表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/71

父親、いなくなるとき、親孝行

 高校生のとき、寝る前にしばしば「もし父親が死んだら」と考えていた。

 なぜ高校のときで、なぜ母親ではなくて父親かはわからない。だけど考えてた。


 想像するたびに悲しくなって泣いていた。それなら考えなかったらいいのにやっぱり考えてしまう。誰かがいない世界。


 世界にいる人々はたえず変化している。その数も、個人も変化する。死んでは違う人が生まれる。ただ、僕はその人を知らない。そうやって、細胞のように人々は移り変わる。だけど、死んでほしくないと思う人がいる。生命体にとってこっちの都合は関係ない。昨日までと同じように、日々更新されていく。


 ある時から「父親がいなくとしたら」と考えても、泣かなくなった。いなくなってからでは、僕にできることは何もない。いいお墓を用意したって、毎日お供え物をしたって、僕は満足しないだろう。悲しいままだ。


 親孝行は、死ぬまでにやらないといけない。親が死んだら、あるいは僕が死んだら、親孝行は不可能なものになる。生きているその時のみ、僕は親孝行ができる。父が死んだ後ではできない。あたりまえだ。だけど、そばにいる人はいつまでもいると思ってしまう。明日も今日も。でも、それは永遠じゃない。それもあたりまえ。だけど、そのあたりまえで後悔する人もいる。



 母親は、毎日仏壇に向かうようになった。母方の祖父が死んでからだ。

 ご飯を食べる前に仏壇のもとへ行く母親を見て、僕は親孝行を知った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ