その一
「おおー、いよいよだー」
俺の部屋に響く能天気な声。俺の睡眠を妨げる声は、最早騒音だ。狭いワンルームマンションだから、どうしても耳に入ってくる。日曜の朝っぱらからこんな声を上げるやつを俺は一人しか知らない。
「うるせぇぞ、映美!!」
俺は眠い目を擦りつつ、布団の中から怒鳴りつけた。
「合体、精霊王エレ・キングー」
聞こえていないかのようにはしゃぎ続ける映美。
俺は布団の上で上半身だけ起こした。視線の先にはTシャツとパンツというあられもない姿でテレビに噛り付いている小柄な娘。起き抜けそのままの姿でテレビをつけたらしく、伸びた髪はばさばさだ。なんて色気の無い姿だろうか。起き上がった俺に気付いていないかのごとく、画面に映っている特撮のロボットに見入っている。
夏樹映美。俺の彼女だ。
映美とは付き合い始めて彼是一年半になる。結婚はしていないけど、二ヶ月ほど前から映美はうちで暮らし始めた。誘ってみたらあっさり快諾してくれた。けど、そのときにはこんな習慣があるなんて、一言も言わなかったから、そのときにはこれから彼女と一緒にいられるかと思うと幸せなどを噛み締めてみたりしたものだ。
でも、その幸せに純粋に浸っていられたのは、最初の日曜日が来るまでの間だけだった。毎週日曜日、朝から大騒ぎされるなんて、全く持って想定外のイベントだった。もちろん、彼女が戦隊物好きなのは知っていた。けど、まさか毎週律儀に早起きしてみていたとは思いもしなかった。日曜日にデートするといっても、待ち合わせは大体昼前だ。それより前に彼女が家で何をしていたかなんて、まるで知らない。
「精霊剣、エレガント・スマッシュ、どっかーん」
必殺技が決まったらしい。擬音まで一緒に言わなくて良いと思う。
ちなみに、俺も映美も三十のほうが近い年で、更に言えば映美は一歳年上なのだ。初めて俺たち二人を見る人は、絶対に映美を年下だと思うだろう。背も低いし、痩せ型だから本当に小さく見える。どちらかといえば童顔で、あまり化粧気もない。若く、というより幼く見えてしまうらしい。時々俺ですら疑いたくなるのだが、年上なのは紛れも無い事実である。
「うるせぇよ」
布団から片足を出し、映美の背中に軽く蹴りを入れる。
「あ、祐君、おはよ」
それで気付いたとばかりに振り返る映美。その前の呼びかけは完全スルーですか。
「今、何時だと思ってんだよ」
「えーと、エレメント・ファイブがもうすぐ終わるから、七時半ぐらい?」
彼女の判断基準の中央は、常に日曜日の朝七時がある。それがおかしいと思うのは、きっと俺だけじゃないだろう。
「そうだよな。で、昨日俺たちは二時半ぐらいまで起きていたわけだ」
「そうだね」
「眠いよな?普通」
「あたし平気」
くっ、見た目だけでなく体力もちびっ子並とはな。一刀両断の勢いで切り替えしてきた映美に、俺は言葉を失ってしまった。テレビ画面ではエンディングのスタッフロールが流れ始めている。俺の話に区切りがついたと思ったのか、映美の意識は既にそちらに向いてしまっていた。
エレメントだかフィラメントだか知らないが、日曜の朝からこの手の番組を流すのはやめて欲しい。少なくともここに一名、それで明らかに健康を害している男がいることを、テレビ局は真摯に受け止めるべきだ。
「あー、くそ、目が覚めた」
眠ることも出来なくなった俺は、イラつく気分を抱えたまま布団から出た。ふと窓の外を眺めると、どうやらいい天気のようだった。まったく、日曜日ぐらいゆっくり寝たいものだ。
「どこいくの?」
次回予告が終わったらしい、テレビを消した映美が俺に話しかけてきた。特撮は好きだが、この後にやっている女の子向けのアニメにはまるで興味が無いらしい。
「風呂。目覚ましのシャワーを浴びてくる」
「あたしも後で入ろうっと」
そう言いながら映美は布団の上にごろんと転がった。テレビを見終わって集中力が切れたのか、小さくあくびもしている。うむむ、どこからどう見てもちびっ子だ。
おまけのようについているユニットバスは、作りも安っぽく、何より狭い。外国の映画なんかだと、もっと広い空間に一緒についていたりはするようだが、便器と浴槽の距離感の無さはどうだろう。湯船につかりながら便所掃除だって出来る。しないけど。それでも熱い湯が出ることには変わりない。俺は蛇口を捻り、シャワーから出てくる熱めのお湯に体をさらした。緩慢だった血液が急速に体を駆け巡る。朝はこれでなくっちゃな。
風呂場から出ると、映美は寝転がったままで外を見ていた。
「おーい、出たぞ」
「はーい」
返事はしたものの、外を見たままの映美。なかなか可愛いじゃないか。そう思ってみていると、映美は突然跳ね起きて俺のほうを見た。
「今日、五月の何日だっけ?」
「十二日だろう」
カレンダーを見て俺が答えてやると、一瞬考えた素振りを見せた後映美は口を開いた。
「ねえねえ、お出かけしようよ」
「ビデオ屋?開くのは十時からだぞ?」
いつものことだろうと高を括ってそう言うと、映美は頬を膨らませて抗議の声を上げた。
「違うよ。ドライブに行きたいの」
おお……神よ。付き合い始めて半年。こんな素敵なデートプランが彼女の口から飛び出してくるとは。普通じゃんとか思う無かれ。今まで彼女の口から飛び出してきた企画といえばひどいものだった。
「ねえ、昔の戦隊物のビデオを借りてきて、鑑賞会しようよ」
「エレメント・ファイブの格ゲーが出てたから、買いに行こうよ」
「今日からエレメント・ファイブの劇場版が公開なんだ。見に行こうよ」
借りるビデオを店員さんに差し出すのは俺。映画館の窓口で「エレメント・ファイブ、大人二枚」といったのも俺。そんな暮らしにピリオドを打つ日が来たかと思うと、感涙に咽んでしまいそうだった。
「おう、いい天気だしな。よし、善は急げだ。早くシャワーを浴びておいで」
「はーい。バスタオル借りるよ」
そう言って慣れた仕草でタンスからバスタオルと下着をとりだし、それらを併せ持って立ち上がる映美。風呂場に向かう映美の後姿を見ながら、俺はしばらく感動の余韻に浸ることにした。