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きっかけは、覚えてない

 僕は、きっかけを忘れていることが多い。


 例えば、僕は哲学を専攻しているが、「なぜ、哲学を学ぼうと思ったのですか」と聞かれたら、僕は困り果てる。実際、それに似た問いを投げかけられたことがある。なぜ困るのかと聞かれた、それは単純に覚えていないからだ。池田晶子に関する著作を読んで哲学に興味を持った・・と言ってもいいが、「どうして池田晶子の著作を読もうと思ったのか」と聞かれたら、正直何も答えられない。「全く覚えてない」としか、言えない。


 大したことのないきっかけ(たとえば、ある本を買おうと思ったきっかけ、そのバイトを選んだきっかけなど)であれば思い出せる。この違いは、なんだろうか。


 「大学で何を専攻するか」は、悩みであった。一浪することもあって、ゆっくりと考えた結果、哲学を専攻することに決めた(現役の時は哲学を志望していない)。そのような、ゆっくりと何をしたいか吟味した場合、あらゆることを契機としているので、そのうちのどれがきっかけと言えるものであったか、わからなくなる。

 これは、様々な情報をインプットした結果であって、つまり吟味すればするほど起こることである。ただ、安直な決定ではないので、その決定に満足することが多い。


 どうしてこれをしているのかわからないけど、今やっているという状態は、後悔しないことが多い。むしろ、楽しい場合が多い。逆に、「〜のために」というきっかけ理由が明確な時ほど、やっていてつまらないし、しなければよかったと後悔することも多い。


 来年は、就職活動の年になる。「なぜ、この仕事を選んだのですか?」ときかれても、僕は困ります。




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