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何かをしてあげることで生まれる、苦しさ

 僕は、子供の時から気を使う人間だった。

 

 小学生のとき、仲の良かった友達と一緒に遊んでいた。彼の家で朝から遊んでいて、お昼になったので、いつものように帰ろうとした。すると友達のお母さんが焼きそばを持って現れた。二人のために作ってくれたらしい。僕は困惑した。


 いま思えば、ありがたくいただいて帰ればいいのだが、当時の僕は、その行為をありがたく思えなかった。家に帰れば、母がご飯を作ってくれている。わざわざご飯を作ってもらわなくても、家に帰ればご飯はあると思って、食べずに友達の家から家に帰った。


 人に何かをしてもらうというのが苦手だった。「そっとしていてほしい」、それが素直な気持ちだった。おとなしくしているから、どうかそっとしておいて欲しかった。悪くことはしないから・・。


 だけど、周囲はそうしないものだ。ご高齢の方が多い住宅に住んでいたこともあって、大人が子供に関与してくる。そして、子ども扱いをしてくる(子どもだから仕方がない?)。それがいやだった。特に、「これをどうぞ」と言って、お菓子などを渡されると「そんなことしなくていいのに」と思っていた。


 こういう気持ちは、いまも抱くことがある。だから、子供をちやほやしたり、必要以上に心配したり、話しかけたりしないようにしている。別に子供が嫌いではない。子供たちの中には自分と同じように、干渉されるのが嫌だと思っている人もいるだろうから、近づかないようにしているだけだ。


 子どもときに、子ども扱いをされたくなかった大人が、子どもを子ども扱いをするようになるのは避けたい。ただ、それだけだ。



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