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もし人間に変わらないものを認めるとしたら

 人間には、変わらないものがあるらしい。例えば、才能。他の人より野球が上手なのは才能で、それは生まれつき備わったもの。他にも、「そういう性格だから・・」や「そういう考え方だから・・」という時、私たちは変わらないもの、変えられないものを想定している。


 この考え自体がすでに使い古され、頑固な汚れのように、なくなることもなく、不変なものとして存在している。だけど、それは変えられないものではなくて、「変えることが難しいもの」程度の意味ではないのか。僕は、そう捉えたい。そう考えた方が、人間はもっと変幻自在になり、常識や先入観に囚われず済むと思う。そっちの方が、素晴らしい人生を送れると思う。これは、自己イメージの転換といえる。


 もし恋人がいるとして、なぜ恋人同士なのかといえば、「性格が似ていたから」としよう。しかし、もし性格の不一致があるとき明らかになったとき、二人はそれで終わりなのだろうか。性格というものを、変わることがない、その人に固有のものだとすれば、「性格っていうのは変われないし、変えられないものだ」ということになる。あなたは、この考えに賛成するだろうか。


 個々人には、それぞれ個性があるということを強く打ち出す現代であれば、「性格はその人の個性で、アイデンティティである。だから、変えようとするものではなくて、受け入れるべき」という人がいるかもしれない。その考え方に反対はしない。ただ、僕が気になるのは、「性格は、個性で、変わらないものなのか」ということである。性格は、変えられる。だから、二人が性格において、不一致が生まれても、一致させれる可能性はある。僕はそう思う。

 

 なぜかと聞かれたら、単純に「変えれるでしょ」というしかない。怒りっぽいなら、なぜ自分は怒るのか、頭にちがのぼったら深呼吸をするようにするなど、怒りがちな性格を変えることはできる。整理整頓ができない性格なら、毎日10分でいいから、清掃の時間を設ければいい。やろうと思えば、ある程度のことはできる(さすがに、あらゆることができるとまでは思わない)。


 何かを「変えられない」と考えることは、自分自身が持つ可能性を消し、自分自身を意図的に縛り付けいているように、僕に思える。それに加えて、そっちの方が楽だと考えている人すらいる。僕は、そんな生き方をしたくない。「自分は変えられる」、ただそれは難しいだけ、不可能ではない。


 難しいと不可能を区別すること。これだけ、自分の生き方は大きく変わる。


 


 

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