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もしラディカルなミニマリストだったら・・。

 昨日、ドラマの中でラディカルなミニマリストが登場していた。

 もちろん、ドラマの中の存在でフィクションではあるが、「ミニマリストはラディカルにはなれないのでは」と思った。


 そのミニマリストを、一言でいえば、「いらないものは、すべてなくす」。家具は何もなく、必要最低限だけのもので生活をしているという設定。確かに、断捨離というワードを聞いたことがある。それを徹底すれば、あらゆるものが無駄に見えてきて、自分の周りのものを捨て続けることになるのかもしれない。


 しかし、ミニマリストはラディカルになれないだろう。ドラマのミニマリストは、彼女も捨てたということであったが、どうして自分は捨てなかったのだろうか。いや、別に悪い方向に話を持っていきたいのではない。ただ、理屈だけでいえば「どうして自分は必要なものだと言えるのか」というのが疑問になる。


 人間を卑下しているわけでもない。だけど、この問いに答えるのはなかなか難しいと思う。それに答えるとすれば、「誰もが持っているかけがえのないもの」「命は尊い」「人権」という何か超越的な概念、絶対的な概念を持ち出さないと支えきれないように思える。だけど、ミニマリストはそれで納得するのだろうか。「そんな概念は、フィクションだ。人権なんて見たこともないし、もらったこともない」と言い出せば、どうすればいいのか。

 

 しかし「なぜミニマリストであることがいいのか」という問いに対して、彼らはどう答えるのか。「無駄は必要ない!」と言いそうだが、それは同語反復に聞こえる。無駄は、必要ないから無駄と言われているからだ。「じゃあ、なんで無駄はダメなのか」と問い直せば、ミニマリストはどう答えるのだろうか。「だって、その方がいいじゃないですか」というのかもしれない。


 そうだとすれば、僕は思うのです。ミニマリストであることもまた、それ以上問えない根拠によって支えられていて、それ自体もまた無条件の概念を用いていると。


 少し、話が逸れてしまった。もとい。「なぜ自分は無駄ではなく、必要といえるのだろうか」



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