無意識の自己理想化
僕たちは、様々なものに対して評価しています。ゲームを買えば、そのコンテンツは面白いのか、バグはないのかなど。人間が行う評価は、同じ人間に対しても行います。あの人は、いい人か、悪い人か。仲良くしておいたほうがいいのか、それとも役に立たない人なのか。人間同士の評価からは、残酷性も感じ取れます。
どんなに評価に厳しい人でも、どんなに客観的に捉えようとする人であっても、自分自身を評価することは苦手です。なぜか自分には優しい評価になってしまう。それが人間でしょうか。きっと、自分で自分を苦しめたくのでしょう。僕だってそうです。
「あの人って、性格悪そうじゃない?」って他人を評価している人は、性格が良いとはいえないでしょう。しかし、こんなこと言っている僕自身もまた、性格がひねくれているかもしれません。自分に対する評価は、甘いのかもしれない。
自分で自分を客観的に見ること、これはなかなか難しいことです。自分の声を録音して、聞いてみたことがあるでしょうか。僕は、落ち込みました(僕だけ?正確に言うと、録音された声は、肉声とは異なりますが・・・)。自分のことを自分が一番わからないものです。
自分に対して、人間は甘い評価をつけることを認めるとすれば、僕たちにできることは、自分に対して厳しく評価するしかない。意識的にそうするしかない。それが可能になれば、周囲からどのように見られているか、わかるようになる。つまり、「謙虚である」というのこういう姿勢を指すのだろうか。




