批判ではなく、説得する難しさ
研究発表がありました。
二人の発表者がいて、僕は二番手です。一人目の発表者は、私の先輩ですが、何か気弱な雰囲気。三十分程度の発表を終え、1時間の質疑応答に移りました。案の定ですが、発表者は、ボディを何回も殴られるような反論や疑問、批判にさらされ、見てはいられない状態でした。この発表の後は、僕の出番です。帰りたい気分です。
で私の発表は、結果からいえば、上々でした。というのも、質問がなくなったり、会話が続かないようなことがあるのでは、と思っていたのですが、会話も途切れることなく、終えることができたからです。質問も、批判といった感じではなかった。もちろん、聞いている方々は、前の発表者の時と同じ方々です。なぜ、僕はボディブローを食らわず済んだのか。
もしかしたら、新人の僕に気を遣ってくれたのかもしれません(一つ上の先輩は、自分が新人の時に、結構言われたと言っていましたが・・・)。しかし、今ゆっくりと思い返すと、他にも要因があったと思います。それは質問に対して、「わかりやすく答えよう」と心がけたことにあります。話をずらすのではなく、正直に。わからない時には、「わからないです」と言う(ただ、あまりにわからないを連発したら、責任逃れになります)。わかりにくい話は、相手にフラストレーションを溜めさせるだけだからです。
個人的に、「批判」は好まない。「批判」というのは、相手の主張が間違えていることを示すことです。論破も同様です。「批判」は相手の主張が間違えていることを示すことでしかありません。しかし、人間ってそれでは変わらない。
僕は哲学を学んでいます。哲学に関わるものは、相手の主張を論理的に批判すれば、相手がわかってくれると考えている人が多い。しかし、相手が変わらなければ、意味がないのではと僕なんかは思う。批判ができたとしても、相手は主張をすぐには変えないでしょう。なぜなら、プライドがあるからです。
では、どうしたらいいのか。相手に説得的に語るしかない。「説得」というのは、相手が考えを変えるように語ることです。相手が自ら気づき、自分で考えを変えさせる。ソクラテスは、相手に何かを教えていたのではなく、何かを気づかせた。人は、教えられるだけでは変わらないです。自分で納得し、自分で選択したと思わない限り、変わりません。そのために批判は必要だとは思います。ですが、それで終わっては、ただの攻撃です。相手は、攻撃を食らっても、何事もないように今後を過ごすかもしれません。
いかに、説得的に話をできるか。発表するたびに悩みます。




