僕 と 相手
塾でバイトをしている。今まで、ずっと塾バイトを渡り歩いてきた。
で、思うことがある。
塾の講師をやっていると、この説明だとダメだなぁと反射的に気づくようになる。そして、生徒のリアクションも「いまいちわかりません」といった感じ。すぐに自分の説明を変える必要がある。
なぜ、反射的に気づけるようになるかというと、常に相手になっているからである。自分が一応、先生として何かを伝えている。それと同時に、生徒から自分を見ているもう一人の自分がいる。それは、簡単に言えば、相手の立場に立つことを意味するが、相手の知っていることまでなりきる必要がある。つまり、この生徒であればこのことは知っているが、このことは知らないだろうと。
講師が往々にしてやってしまうのは、「もう二年生だから、一年生のことは知っているはず」と前提する場合である。それは、相手になりきれていない。あくまでも自分の理想を相手に押し付けているにすぎない。
「自分でありつつ、相手でもある」ということは、いろいろな場面で役立つ。ディスカッション、説得、おしゃべりなど、コミュニケーションの場面では当然求められる。試験でも、どんな問題が出るか予測をつけることができるだろう。
この能力なしに話をすれば、相手のことを考えずに自分の好きなことをべらべらと話してしまい、相手を置いてけぼりにしてしまうだろう。それは、自分の世界しか見えていない、狭い視野の持ち主を示していることになる。
「こうならないように気をつけろ」と今日も自分に言い聞かせているが、なかなかできない。




