お見合いなんていたしません!
澄み切った雲ひとつない青空。
今日は快晴だか、莉緒の気分は曇天、いや嵐だ。
以前より、母と買い物の予定は立てていた。それは別に珍しい事でもないし、車を出してもらって、普段行けない場所にあるショッピングモールに行けるならありがたい。だから、疑いもしなかった。乗った先で待っていたのは美容院。あれよあれよの間に着替えさせられ、着物に袖を通した莉緒は、何も話さない母により、次の場所へと連れて行かれた。
立派な門をかまえる料亭へと。
「あの、母さん。何かあるの?」
「お見合い」
しげしげと莉緒は自分の母を見る。今、なんて言った?
「誰の?」
「あなたのに決まってるじゃない」
「聞いてないよ、そんなの!?」
「そりゃあ、言ってないもの」
「な!」
からからと笑う母に、莉緒はぱくぱくと口を動かす事しか出来ない。
「言ったら一緒に来てくれないでしょう」
「当たり前だよ!それに、私、まだ高校生だよ!」
「取り敢えずは会って見て、よかったら婚約者って感じよ。おばあ様の紹介だから断れなくて」
ふぅとため息ついて困ったように言ってはいるものの、この状態にどことなく楽しんでいるのも感じられる。
おばあ様、莉緒の母方の祖母にあたる人物は、とある商家の長男に見初められて嫁ぎ、家を空けがちな夫に変わって家を切り盛りしていた。それは家庭内の事だけではなく、仕事の面でも支えていたとあって、今でも幅広い人脈を持つ。
「この間、大きく体調を崩した時に不安になったらしくてね。末の孫ってもう莉緒だけだし、安心したいのよ」
しみじみと母は言うが、これで丸め込まれてはいけない。
「そんな勝手にっ」
「ほら、少し黙って」
しずしずと近づいてきた仲居さんに名前を告げるとこちらへと先導される。
廊下を歩き、障子を開けて通された座席の部屋には、誰もいない。
部屋に入ったところで、母のスマートフォンの着信知らせるアラームがタイミング良くなった。
「ちょっと出てくる」
画面を見て、先ほど入ってきたばかりの廊下へと戻っていく母を見送る。
通話の相手は今回の相手だろうか。何を話してるのか聞こえないだろうかと近くまで寄ろうと思った時、鞄へスマートフォンをしまう母が戻ってきた。早い。
「少し遅れますって」
その言葉に莉緒はほっとした。このまますっぽかしてくれればいいのにとさえ思う。
「お手洗いに行ってくる」
「いってらっしゃい」
案内の途中で見かけたはずだ。トイレに行き、お手洗いを済ませる。
汚さないようにと上げていた長い袖を下ろし、少し下がって自分の姿を鏡に映した。
落ち着いた赤い着物には、花や鞠が描かれ、クリーム色の帯には桜の刺繍が施されている。
可愛らしくも、派手過ぎないこの着物は、祖母が貸してくれたものであるのだろう。
編み上げた髪は後ろで纏められ、止められた髪飾りが莉緒からは微かに見える。勿論、化粧も振袖に合うように薄く施してある。
「……」
通常であったなら、莉緒は、素直にいつもと違う自分の姿に胸を踊らしていたに違いない。
考えてもせんのないこと。
板張りの廊下に出ると、開放された庭が目にはいった。
松の木に橋のかかった池と純和風の作りの端で、女の子と男の子が遊んでいる。
親と来たものの、じっとしているのも飽きてしまったのかもしれない。
笑い声を弾ませながら駆け回る姿は微笑ましく思う。
「私にも確か……」
昔の思い出が浮上して、小さい頃よく一緒に遊んでいた男の子の事を微かに思い出す。
親戚の集まりで退屈した莉緒は彼を連れてよく庭で遊んでいた。
「顔も名前も思い出せないけど」
確かにいた記憶があり、両親にでも聞いたら答えてくれるかもしれない。
「懐かしいなぁ」
廊下を見渡せば、外への石段にスリッパが置いてある。草履を取りに行く程でもない為、少しばかり拝借することにした。
橋へ上がり、池を覗き込めば、鯉がゆうゆうと泳いでいる。赤、白、金色が目に鮮やかで、なんとなく手を伸ばしてみる。
「そんなに端によると危ないですよ」
突然掛けられた声に体がびくっと反応する。
「それに、綺麗なお召し物が汚れてしまいますし」
「別に好きでこんな格好してるわけじゃ」
身体の向きを変えようと慌てて立ち上がれば、慣れない着物に足が捕られよろめいた。
「っ……」
伸ばされた手に力強く引き寄せられる。
「危なかった……」
頭上近くで少しばかり低い声がする。
池へと倒れそうになっていた体は後ろへと引っ張られ、受け止められていた。
男性の姿が揺らめく水面に映っている。
腕と背中から間近で伝わってくる温もりに、鼓動が跳ね上がる。熱が顔に集まってくるのを意識して、莉緒はうつむきながら体制を立て直した。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
支える為に掴まれていた腕が解かれる。
少しずつ顔を上げて見れば、短髪の髪の姿のスーツを来た青年だった。
莉緒と同じくらいの年齢だろう。いささか来慣れない風でありながらも、ワインレッドのネクタイが洒落ている。
「どこか気落ちしているようだったから、声を掛けたのだけど、驚かせってしまってごめん」
幼さの残る顔立ちが心配げに覗き込んできて、莉緒は慌てて返事をした。
「い、いえ。大丈夫」
「本当に?」
「嫌な事があっただけで」
「嫌なこと?」
莉緒の少ない返事に相槌を打つように返されて、思い切って打ち明けることにした。
「母親に連れられてお見合いにきたの」
「うん」
「今日いきなりお見合いだって言われて、はいそうですかなんて、納得出来るわけないじゃない。まだまだ全然高校生活の青春を楽しみたいし、遊びたいのに。それにちゃんと好きな人がいいし、恋愛だってしてみたい」
口火をきってもやもやしていた気持ちを口にすれば、とめどなく溢れてきた。
彼は莉緒の言葉を聞きながら、真っ直ぐ見ている。
「ごめんなさい。こんな事突然言われたって、あなたが困るだけなのに」
見知らぬ人からこんな風にいきなり言われたら、迷惑だろうと思う。
「でも、少しすっきりした。ありがとう」
「いや……」
少し考えている風で手を口に当てて顔を横に向けていた。
「遅いなと思ったら、こんなところに!」
声の方向へ顔を向ければ、母がこちらへと向かってくる。
「やっと来たのね」
「お待たせしてすみません。お久しぶりです」
母がまず声を掛けたのは、隣に立つ彼にだった。その親しげな様子に不思議になる。
「知り合いなの……?」
莉緒の言葉に母はちらりと彼を見てから、返事をした。
「小さい頃によく遊んでた叔父様の姉夫婦のところの息子さん、秋斗くん。そして、今回のお見合い相手よ」
お父様の仕事の都合でアメリカに行っていたのよねと続ける母。
「あ!」
遊んでいる子供たちを見た時、引っかかった記憶。泣き虫な秋ちゃん。
女の子みたいに弱々しくて、可愛いくて。前を歩く莉緒の名前を呼んでいた。
耳に残った言葉が思い出される。りおちゃん、まってと。
「まぁ、彼女は覚えてなかったみたいで」
「そ、そんな事」
ないとは言いきれず、莉緒は途中で言葉を濁した。
今、目の前に立つ青年と思い出の中の男の子に莉緒の頭の中の思考は空回る。
(あれ、母はなんて行ったっけ?)
「話を貰った時、久しぶりだから驚かせたくて、僕だってことは言わないでおいてもらってはいたけれど、もしかしたら覚えていてくれているかなって少し期待はしてた」
「……」
苦笑気味に言葉を紡ぐ秋斗の隣で、莉緒は縮こまる。
「好きならいいんでしょう?」
「へ!?」
横からの突然の言葉に先ほど自分が言った言葉を思い返す。
(「好きな人がいいし、恋愛だってしてみたい!」と)
「ごめんね。僕はあなたが好きだから、話を無かった事にするつもりはないよ」
(私の見合い相手)
「改めて」
「りおちゃん、ただいま」
どこか照れ臭そうに昔の呼び名で呼ぶ彼に、ふいをつかれる。
声も低くなって、背も伸びた彼の姿にいつしかの姿が少しだけ重なった。