32_DanceBox_09_
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小さな部族の他のみんなを救うために、一人を捧げる慣習があった。
姿の見えぬものへの畏敬の念を背負い、叩き込まれたのは最上舞踊。
約束の夜に月は完全な円形をしていた。彼女は次の月を見られない。
仮に、無傷の心が今もあって、どんな心境をどこまで表情に出せて、
そうではなかった。
心は無傷ではなかったが、彼女が踊りに乗せた想いに誰も及ばない。
完全円が反射する光と、木々が支える原初の炎。その明かりの中で。
舞い踊る。
全てを知って尚も夢見た平穏への泡沫。与えられたのは最後の時間。
許されたのは極小円の空間。全てを受け入れ解き放った至上の四肢。
焦がれ狂う熱源よ。底知れぬ深淵よ。添い遂げ私は未だ燃え尽きぬ。
夜の闇を神格が覆いつくす。
踊り手は零れた滴を拭わない。既に身体と精神は極致を超えて迸る。
けれど何故だろう、ほんの少しだけ踊りが鈍る。神格がそれを貫く。
それでも止めない。それでも忘れない。
彼女のその一欠片を誰かに伝えないほど、世界は無情ではなかった。
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「じゃあそれでお願い」
全身の義体化を前にして、重度の難病に蝕まれた小さな踊り手はそう言ったという。
たった一つだけ、踊りで人を元気にするという記憶だけを残せた。それだけのはずなのに、複製され市場にばら撒かれた安価な身体制御のデータしか内蔵されていないのに、そもそもの動きのパターンすら超越して。「動作した」という表現をかき消した。彼女は確かに「踊った」のだ。
小さな舞台の上で、全方位を囲う無人の観客席を見渡して、もはや面影すら無くなった汎用フェイス。その瞳の奥に何かが灯る。
言ったでしょ、私はまたここに立って、踊ると。
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機械の踊り子は片脚を撃ち抜かれた。バランスを崩して地面に倒れ込む。多脚の掃討兵器は冷たい眼の焦点を合わせた。動くものがあれば破壊する。
が、瓦礫の影から別の“動くもの”が現れた。人間の兵士はすぐに自身と兵器との力の差を理解して、しかし兵器に自動銃を構えた。
踊り子が無理矢理に立ち上がった。片脚と両腕を精一杯に使って尚も舞う。それは戦場には不要な機能だった。運悪く、意味も無く、生き残っていただけだ。掃討兵器は“より動くもの”に照準を合わせ直す。
無数の弾丸が炸裂した。
人間の兵士は気付いただろうか。最後の数ステップは彼のために踏んでいた。
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湖面か、あるいは波の立たない海面か、その境界を見つめていた。
「涙一滴分だけ重心を陸側に残したまま、つま先で水面に触れるの。そうすれば電子の波紋が広がって行く。抵抗は存在しないから、どこまでもね」
澄んだ心で呼吸を整えて、瞳を閉じる。その境界を再度見つめる。
「目の前の全てを書き換えられたら、そこへ飛び込む。水面下の世界よ。私はその中で続きを演じる」
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……