リコリス・クレールスは翻弄される
にっこりと笑う目の前の人物に作り笑いを浮かべ、リコリスは味のしない紅茶を口につける。
「リースの為に取り寄せたんだけど…気に入った?」
「ええ――ありがとうございます、フェリシアお兄様」
目の前に座り優雅に紅茶に口をつける少年――ローザ王国第一王子にして父方の従兄弟であるフェリシア・ローザ・カローナに気が付かれないよう、リコリスは小さくため息をついた。
「伯父上から最近リースの元気がないって聞いてたからね、驚かせて元気になってほしかったんだ」
そう笑うフェリシアに他意はないのだろう。
事実彼はリコリスを驚かせようと当日の朝急に屋敷に訪れると告げ、リコリスはフェリシアが深く愛したあの人かもしれないと覚悟する時間もないまま、フェリシアを迎え入れた。
「…お兄様」
「うん、どうしたの?」
「――空のような瞳と聞いたら、お兄様を思い浮かべますわ」
空のような色――。
最期のあの時、青空を見てあの人を思い出したのだから、その色は青系統の色の可能性がある。
青い瞳をしたフェリシアはリコリスの言葉に首を傾げた。
「空、って瞳のこと?」
「ええ。とてもきれいな青ですもの」
「ありがとう。リースの瞳も、夕焼けを閉じ込めたような赤で綺麗だよ」
青い瞳をした、フェリシアがあの人なら。
あんなにも恋焦がれていたはずなのに、リコリスはフェリシアに会ったとき何も感じなかった。
あの人の声も顔も忘れてしまったように、あの人への気持ちすらも忘れてしまったのかと、リコリスは自身に落胆した。
「――ねえ、リース」
「っはい、お兄様」
「12歳の誕生日に何があったか覚えている?」
その問いに、リコリスは息をのむ。
フェリシアはまるで何もなかったのかのように紅茶を口へ運び、リコリスを見る。
先ほどまで笑みを浮かべていた瞳は、今はまっすぐとリコリスだけを見ていた。
「何を、言っていますの、?」
やっと口から出た音は、動揺しているのがわかってしまうほど、震えた物だった。
フェリシアはじっとリコリスだけを見ている。青い、空のような瞳がリコリスだけを見つめている。
「私、最近4歳の誕生日を迎えたばかりですわよ、?」
汗が背中を伝う。
フェリシアの瞳に見つめられるとすべてを見透かされているようでリコリスはひどく不安になる。
12歳の誕生日。必死に思い出そうとするけれど、何があったのか思い出せない――そんなことよりも、どうしてフェリシアは4歳のリコリスにそのようなことを聞くのか。
「12歳なんて、誰かと、間違えられていませんか?」
もしかしてフェリシアが、そう思った次の瞬間、フェリシアが笑みを浮かべ手に持っていたティーカップから手を離し、カップはゆっくりと落下していく。
「――手を滑らせちゃった。ごめんね、リコリス?」
遠くで二人を見守っていた侍女や護衛騎士が、ティーカップの割れた音に気が付き、こちらに来てフェリシアの身を案じる。
それをフェリシアは手で制しし、少し困ったような表情を浮かべリコリスを見る。
「服も濡れちゃったし、僕もう帰るね。ティーカップは後から補填させるよ。ごめんね」
「い、いえ、お怪我がなければそれで、」
「うん、怪我はないから大丈夫だよ」
なんせ自分で落としたからね、と笑うフェリシアにますますリコリスは意味が分からなかった。
手が滑ったのではなく、自分で落とした。フェリシアは意味もなく物を、それも公爵家の物を壊すような人じゃない。だから、あの行為には意味があったはずなのにリコリスはその意図がわからず混乱する。
リコリスを混乱に陥れた人物は何もなかったかのように立ち上がり、侍女からタオルを受け取り帰路の準備を始めた。
「ああ、そうだリコリス」
「っはい、」
「来週通年通り隣国に行くんだろう?――エレリックによろしくって伝えておいてくれるかな?」
困惑し何も言葉を返せなくなったリコリスにぶしつけだとわかっていてもフェリシアはそれ以上何も告げることなく、帰路に就くために王族の紋章が入った自分用の馬車に乗る。
先ほどまで浮かべていた笑みを止め、フェリシアは先に馬車に乗っていた人物を見た。
「リース、全部を覚えていないみたい」
淡々と、先ほどまでのリコリスを思い出しながらフェリシアは告げる。
12歳の誕生日。その日、何があったのかリコリスはわかっていないようだった――まあ、フェリシアのまるで未来を見据えているような言葉に驚いていて思い出す暇がなかっただけかもしれないが。
「よかった。これで邪魔されないね」
「リースのことを邪魔なんて、」
「リースは王族としての意識が高い――僕たちが邪魔をしないと、また同じ道を歩むよ」
「それ、は」
「君も見ただろう?あの子は最後まで、同盟の為、隣国との平和のために自分が何をされても、最期まで僕らに助けを求めなかった」
同盟の為。
国同士の絆をさらに深めるために、両国の王族の血をもつリコリスは隣国の王太子と婚約した――だというのに、その王太子はリコリスという婚約者の存在を無視し、あまつさえリコリスを切り捨てた。
「結果は君もよくわかっているだろう。リコリスは犯していない罪で処され――僕たちは間に合わなかった」
あの日、あと数分僕たちが早くあの広場についていれば、リコリスは死ななかった。リコリスを助けるだけの手段はそろっていたのに、僕たちは、あと一歩のところで彼女を失った。
それがどんなに無念だったかは、きっと僕たち以外わからないことだろう。
「僕はあんな思い、もう二度とごめんだよ――ねえ、君も、そうでしょう?」」
彼女の最期を思い出したのか、必死に感情を押し殺そうと体を震わせている共犯者を見て、フェリシアはやっと、息を吐いた。