本 わくわく 前書きと後書き
まえがきは小説ではあまり見慣れない(小説にまえがきがあったら、作者が小説の物語を破壊してしまうからか)。評論ものや専門書には、まえがき(序章)がある。私は、毎日何かしらの本を読むが、一番ワクワクするのが決まってまえがきである。
というのも、そもそも本を手に取るということは、その本がおもしろいはずだと思ったからである。この本は、僕にどんな知識を、どんな情報を、どんな世界を教えてくれるのだろうかとワクワクする。特に、専門書(哲学)にその傾向が強いのは私だけだろうか(ただ、哲学書の場合は、序章でさっそく挫折させられるパターンがあり、このワクワクがガクガクに変わる)。これは、楽しみにしているものに当てはまる傾向にある。僕の場合、発売したばかりのゲームをするときにもこの感覚がある。
しかし、あとがきまでこの感覚が残っていることは少なく、あとがきを読んでいるときにまだワクワクが残っている場合、それは自分にとって良い本である。むしろ、「もう、この話が終わってしまう」という一種のもの悲しさすら漂う。この感覚は、感じようと思ってできるものではない。同じ本を読んでも、それはもう読んでしまった本であるし、同じ素晴らしい本が他にあったとしても、それがどれかは読むまでわからない。ひょっとしたら、もう出会うことができない感覚かもしれない。
終わりよければすべてよしというが、終わらないでと思えればすべてよし、なのかもしれない。