですか!?」
他に突っ込むところあるだろうに、しかし混乱してる人間の思考はこんなものかもしれない。
これは何故か異世界日本に来ちゃった彼女のお話。
―はじまりはどこからか分からないけど、それは唐突だった。
身寄りもない
お金もない
日々の糧得るのが仕事なら
こんな薄給仕事じゃない
「しにたい…………
しあわせになりたい…………」
終電の車内で睡魔に負け、そっと目を閉じた。
「……!!………………さん…………
…………―さん………………」
声をかけられた様だが眠くて動けない。肩を叩かれた気がする。
終点か……ごめん駅員さん、もうちょっとだけ……5分……いやあと60秒あれば目を開けられるまで回復すると思うから……
……………………ぐぅ……すやぁ……
「おねーーーさーーーん!!」
「あら、起きたみたいですよ」
「大丈夫でしょうか?一応不法侵入で現行犯逮捕する事はできるのですが……」
瞼を開けると目の前には女性が三人。
一人はジャージ。一人は看護師さんの様な白衣。一人は警察官の様なジャケットだった。
仕事着っぽい二人はヘッドホンの様な物を着けていた。そのヘッドホンにはバイクのヘルメットのシールドの様なものが付いている。
ジャージの高校生ぐらいの女の子がヘッドホンの二人に話しかける。
「いや~、ヒトんちの台所でお巡りさんと救急隊員さんが来るまで熟睡してた女の人が強盗って事はないと思うんですよ~」
辺りを見回すと見慣れない狭い部屋、ここは多分台所、どう考えてもヒトんちである。
私、電車で寝てたんだよね?どうしてこうなった??
慌てて立ち上がろうとしたがめまいがした。部屋全体がはっきり揺れてるような感じがするが、周りの三人の様子から地震が起きているわけでもないようだ。
困惑しているとジャージの人が話しかけてきた。
「私がトイレから戻ろうとしたらいきなり台所に倒れてたんで死ぬほど焦ったよ~、呼びかけても肩を叩いても反応ないしさ。
とりあえずパトカーと救急車呼んじゃった~」
「迷子……というわけではなさそうですが、故意で侵入したようにも見えませんし……。
第三者の介入の可能性も視野に入れて捜査させていただきますから、心配しないで大丈夫ですよ」
警官の女性はそう言った。
こんなわけのわからない状況で不法侵入の犯人扱いされてたら泣いていただろう。
―鈴木さんは現代日本ではごく普通の女子高生だ。
自動運転車、ベースで一人暮らし。
ちょこちょこ勉強しつつ日雇いの日当でほどほどの暮らしを続けていた。ごく普通の女子高生だ。
その日、何の前触れもなく彼女は鈴木さんのベースの台所に倒れていた。
「ギャー!!⁇」
鈴木さんの悲鳴にも何の反応もなく、彼女の他に侵入者が居る気配もない。
もしかして、死んでる?
恐る恐る、倒れている彼女の意識を確かめる。軽く肩を叩きながら呼びかけてみた。
「おねーさん おねーさん」
息はしているようだが反応がほぼ皆無、警察と救急車を呼ぶことにした。
―猫本さんは救急隊員で看護師だ。
ベースに人が倒れていて意識不明。
そんな通報を受けて一も二もなく駆け付けた。重体であれば一分一秒が生死を分ける。救急車両であれば走行中のベースに連結ができる。応援は後から来てくれるだろう。通報者が居るなら既に救急隊が入っているのかもしれない。
しかし、オペレーターさんから次々追加される話を聞いてみると、『いつの間にか知らない人がベース内に倒れていた』という。そんな事があるのだろうか?
警官も駆けつけ、改めて声をかけると彼女は起き出した。最初はやや混濁気味だったが意識ははっきりしている、足元はよろよろとおぼつかない。
救急車両でいろいろ話を聞くことにしたが、どうも彼女はそわそわしている、後ろめたい。というより見慣れないものを見る子供のように猫本さんは感じた。
ええ、謎解きはお巡りさんに任せましょう。
猫本さんは彼女の容体にだけ気をつける事にした。
―彼女が目を覚ましたのは鈴木さんという女子高生の家だった。
鈴木さんが倒れている彼女を見つけて通報し、駆けつけてきたお巡りさんが音山さん、救急隊員が猫本さんだ。
女子高生が一人暮らししている物件なだけあってコンパクトな廊下を移動した。が、着いた先は意外と広い一室だった。大きめのベッドや机がしつらえてある。鈴木さんの寝室にしてはどうも違和感が強い。
ベッドをすすめられて体温を測ったりするが……体温計は猫本さんが持ってきていたのだろうか?
彼女にはここ、鈴木さんの部屋の机から出したようにも見えたのだが……。
彼女はあちこちに違和感を感じていた。
この場に居る人たちが不審とかではない、何と言うか……。SFっぽい。気がする。
仕事中の二人が被ってるヘッドホンのような何かは、カメラが付いてたりオペレーターとの通信機が付いてたりしているようだ。
最近は通信機やディスプレイの付いている警備担当者用のヘルメットが作られているという話は彼女も知っていた。
しかし、一般の通報の捜査に既にそういったディスプレイで逐一オペレーターと連絡をとれる装備が導入されているとは思っていなかった。
そのヘルメットはオペレーターに映像を送るためのカメラが付いてるからプライバシーがなんとやらで、警官の捜査によって何かしらの被害をこうむった場合の関連機関や相談窓口などの連絡先を書いた紙を渡された。
『捜査へのご協力のお願い』
……取り調べ可視化の議論はいつの間にか決着していたのだろうか?
そして、やたら衣服や持ち物から指紋などをとるのが速い。
スプレーで薬品をプシュ、バーコードみたいな専用機器で読み取り。と、秒進分歩とはいうけれど、現代日本はいつの間にこんなにテクノロジー発達していたのか?
この技術があれば痴漢はあっさり撲滅されるだろう。
他の違和感と言えば、看護師の猫本さんがショートのカールでおまわりさんの音山さんがぱっつんおかっぱである。
しかし、人の髪型をとやかく言うのもなんだが髪の毛が多い気がする。
二人とも短髪だけれど日本髪みたいなボリュームになってるのは違和感がある。最近の流行だろうか?
それと、どことなく話が噛み合わないのだ。
「ふむ……深夜の超過勤務で……それであればベースを利用した方が安全だと思いますが、何故公共の電車を?」
事情聴取中に急に出てきた謎の単語、べース。
ベース?ベースってなんぞ?多分楽器じゃないのは分かる。しかし……
「すいません、ベースというものは分かりません。」
急に警官の音山さんの顔が険しくなる。
「ええと……ベースをお持ちではない?」
「えー……はい……多分……」
「では私本も……?」
「シホン?」
この場合、資本とかではないと思われる。
「失礼ですが、日本国籍をお持ちですよね??」
「はい!海外にも行った事ありません!」
警官の音山さんの顔が一転して険しくなるベースとシホンとは何か。
彼女は困惑していた。
「……少しお待ちください」
そう言ったっきり音山さんは考えるような、説明を集中して聞くような顔をして黙り込んでしまった。
―音山さんは警察官だ。
現在調べているのは、突然他人のベースに現れた彼女が何者か、どうやって走行中のベースに侵入したか、何が目的か、という事である。
今の所、適用できそうなのは精々が不法侵入罪ぐらい、犯意を確認できない。
しかもベースも私本もピンと来ないようだ。不法入国者?それとも偶発的に福祉の網からすり抜けて大人になってしまった子供?そんな事はありえるのか……?
記憶喪失?そうすると鈴木さんを疑う必要が?
いや、誰かの容疑を常に疑うのは良くない、もう少し視界を広く……。
「あの~」
マイクを通してオペレーターの声が聞こえる。
「稀なケースではありますが、彼女は異世界人ではありませんか?
それであればこちらの技術などが分からない可能性は高いです。
ベース内のデータをチェックさせてもらえれば侵入、というよりこちらの世界に現れた時の事が分かるかもしれません」
オペレーターの指示で冷静になった音山さんは、彼女にとある紙を差し出してみる事にした。
「ええと……、先ほどは失礼しました。こちらは読めますか?」
―彼女は困惑していた。
音山さんが出した紙は、さっきの説明書。捜査をカメラで撮影している旨を書いた『捜査へのご協力のお願い』の紙である。
しかし、同じ文面だけれども謎の記号が文中に散りばめられている。
『捜査への३ご協力の२お願い०१』
「日本語の部分は読めますが……」
音山さんは自分を落ち着けるように一度ゆっくり目を閉じると、次にしっかりとこちらを見て告げた。
「恐らく三反崎さんは……異世界人です」
― とにかくそこからは話が早かった。
「めまいだと思ってたらここ本当に揺れてるんですか!?」
「ウケるwww」
何かがツボに入ってしまったのか鈴木さんは隅っこでおなかを抱えてうずくまってしまった。が、異世界跳躍しておいて言う事を欠いてそれかという気持ちは分からなくもない。
彼女がある程度現在の状況を呑み込むと、音山さんは家主の鈴木さんと一緒に、鈴木さんのベースと警察車両を行ったり来たりしたりして捜査を続けている様だった。
彼女が知らない単語がいっぱい出てきたけど話は進んでいるらしい。
救急隊員の猫本さんは彼女についていてくれた。お茶のおかわりとか淹れてくれる。優雅な救急車である。
そんなこんなで音山さんが色々なデータを確認した結果、彼女が異世界からワープしてきた異世界人、という事はどうやらほぼ確定したようだ。
ついでに確認してみたところ、日付や時刻は彼女が来た日本とおそらく同じ。
近未来かと思ったら現代だった。タイムスリップかと思ったらパラレルワールドだった。
こちらは彼女の来た世界と比べて科学が進んでるような気もする。
自動運転のキャンピングカーが一人に一台支給される日本なんて彼女は知らない。
いいな、こっちの世界の子にしてくれないかな。と思うばかりである。
ちなみに、帰る方法はない。異世界を移動する方法どころか、異世界を観測する方法も確立していないとの事だった。
「珍しいけど居ないわけじゃないよ~。いや~こっちに飛んだ先が道路じゃなくてよかったね、専用道路上は人が居る前提になってないから最悪轢かれてたよ」
異世界転移早々に交通事故死とか、異世界転生ものが始まってしまう。本当にこっちの世界の子になってしまうかもしれない。別にいいけど。
ジャージの家主の鈴木さんが言うには異世界人、いや、パラレルワールドから来る人は意外と居るらしい。少なくとも一般に認知される程度には。
ある程度状況が収まった後、おまわりさんの音山さんと救急隊員の猫本さんから衝撃の宣告をされた。
「というわけで、防疫の為に隔離入院していただきます。接触した私たち3人も一緒です。」
…………世界を越えて早々に隔離されることになったらしい。