愚かだった誰かの話し
「お兄様、どうしてっ!!」
燃える王城を背後に、アイリはそう叫ぶ。
あたりは血の海で、その中に佇む兄に、あたしはそう叫ぶことしかできなかった。
どうして、なんて言わなくてもわかっていた。お兄様は、冤罪で処刑されたリコリス・クレールスを深く愛していたから。ここに駆け付けた人の中で一番、お兄様がリコリス・クレールスを愛し、そして愛されていた。
だからこそ、彼女を失ったお兄様はすべてを壊して捨てるのだ。
「…お前、あの魔法を使うつもりか」
私とともに駆け付けた彼が、お兄様にそう問いかける。
あの魔法、と聞いて、あたしは前に彼女から聞いた魔法を思い出す――時を戻す、禁術と呼ばれる魔法。それが、書に書かれた方法以外でも発動することが判明したのはだいぶ前のことであり、今その魔法が発動するための条件がすべてそろっていたことに、誰もが気が付いていた。
「ああ」
「あの魔法は禁術だよ。理解している?」
「ああ」
「――そんなことをして、リコリスは喜ぶのかな」
「――喜ばなくても、それでも、僕は、」
そう続けた言葉に、あたしたちは頷き―――そして共犯となった。千をも超える命と、あたしたち全員の魔力と命を代価に、お兄様は禁術を発動させた。
そうしてあたしは記憶を少しだけ失って。時は、10年以上も前にさかのぼった。
「――お兄様」
ユーリと取引を交わした後、アンリは何も持たずユーリの外套だけをもらって家を後にし、誰にも見つからないように6番街へと身を隠すためにやって来た。
この国の王都ではすみわけを実施しており、1番街が王族・高位貴族、2番街が辺境貴族や王都に屋敷を持たない高位貴族の別荘、3番街が下位貴族や裕福な平民、4番街がやや裕福な平民、5番街が一般市民――そして6番街がスラム街となっていた。
基本的に貴族は4番街までしか来ないうえ、スラム街は騎士たちも手を焼くほど厄介な犯罪の温床となっているため身を隠すにはもってこいの場所だった。
アンリは慣れた足取りでスラム街を進んでいく。途中アンリを見つけたスラム街の住人たちは、一人無防備に歩く少女が美しい金髪をしているのを見て顔を青ざめ物陰に隠れた。記憶が戻ってからほぼ毎日同じ道を通っているのだ。最初のころのように見た目で絡まれることもなくなった。
目当ての家の前にたどり着き、アンリは大きく深呼吸をして扉をたたく。
「――ベアトお姉様」
「あら、こんな時間に来るなんて珍しいわね」
声をかけると扉が自動的にあき、アンリを中へと招き入れる。
慣れた手つきでアンリは開かれた扉の横の窓を開けて室内へと入ると、くくくと笑い声が聞こえた。
「もう幻覚には引っ掛かってくれないのぅ」
「ええ、さすがに学習しました」
「そう、つまらないわ。それで、童に何の用かしら?」
魔法ですべてを見ていたから知っていただろう、とアンリは言いそうになったのをぐっと抑える。
目の前の人物――アンリとそう年の変わらないように見える少女は、その実アンリよりも10歳ほど年上である。彼女は、ベアトリーチェ・フェーセ。齢16歳にして魔法省に努めている魔法界の天才であり、アンリの魔法の師でもあり、前世でアンリがプレイしていた「ナイトメア」と呼ばれる恋愛ゲームの攻略対象者でもある。
「…アーサーお兄様はいないんですか?」
「あの脳筋は童の幻覚で迷子にでもなっておろう」
「ベアトお姉様…またアーサーお兄様で遊んでるんですか?」
「あやつは面白いほどひっかかるからなぁ。どれ、そろそろ解放してやるか」
笑いながらベアトリーチェが魔法を解いた瞬間――先ほどベアトリーチェがアンリに扉の幻覚を見せていた壁をぶち抜き、一人の大男が室内へと乱入した。
「ははははっ!入口だと思ったら壁だったぞ!」
「だからといって壁を壊す阿呆がおるか!」
「ここにいるぞ!」
「そうだったな!ぬしは阿呆であった!」
「…アーサーお兄様…」
にっかりと笑う大男――アーサー・ペンダガスも、同じく「ナイトメア」の攻略対象者であり、現アンリの剣術の師匠である。
アンリは前世のゲームの記憶と、アンリではない誰かが歩んだであろう記憶を思い出してすぐにスラム街へ行き、二人に弟子入りした。二つの記憶から、アンリがまだ魔力にも目覚めておらず、権力すら持たぬ幼女が接触できる機会があったのが当時スラム街で悪さをしていたこの二人だけであり、剣術と魔法のエキスパートであることを知っていたアンリは、彼らに弟子入りを申し込んだ。
「ん?!アンリ、もう日が暮れる時間だぞ!帰宅せねば」
「ああー…えっと、その、」
「アンリは家出したのじゃ」
「なぬ?!母君と喧嘩でもしたのか!?」
「えっと、その」
「ふむ…どうやらあの話の関係で身を隠す必要があるみたいじゃな」
「おお!あの事でか!!」
――二人に弟子入りした際、ここが恋愛ゲームであることを除いたアンリに話せる限りのことを、アンリは二人に伝えた。これから起こる自分の未来のことも話した。大切な人を守るために、力が欲しい、といって。禁術のことも、愛した人のことも。その人が迎えた最期のことも、今度こそはと願ったことも。
彼らは思うことがあったのか――ベアトリーチェは禁術のことに興味があったのか。出会ってから一週間後から、アーサーとベアトリーチェは交互にアンリに剣術と魔法を教えてくれ、アンリはそのおかげで前の自分より強い力を手に入れることができた。
「…あたしは計画通り、あの人に会いに行きます」
「会える確証はあるのかい?」
「はい。あたしに記憶が戻った言うことは、術を行使した全員の記憶も戻っていると思います。だから――」
「そいつらの協力を仰ぐ、と」
ベアトリーチェの言葉に、アンリは深くうなずいた。
記憶を取り戻してから最初に考えた。本には術を行使した人しか記憶を持たないといわれていたのに、あたしは一部の記憶を除き、大体のことを覚えていた。だからたぶん、あの時あたしとともに術を発動させた彼らも、きっと今のアンリと同じようにあの最期を、無念を覚えているのだろう。
だからこそ、できるだけ早くあの最期を回避できるよう彼らと合流する必要があると考えた。
「――はい。あたしたちは、あの人を喪いたくないんです」
あの日の絶望を。
血に濡れたお兄様を。
あきらめた顔をしたあたしたちを――あたしは、もう二度と体験したくない。今度こそ、失いたくない。
強い覚悟を示すアンリに、アーサーとベアトリーチェは苦笑し、どこか暢気そうに頑張れとつぶやいた。