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その十二

 翌日から、映美がおかしくなった。いや、おかしいのはいつものことなのだが、ワクワクとソワソワが止まらなくなったらしく、いつも以上に落ち着きが無くなった。カレンダーを見ては指折り数え、暇があればチラシを眺めている。よっぽど樹木希を見られるのが嬉しいのだろう。その予習についても入念だった。

 夕飯時には必ずパトレンジャーのDVD上映会となり、俺が学生時代にバイトを一生懸命して買ったコンポは、パトレンジャーボーカルアルバム再生装置と化した。樹木希の歌声は、上手くも無く下手でもない。歌詞もありきたりで、インパクトに欠けるのだけど、数十回聞けば覚えるものだなぁ。門前の小僧のなんとやらだ。

 飯の手を止めて、DVDをぼんやりと眺める映美の目は何とも言えない危なっかしさがあった。心ここにあらずとは、今の映美の状態をさすのだろう。

 ただまあ、今までに比べると静かになった。そわそわしているものの、喚き散らすでもなく、理不尽な我侭に振り回されることも無い。視界をちょろちょろされるのは邪魔臭いが、それぐらいを我慢するのは何でもなかった。

 そういった次第で、俺も心労の少ない快適な日々を送ることが出来るなと思っていた。


 そんなある日のことだ。昼休み、俺はいつもどおり屋上で昼食を取っていた。丁度食後のコーヒーを飲み終え、満足しつつ携帯をいじくっていると、鉄の扉が開く音がした。屋上に姿を見せたのは立花さんだ。

「あ、やっぱりいましたね」

 どうやら目的は俺らしい。面倒臭い予感がして、俺は心の中で軽いため息をついた。

「うん。昼飯はここで食べることにしているからね」

「寂しくないですか?誰もいなくて」

 だから良いんだけどね。俺が心静かに過ごせるのは、寝ているときとここで休んでいるときだけだ。映美はあんまり寝相が良くないので、寝ていても時として静かでなくなることもあるし。

「まあ、もともと静かな方が好きだし」

「そうなんですか。確かに、天気のいい日とかは気持ち良さそうですね。私もここで食べてみようかな?」

 是非とも止めてくれ。立花さんのことは別に嫌いじゃないけど、昼休みが騒がしくなるのは御免だ。

「結構風が吹いたりするから、気をつけないと昼ごはんが埃だらけになるけどね」

 とかなんとか。それにしても、結局君は何の用?

「で、俺に何か用だった?」

「ああ、はい。そうでした。実は、ご相談したいことがあるんです」

 うわあ。この間の悩み事が頭の中でフラッシュして、瞬間的に軽い眩暈を覚えてしまった。

「今度は、何?」

「それがですね、少し長くなりそうなんで、出来ればご飯でも食べながら聞いて貰えればと……。どうでしょう?」

 どうでしょう、と来たか。うーん、気が進まないけどねぇ。映美もほったらかしには出来ないし。

「いつぐらい?」

 俺の質問に、嬉々とした表情で小さな手帳を取り出して開く立花さん。

「えーとですね……、今週末の金曜日とか」

「うーん、ちょっと厳しいかなぁ。今月は色々と忙しくて……」

 適当に濁してみる。まあ、映美に振り回されるだろうから、忙しいといえばそうなんだけど。

「……そうですか。また、都合の良さそうな日があれば、教えてください」

 立花さんは落胆したように手帳を閉じた。

「うん、ごめんね」

 苦笑い。

「それでは、お昼休みに失礼しました」

 ぺこりと、軽く一礼して立花さんは屋上を出て行った。

やれやれ、俺は一つ息をついて、それからちょっと空を見上げた。今日も良い天気だ。携帯の時計を見ると、あと三十分ぐらいしか昼休みが無いことが分かった。せめて三十分、ゆっくり出来ますように。

 そう祈った矢先だった。

「お、なんだお前がいたのか」

 そういいながら屋上に現れたのは、事もあろうに石原だった。

「俺の聖域に入ってくるな。休憩室でコーヒーでも飲んでろ」

「……誰がお前のだよ」

 呆れ気味の石原。しかし、静けさを勝ち取るためには、奴がいては邪魔なのだ。

「うるせぇ。昼休みは静かに過ごすことにしてるんだよ。屋上は立ち入り禁止だ」

「立花さんは良いのに?」

 げっ、見てたのか?

「いや、あれはちょっと相談を受けていたというかだな……」

 俺の言葉を聞いて、石原は厭らしい笑い顔になった。大変醜く、罪にならないなら殴っているところだが。

「やっぱり屋上にきてたのか。いや、たまたま立花さんを階段の近くで見かけたんだ。声を掛けようと思ったんだけど、なんだか落胆したようなため息をついててさ。何があるのかと思って、試しに上がってきてみただけなんだ」

 し、しまったぁ。引っ掛け問題かっ!?いや違うっ!!思わず心の中で乗り突っ込みしてしまった。くだらない技を身につけやがって。悔しいが後の祭りとはこのことだ。

「まあ、なんというか、こういうのってどうなんだろうな」

「何がだよ?」

 そういった俺の顔を出版社の人間が見れば、きっと「苦虫を噛み潰す」の項目に例示として写真を載せたがったことだろう。自分でもはっきり自覚できる程度に、俺は感情を表に出していた。

「ほら、同期との友情を蔑ろにしてさぁ、後輩の女の子を特別に可愛がるようなのってさ」

「言い方を変えろ。お前がそんなことを言うと卑猥に聞こえる」

「卑猥でないと?」

「ないよ」

 何を言っているんだか、この慢性発情男は。

「まあ、卑猥でないとしてもだ」

「しても?」

「俺も寂しくて、牧谷さんに相談してしまうぐらいのことはしてしまうかもしれないわけで」

 何たる露骨な脅迫。今すぐ堅いものが振ってきて死ね!!俺の視線に物理的な破壊力があれば、いけ好かないこのにやけ虫を四散させてやるところだ。しかし、現実にそんなことはなく、どうやら俺のそんな視線は奴に勝算ありと踏ませてしまったらしい。

「立花さんと一緒に食事が出来たら、あるいはそれを忘れてしまうかもしれないが」

 こんなことを言い出した。石原は、さも楽しそうにそういい残して、それから不愉快極まりないことに俺の肩をぽんぽんと二度叩いて、屋上から去っていった。

一人きりになった屋上で、俺は呆然としていた。最悪のタイミングが綺麗に重なったといっても良いだろう。どういうわけか知らないが、最近俺は牧谷さんに睨まれているみたいだ。そこへ石原の口から牧谷さんの耳にそんな噂が入った日には、どんな目に合わされるやら、考えただけでもゾッとする。何しろ、牧谷さんはこの会社で、恐らく唯一俺に彼女がいることを知っている人だ。それを止めるためには、石原の馬鹿と立花さんが食事する席をセッティングしなけりゃならないとは……。

昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。俺は同時に俺は大きなため息をつき、それから重たい足を引きずるようにして屋上を後にした。


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