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終わり、振り返り、死
物事の終わりは、知らぬ間にやってくる。
友達と別れるとき、「またね」と言う。だけどそれが君との最後だとは、しばらく経ってからでないと判わからない。中学生のとき、よくみんなでバスケットボールをした。だけど、みんな大人になってもう集まることない。みんなで遊ぶこともない。みんなでバスケットボールをしたのはいつが最後だったのか。
終わりは、振り返った時にわかる。時が過ぎ、「あぁ、あれが最後だったのか」と。まさに、その終わりとき、みんなは気づいてはいない。みんなでバスケをすることも、みんなが一堂に揃うこともこれが最後だとは気づいていない。
死も同じかもしれない。死は、人生の終わりである。だとすれば、死は、死んでからしばらくして気づくのかもしれない。「あぁ、俺は死んだんだ」と。
しかし、それは論理的におかしい。死んだ後に僕はいない。振り返って、死んだことを僕は認識できない。僕は、もういないのだから。だとすれば、死という人生の終わりを、僕は気づかぬままに迎えることになる。
僕の死はないのである。




