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装備を外して椅子を離れ、静かな怒りを込めてこの小さな部屋の壁を覆うスクリーンを睨む。
イオは……思い出してしまうのだ。きっと邪推ではない、最悪のタイミング――今回は助からないと決まったタイミングで。私が今持てる言葉行動ではダメだった。彼女の記憶を引き出せないのはそこに本当に無いからだ。望まぬ剥奪望まぬ付与、そうとしか思えない。誰によって?
彼女の涙はただの演出で、私がまた仮想箱に入り直せばイオは自分が思い出したこともそれを潰されたことも綺麗さっぱり忘れられて、そもそも彼女は実在などせずただのデータに過ぎない。その通りなのかもしれない。……でも、でも私は人間だ。だからこの舞台脚本機構を許すことができない。だから自分が考えなしに『20分』を選んだことを少しでも後悔しなければならない。イオに悲痛な一連をまた体験させてしまったのだから。
「ふー……」
苛立ちが収まるのには数秒待てば良いんだっけ。少し頭を冷やそう。私は何に感情を揺さぶられている?
とは言ってもこの四角い部屋の中では少々息苦しい。主題は箱の中で考えるとして。箱の中には味気ない風がある、味のあるジェミーがいる。特別なノイズも。次は一番長い時間を選ぶと決めたけれど、何か手掛かりを得るまではイオに会いに行かないのも手なのだろうか。私がイオに近付くまであらゆるものが構成されないと確認したわけではないが、そういうことがあるかも。
三面のスクリーンはやはり押し黙っていた。箱の外、ここで考えられることが残っているとすれば、最初にこのスクリーンに映ったメッセージやあの椅子に用意されたゲームのコントローラー型の装置だ。つまるところの“演出”であり、箱の中へと案内する一連のそれは仮定作者と位置付けた存在の人物像を描かせる要素となる。
『ここでは人生最後の瞬間を疑似体験できるよ』
ゴシック体でそのあとに続いた一見敵意の無い言い回し。敵意と悪意は違うとして、やっぱり大きな問いの一つは仮定作者がどこまでのシナリオを箱の中の世界に描いたかということだろう。単純に、つまり書いてある通りに人生最後の瞬間を作り上げて潜らせるだけなら、不要とも思えるいくつかの存在は何か。覚えるくん、イオ、恐らくジェミー、まだ見ぬ誰かと何か。装置の監督は本当にその階層でメガホンを握っている人か。自分が先の未来にいることは忘れてはいけない。ただ再現された世界が優に膨大なパターン、情報量を備えることができて、私が私の見た部分だけを偏った拡大解釈に費やしている。これもまだ否定のできない視点だ。街の人が匂わせた落書き消しや街頭演説になどまるで収まらないような存在も、それっぽい演出か私の知らない時代世界の切り抜きなのだとしたら。
だめだ、考えが整うばかりか余計にごちゃごちゃしてきた。それに一人で考えるよりもピンク色で耳と短い手足が付いた識者と話したい。さっきはあなたもイオの涙を見ていた。きっと何かを感じ取っていた。