彼女の素性
寂しい波音だけが部屋を反響させている。
かれこれ、小一時間、彼女は目の前の壁に描かれた絵に向かって黙っている。
長い長い午前の時間。
僕はというとそれ程、絵を描きたい気分でもなかったのでそれでも良かった。
それよりもむしろ僕は彼女の方に興味を持ち始めていた。
長い真っ黒の髪、すらりと長い手足、眼は細いが端正な顔立ちがそれを逆に際立たせていた。
「ねえ」
急に彼女が話しかけてくる。
「うん」
「この絵、あなたが描いたの」
「ああ・・・」
「私ならこの馬、牛になっちゃう」
それは草原を走る麒麟をイメージして描いたものであったが、彼女にはどうやら馬に見えたらしい。
「そろそろ、しようか」
僕がこう告げると彼女は呆気にとられた顔をして言い返した。
「するって、何を?」
「モデルさ、そろそろ描こうかと思ってね」
「描く?」
「ああ・・・」
何か僕は可笑しなことでも言ったのだろうか。
「私を?」
「僕と君以外の人間が見えるかい」
「何で?」
「・・・。」
何かがおかしい。
「君、モデル会社の人間じゃないのかい?」
「私、ここに来たら大丈夫って姉に聞いてやってきたのだけど・・・」
「ん、君は僕の事知ってるの・・・?」
「いえ、ただ今朝、姉に追い出されていくアテがないと言ったらここへ行けと・・・」
僕は面倒くさい事を頼まれることに慣れていないんだ。
「悪いけど、他あたってくれる」
「でも・・・」
先ほどの彼女に対しての興味はすっかり何処かへいってしまい、今はただこんな女なんか招き入れた自分を呪った。
先ずは彼女の姉の素性を聞き出し、その後ゆっくりこの女を追い出す算段を立てよう。