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夏の扉の扉

作者: 能勢恭介

 私は望まれて生まれてきた。私は何よりも望まれて、生まれてきた。私が望んでいたかどうかは問題ではなく、要するに私を欲した二人によって、私はこの世界に湧きだしてしまった。そう、この世界はいくつも同じ形の泡が浮かぶ水面なのだ。水が汚れているか澄んでいるかもやはり問題ではなく、私が水面に顔を出してしまったことの方が重要で、省みることもなく私を水面に引っ張り上げてきた両親を、私は憎むべきなのかもしれない。いや、きっと憎んでいる。

 私は望まれて生まれてしまった。両親は私が欲しくて欲しくて仕方がなかった。どうしても私が欲しかった。だから、私は望まれて生を受けた。抗うこともできず、私は生まれた。

 学生の頃、屋上でラジオゾンデを上げているとき、声を聞いたような気がした。それは気のせいだったのかもしれない。けれど私の脳は、はっきりと声を聞いた。あの日の空を、私は忘れることができない。見上げる空の頂点は怖いくらいに青くて、そう、エアブラシで吹きつけたアクリル塗料のように濃淡がなく、触れれば指先にその青が残るのではないかと思うほどに生々しい青で、首をめぐらすと暮れようとしている太陽を浴びて、色ガラスのグラデーションを思わせるようなピンク色が西の地平を彩っていた。なんとなく作り物めいて見えた。私の目には。それくらいに美しかった。それまで見上げた空の記憶に、あれほどの青さはなかったし、ピンク色のグラデーションもなかった。私は研究室が設置したパルス・ドップラーレーダーにもたれかかって、首の痛さに我を思いだすまで、ずっと空を見上げていた。ラジオゾンデがどこを漂っているのか、同じ研究室の先輩が声をかけてくるまで気がつかなかった。背中に感じるパルス・ドップラーレーダーの鋭角なラインも感じなかった。助教授がどこかのつてで払い下げてもらってきた、かつて戦闘機の機首にくっついていたというレーダーはバカみたいに電力を食うので、せっかくの性能ももてあまし気味だった。あの時も電源は入っておらず、私のいい背もたれになっていた。

 名前を呼ばれて私は初めて、自分がいる場所を思いだした。研究室棟の屋上、北を向いた建屋、その先は海。水平線はまだ見えないが、あと数年もすれば、きっとすぐ足もとに波打ち際が迫ってくるに違いない。私の知る世界は、知らないうちに知らない形になっていく。知っている風景は、気がついたら知らない場所になってしまう。けれど、空は違う。

 私は「知っている空」を知らなかった。いつ見上げても、同じ色を見たことがなかった。流れていく雲も漂っている雲も、石狩湾の上空に停滞し、裾野を真っ黒に染め上げて雨を降らせる積乱雲も、同じ形はなかったし、同じ姿だって一秒もとどめていなかった。だから私は空を見上げるのが好きだったのかもしれない。作り物ではなかったからだ。それらすべてはある最低の法則を守るだけで、あとは気ままだった。気ままな形で気ままな場所に気ままに流れた。うらやましいと思った。

 私は両親に望まれて生まれた。私は両親に望まれて、作られた。

 私は作り物だった。

 私はオリジナルじゃない。

 そのことをいつ知ったのかは覚えていない。遺伝学の初歩の初歩の初歩を学んだときだったかもしれない。血液型の話だった。私は自分の血液型を知らなかった。けれど、両親の血液型は知っていた。<機構>の認識票でそれを見たからだ。私は<構成員>ではなかったから、まだ認識票は持っていなかった。だから、私は<機構>の管轄する医療局に保険票を持って出かけた。自分の血液型を知るために。なんどたずねても、私の両親は私の血液型を教えてくれなかったからだ。あれはいくつのときだったろう。

 医療局で<ターミナル>に保険票をスキャンさせ、私はしばらく待った。テレヴィジョンでは、<機構>のプロパガンダ番組が流れていたように記憶している。アトリウムが窓から見える医療局の中は幾分混み合っていて、私は血液検査のためだけにここを訪れた自分に、負い目を感じはじめていた。やがて看護婦が私を呼び、私は恐ろしい手際のよさで血液を抜かれ、そしてまたプロパガンダの流れる待合室に戻された。待っている時間の方が長かった。

 私は知った。

 遺伝学的に、私は絶対に両親から生まれた子供ではなかった。法的には私は両親の娘だった。けれど、生物学的には、私は両親の娘ではありえなかった。

 私は自宅に帰り、両親に問い詰めた。あれはいくつのときだったろう。私は少し聡明すぎる子供だった。いまにして思えば、それもまた不自然そのものだった。私は作り物だったから、だから「あんなに」勉強ができたし、運動能力も高かったのだ。

 <機構>はDNAの売買を禁じている。優生遺伝子の売買を禁じていた。平たく言えば、クローンを<機構>は禁止していた。けれどそれはお題目に過ぎず、たとえば前世紀、違法なクスリを欲すれば、どこからともなく手に入れることができたというように、ルートさえ開拓すれば、クローンを製作することなど造作もなかった。

 そうして私は作られた。

 私は私の知らないオリジナルの遺伝子をそっくりそのまま受け継いでいた。

 突出した知能レベルと、突出した運動能力。私はいまのいままで病気らしい病気に罹ったことがなかった。クラスのみんなが流感で熱を出しても、私はくしゃみひとつすることがなかった。不思議に思ったことはなかったが、あれは単に私が生来ワクチン遺伝子を備えていたからだ。私が作り物だからだ。

 だから両親は私を欲した。

 両親は私のことが欲しくて欲しくて仕方がなかった。

 そして、私は知った。

 私はひどく醜い。

 流れる雲や風や、パルス・ドップラーレーダーで見る低気圧の中心の方が美しかった。誰が作ったわけでもない空の色を、私は美しいと思った。

 声が聞こえてくるまでは、私は私を欲した両親を生涯憎み、そして私は独り生きていこうと思っていた。ひっそりと、作られた私を受け入れてくれているこの自然を眺めて。

 ラジオゾンデを回収しようとしたあの時、私は聞いてしまった。

 南の空に大きな積雲が湧き立っていた。日を浴び、せり上がってくる雲から、私は目を離すことができなかった。呼ばれたような気がした。先輩の声ではない、私の中に、直接響いてくる。

 お前は、ニセモノだ。

 と。

 私は凍りついた。

 お前はニセモノだ。

 聞こえてしまった。

 私は、もう動けなかった。

 許してくれていると思っていた。雲や風や空は、私を黙って受け入れてくれていると思った。

 錯覚だった。

 世界は変わりつつある。

 私の知っている風景は、やがて私の知らない風景になっていく。

 私はそれらをピンで留めてアルバムにしまうことすらできない。風景は私の記憶の中でだけ、もとの形をあいまいにして綴じられる。それだけだ。目の前の風景は絶え間ない変化の中で、それが当然だと言わんばかりの顔をして、私を無視していく。

 ずっと無視され続ければよかったのに。

 私は声を聞いてしまった。

 お前は、ニセモノだ。

 そうして、私は、私の未来という時間が音をたてて崩れ去ったのを知った。

 研究室の先輩たちに羽交い絞めにされ、半狂乱になった私はそのまま学内の付属病院に放り込まれた。鎮静剤を山ほど注射され、拘束具でがんじがらめにされ、そして私の未来はあの夕日のかなたにすっ飛んで行った。

 気がついたら、私は<施設>にいた。

 <施設>で、私は自室の窓から見える、切り取られた風景だけを眺めて生きることになった。どこかで安堵している自分もいた。

 もう、外には出られなかった。

 恐ろしかった。

 あの日の積雲が、今でも街の上空に、暮れかけた日を浴びて湧きあがって入るような気がして、怖くて怖くて仕方がなかったからだ。

 <機構>の医療局で、私が両親の生物学的な娘ではないことがはっきりと証明された。私はどこかにいるかもしれないオリジナルのコピー品だと、<機構>ははっきりと断言してくれた。保健衛生局の取調べを受けた両親は莫大な保釈金を積み、そして私を手放した。<機構>と両親でどのようなやり取りがあったのかを私は知らないし、知りたくもなかったから知らなかった。要するに、両親は私を手放したのだ。

 流れ着いた先がここだった。

 <施設>は街の外れの、やがて近い将来水没することがはっきり分かっている荒地に建っていた。

 でも私には関係なかった。もう外には出たくなかった。

 声が、聞こえそうだったから。

 もう、私を受け入れてくれる場所は、どこにもないから。


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