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AをしてBをして、Cをして・・・。なぜ、僕は生きているのか

 不思議に思うことがある。僕たちは毎日を生きています。今日も何かして生活を送っています。


 たとえば、今日は学校に行ったとする。なんのために、学校に行ったのでしょうか。それは勉強をするためとしよう。では、なんのために勉強をしているのか。それは社会に出た時に(学生も社会に出ていると思いますが・・)活躍できるためとしよう。つまり、働くことができるためとしよう。では、なんのために働くのだろうか。


 こうやって、「なんのために」を自問していけば、いつかは無前提に突き当たるだろう。たとえば「生きるために」と答え、それに対して「なんのために生きているの?」って尋ねられたら、多くの人は答えるのに困るだろう。「死にたくないから」と言ったとしても、「なぜ死にたくないの?」って聞かれたらどうしようか。「誰も死にたくないと思っている」と同語反復するしかないのでは。


 僕がいいたいのは、結局のところ「僕はなぜ生きているのだろうか」と思う感覚は、とても不思議で驚きを感じる。そして、驚きを感じたあとに恐怖を感じる。こういうことに答えられないのにもかかわらず、毎日を困らずに生きているという驚き。そして、「なぜ生きているのか」「なんのために生きてるのか」に答えられない自分に対する恐怖感。


 もしこれに解決をあたえてくれるとすれば、二つしかないと思う。

 

 1.そんなこと気にしてどうするんだ、といって無視をする

 2.宗教の教えに忠実になる


 特定の宗教を意識的に信仰していない僕は、2を採用することはできない。だとすれば、1になる。周りの人を見ている限り、多くの人は1を採用しているようだ。だけど、僕はそれができない。ほぼ毎日一回は、「どうしてこんなことをしているのか」「何をすればよいのか」「なんのためにいきているのか」と自問自答してしまう。


 こんな僕を周囲は変に思うだろう(たぶん)。だけど、僕からすれば、どうしてみんなは1を採用できるのか不思議でたまらない。僕は無視できない。生の驚きと恐怖から逃れられない。だけど、この不思議に気付けてよかったと思っている。

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