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その二

 それから三十分ほどで映美の支度も整った。こういうときは、化粧気の無さとかがありがたい。

 春も半ばとあって気温も高くなってきた。空は青く晴れ渡り、気持ちの良い日だ。気分が清々しいだけで、空の見え方も違ってくる。

「で、どこに行きたいんだ?」

「京都」

 迷うことなく返事する映美。二時間もあれば京都には辿り着く。時間が早いので手ごろな距離といえよう。グッドアイデアではないか。

「よし、じゃあ出発するぜ」

「おー」

 愛車の青い軽自動車に乗り込み、勢い良くエンジンキーを回す。心地よい振動が体を震わせ、それと同時に流れ出すドライブに最適のポップス。しかし、そのイントロが終わるよりも早く、映美の手がイジェクトボタンを押していた。

「こんな曲、きらーい」

 その役割を十分の一も果たすことなく吐き出された銀色の円盤。虹色に輝く盤面が少し寂しげだ。片手にそれを持ったまま、慣れた手つきでダッシュボードを開けて赤色のCDケースを取り出した。映美の持ち込んだ物で、中には当然特撮のCDがわんさか入っている。何枚か綴られている中から映美は一枚取り出してスリットに差し込んだ。俺のCDは代わりに開いたスペースに収められ、ケースもダッシュボードの中に戻された。

 スピーカーから流れ出したのは、先ほどよりもテンポの速いメロディ。確か車を題材にした戦隊物の主題歌だったと思う。

「よぉし、改めてしゅっぱーつ」

 映美の号令。やや盛り下がった気分で俺は「おー」と相槌を打ち、アクセルを踏み込んだ。

映美の差し込んだCDは、主題歌集ではなく、サウンドトラックの類だったようで、ビデオで見せられたときには流れなかった曲も多数入っていた。映美はその全てを口ずさんでいる。ここまで来ると、一瞬凄いなと思わせる部分まで出てくる。


 俺と彼女が知り合ったのは、一昨年。母校の大学祭に言ったときのことだった。後輩からの連絡で、ゲストに俺の好きな漫才師が来る、ということで俺は久しぶりに母校の土を踏んだ。 そんなに大きな大学ではないが、大学祭ともなればかなりの活気が出る。後輩は出店する側に回っていたが、俺はその店を開いているクラブとは直接面識も無く、従って時間になるまでは適当にぶらついているしかなかった。

「おにいさーん、焼きソバはいかがですか?」

 暇を持て余す俺に声を掛けてきたのが映美だった。

 カジュアルなトレーナーにエプロンと三角巾を付け、足元はジーンズとスニーカー。小柄で幼げな顔つきの彼女は、どう見ても大学生には見えなかった。最初はお姉さんが大学にでもいて、手伝いに借り出されているのだろうと思っていた。女子大生と知り合うのもいいかもしれないという考えが頭を過ぎったので、俺は頂くことにしたのだ。

「ああ、いいよ。貰うよ」

 快くそう言って、ついでににっこりと笑ってみる。それを見た映美は少しだけ不愉快な顔をした。それに違和感を感じつつ、発した次の言葉がいけなかった。

「休みの日に手伝いなんてご苦労様。お姉ちゃんでもいるの?」

「は?あたし、ここのOGですけど?」

 俺の質問に対して、不快感を顔全体で表しながら映美はそういった。もはや笑顔に戻そうともせず、刺剥き出し。

「まさか、だってどう見ても・・・」

 女子高生といいかけたが、映美の視線があまりに鋭利で俺は口をつぐんだ。俺の不用意な一言のために非常に険しい空気が漂う。どうにか謝ろうと考えたが、声を掛けることすらためらわれる空気になってしまっていた。

 やがて立ち並ぶ露店のなかの一つに案内された。

「由香ちゃんお客さん」

 映美は鉄板の向こうで焼きソバを作っていた女の子に声を掛けた。

「あ、映美さん、ありがとうございます」

 「さん」付けの上に丁寧語。映美は勝ち誇ったように僕に視線を送り、それからまた客引きにだろうか、立ち去ってしまった。

「いらっしゃいませー」

 由香と呼ばれていた女の子が僕に微笑みかけた。

「あ、焼きソバ一つ」

「はい、ありがとうございます。ドリンク、百円で付けられますけど?」

 セット販売作戦だ。さすがは大学生。この強かさは侮れぬ。とはいえ、確かにドリンクがあったほうが食べやすいかもしれない。プラのパックに入れられた焼きソバはどう見てもうまそうには見えなかった。

「あ、じゃあ付けて」

「ありがとうございまーす。ここから選んでくださいね」

 差し出されたのはダンボールにパソコンで打ち出したメニューを貼り付けた板だった。油がはねてよれよれになっている。

「んじゃあ、ウーロン茶」

「はい、少々お待ちくださいね。ウーロン茶一つお願いします」

 ドリンクのケースの前にいた青年に由香ちゃんはそう呼びかけた。青年は「はい」といい、プラのコップにケースから取り出したウーロン茶を注いでいく。それを待っている間に俺は由香ちゃんとやらに話しかけてみた。

「ここは、どのサークル?」

「映像研究会ですよ」

 映像研究会、聞いたことが無い。まあ、分けのわからないサークルが群雄割拠しているのは大学の常識だ。多分、全てのサークルを知っている人間なんていないと思う。

「さっきの人は」

「ああ、映美さん。OGの人で手伝って貰っているんです。好みですか?フリーらしいですよ」

 由香ちゃんはこういう話が好きそうだった。なんとも言えず、曖昧に笑ってしまう。

「最初、高校生が手伝いに来ているのかと思って、失礼なこと言っちゃったよ」

「ああ、本人も結構気にしているみたいですよ。それでツンケンしてたんだ。映美さん、あ、夏樹さんて苗字なんですけど。あの人結構人懐こいところがあって、わりと愛想は良いんですよね。あんな見てくれですけど、特撮の知識とか多分サークルでかなう人いないんじゃないかな」

 よほどおしゃべりに飢えていたのか、それともこういう性格なのか、由香ちゃんは聞いてもいないことをぺらぺらと喋ってくれる。喋っている間にも手は器用に動き続けていることが見ていて面白かった。ちなみにこの話を聞いたとき、俺は「特撮技術」いわゆるSFXに詳しい女の子だと理解していた。まあ、確かにそっちのほうも詳しかったんだけれども。彼女が言う知識とは特撮番組の知識だったわけで。この後映美に無警戒に近づくことになったきっかけはこの辺の誤解もあった。

「悪いことしちゃったなぁ」

「あはは、映美さんは怒ると怖いですよー。ちゃんと謝っておいてくださいね。はい、ウーロン茶」

「ああ、どうも」

「ありがとうございまーす」

 元気の良い由香ちゃんに見送られ、俺はその場を離れた。席を探しがてら、さっきのことを謝ろうと映美さんを探したが、結局このときは見つけられなかった。ちなみに焼きそばは案の定不味かった。


 この後、後輩と合流してミニライブを満喫した俺は、例もかねて後輩を食事に誘ってみた。

「いやー、この後、店のほうの打ち上げがあるんですよ。一応顔を出しとかないと不味いんで、良かったら先輩がこっちに来ませんか」

 逆に誘われてしまったが、それは丁重にお断りした。人間が密集する場所は好きじゃない。面識もないし。

 それで後輩と別れた俺は、仕方なく速やかに撤収の事となった。車を止めたパーキングまで、最後の名残に大学を通り抜けていくことにした。ブラブラと歩いていた俺の視界に、さっき知った顔が飛び込んできた。映美だった。俺は最後のチャンスとばかりに声を大にして呼びかけた。

「映美さーん」

 当然振り向き、そして呼びかけたのが俺だと知ると、ちょっと嫌な顔をした。そりゃそうだ。それでもとにかく俺は謝っておきたかった。立ち止まってくれたので、小走りで映美に近づく。

「何?何であたしの名前を知ってるの?ストーカー?」

 接客モードも終わった彼女は非常につっけんどんだった。

「いや、あのカウンターの子に聞いたんだ。一言謝りたくて」

「由香ちゃんめ・・・、おしゃべりね」

 やはり、あの子はお喋りだったか。それはいい。

「さっきは失礼なことを言ってごめん。知らない事とはいえ、悪かった」

 僕は素直に頭を下げた。頭を上げると、まだ疑わしげではあったが、若干和らいだ映美の顔があった。

「まあ、見ての通りちっちゃいし、そういわれても仕方ないんだけどね。よく言われるし。老けて見えるよりはマシかもね」

「もし良かったら、お詫びに食事でもどう?」

 今にして思えば、完全な軟派だ。しかもあんまり上手くない。

「えっ・・・」

 一瞬戸惑った声を上げた映美。何となく可愛いと思ってしまったのが始まりだった。

「駄目かな?俺も夕飯を食べに行くところだったんだけど、一人じゃ寂しいし」

 しばらくの間があって、それから映美が口を開いた。

「そうね、まあ悪いやつじゃ無さそうだし、暇だから別にいいけど」

 薄暗くなってきたせいでこのときは気付かなかったけど、映美は相当焦っていたらしい。軟派なんて生まれて始めての経験だったそうだ。どうりでホイホイついて来た訳だ。


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