パターン以上の何か
僕は、ほぼ毎日ゲームをしている。周囲の同年代があまりしなくなったのを見て、いまだにこうやってテレビゲームをしているのは、もはや立派な趣味なんだと最近気づいた(それまでみんなゲームが好きだと思ってた)。
今は、PS4(プレステーション4)で「レインボーシックス」というFPS(主観の視点で、銃撃戦を繰り広げるタイプと考えてください)のゲームをしている。そのゲームは5対5で行われ、片方が室内にこもるテロリスト、他方が外から侵入する特殊部隊になる。勝利条件は、ルールによって異なるが、どちらかのチーム全員が死亡したら、そのチームは負けになる。つまり、やられたら終わりである。
そんなゲームをほぼ毎日しているわけだが、とても興奮する試合というのは、一週間に一度あればいい方である。興奮する試合というのは、これまでにないパターンの展開に出会ったときである。
5対5で試合をするわけだが、攻め側であろうと守り側であろうと、ある程度パターンは決まっている。「あそこは補強して守らないと・・」、「ドローンで中を確認して・・・」など、確実な行動パターンはある程度決まっているので、結局のところエイム力(狙い撃てる技術)や運が左右しているとも言える。
しかし、完全に裏を突かれる時がある。その時に、「なるほど、その発想はなかった」と思わされる。例えば、見たことのない位置からのエリア外攻撃、配置物の上に乗った奇異なポジショニング、積極的な裏取りなどがある。それは、このゲームを何度もしたことがある人しかわからない意外性であって、端の人から見たら、その面白さを理解することはできない。
これは、ゲームに限ったことではない。意外性やアイデアは、パターンが出来上がったものの中で起こる、ほんの少しの意図的な変化であるのかもしれない。そして、その変化を起こすには、今までのパターンに慣れていては起こせない。「それは、してはいけない」と考えていたこと、言われていたことを再考し、あえてそれを行うことで、意外性やアイデアは新しいパターンを提案する。そして、それはまた死んだパターンとなり、新たなアイデアが生まれる機会を提供する。