六
一週間の後、日向は目を醒ました。判然と目を開き、其の瞳は移ろう事は無かった。医師は、其れを観て、大丈夫だと言った。まるで信じる事の出来ない其の言葉に、僕は何故か安堵した。ひょっとしたら嘘かも知れないのに。けれども、彼女は生き返ったかの様に言葉を紡いだ。覚束無いながらも、真実を述べた。“癲癇”。其れが彼女の病名であった。僕は其れをしかと理解出来ない事を恥じた。“覚悟を”と云う言葉は、もう二度と意識が戻らぬ場合が有ると、そういう事だった。医師が云うのだから先ず間違い無いのだろう。実際にそんな例を観ているのだろうから。ならば、然し、僕はそんな事にはしたくない。当然だ。心を通わせた者を見捨てるのなら、自身が死す可きだ。流石に大袈裟な考えかも知れないが、僕にとっては其れが凡てだった。目を醒ましたとはいえ、未だに現実感に染まっていない意識と戦いながら話をする彼女を、僕は何としても護りたいと思った。
幸い、金銭の面では苦労する事は無かった。彼女の両親が、手切れ金の様にして渡した通帳が有ったからだ。正直、僕だけでは救えなかった。理由は兎も角、一応の金を用意していた彼女の両親には、嘘だが、心から感謝した。御蔭で、彼女と離れなくとも好かったからだ。
然し、後から医師に聞いた話だが、“覚悟はした方が好い”らしい。……したくもない。何故だ? 彼女が何をした? 生まれた事が罪なのか? 有り得ない。少なくとも、僕と出逢ったのだ。其れが間違いだなどと、誰にも云わせない。決して。この命を懸けて……。
僕は目も視える。耳も聞こえる。匂いも感じる。味も解る。触れた感触も間違い無く理解出来る。そして、彼女も又、そうなのだ。何が悪い。何が赦されない。仮に神が居たとしたなら、其の罪を贖わせて遣ろう。
之まで彼女は散々な恥を掻かされた。素っ裸で院内を引き回された事も有るそうだ。救う人間と、救われる人間と、何方が正しいのだろう。一々云うまでも無い。若し解らない者が居るなら、判然と云おう。倫理と道徳、常識を知らぬ者だ。
そんな人生は辛過ぎる。哀し過ぎる。だから、僕は決意した。