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その十一

 「ただいまー」

 部屋に帰ると、部屋の中は静まり返っていた。見れば、布団の上に横たわる映美の姿。着の身着のままで、気持ちよさそうに寝息を立てている。何をやっているんだか。往復で、多分三十分もかかってないぞ?コタツの上には晩飯の跡が残ったままだ。まあ、下手に片付けさせると皿を割る可能性もあるため、あまり無理も言えないが。

 空になった皿をキッチンに運び、流しで洗いながらさっきの由香ちゃんの言ったことを思い出す。

「泣かしたら駄目ですよー……か」

 俺だって泣かしたいなんて思わない。あのちびっ子は可愛いと思うし、いろいろとやって上げられる自信だってあるはずだ。

「同じ時間を大切にしてあげてくださいね」とも言っていたなぁ。……してるさ。こうして一緒に暮らして、同じ時間を過ごしている。分からないのは、仕事している間ぐらいじゃないか。

 由香ちゃんは何が不満なのだろうか。俺は精一杯やっている。これはきっと、胸を張って言えることだと思う。

「……ん、祐君、帰った?」

 眠たそうな声。部屋のほうを見ると、映美が起き上がっていた。目をこすりながら、大あくびをしている。洗い物の音で目が覚めたらしい。

「おう、帰ってるぞ」

「うん。由香ちゃん、ありがとね」

 こっちを振り向いて、かくんと頭を下げる。送っていったことを言っているのだろう。別に気にしなくても良いんだけど。どうでも良いけど、絵に描いたように寝ぼけてるな。

「ああ、それより、着替えろよ。シャワー浴びて、歯も磨いてから寝ろよ」

「ふぁい」

 という返事と同時に、ぽふっと言う音がした。見れば、うつ伏せになって再び横たわる映美の姿。

「だから、寝るなって」

「んー、眠いよぅ。明日にするぅ」

「虫歯になるだろ!?とっとと起きて風呂場に行け!!」

 全く、何から何まで、どうしてこいつは……。言っても始まらないけど、言わずにはおれない定番の愚痴だな。

 俺は最後の皿のゆすぎを終わらせ、蛇口を閉めた。それから手を拭いて部屋で寝ている映美の横に膝を着く。視線の先には映美の横顔。

「お・き・ろ」

 耳元で言うと、うざったそうに眉をしかめ、もそもそと蒲団の下のほうに移動しようとする。

「うー、……いいよぉ」

「良くない!!化粧もどうせ落としてないんだろう。肌が荒れるぞ」

「へーきー……」

 ……女性として、その発言はいかがなものか。こうなってしまうと、なかなか起き上がらない。仕方がない。由香ちゃんに貰ったチラシを使うか。

「映美。由香ちゃんに聞いたんだけど、大学に樹木希が来るらしいぞ」

 と言いながら、映美の顔のそばでパラパラとチラシを振ってみる。

「えっ!?ホントッ!?」

 ばね仕掛けの人形のように、頭をぴょこんと起こす映美。すぐに体も起こして、俺の膝元に這い寄ってきた。それを見ると、なんだか寂しくなってしまった。いや、効果があるだろうとは思ったけど。

「いついつ?いつくるの?」

 俺の持っているチラシを覗き込む映美の目は、さっきまでの眠た気な様子とは比べ物にならないほどに輝いている。

「来月の頭の土曜日だってさ。んーと、学生会館の小ホールだって」

「みせて」

 映美が俺の手からチラシを引っ手繰ろうとした。

「とりあえず、風呂は入って来い。あと、歯磨きも」

 頭上で手を伸ばしてしまえば、映美はどうあがこうと届かない。

「えー、後で良いよぉ」

 ぴょんぴょんとジャンプしつつ、唇を尖らせる映美。

「駄目。紙飛行機にして窓から発進させるぞ?」

 手を上げたままで、窓辺まで移動すると、流石に映美の顔が引きつった。

「わあ、ダメダメぇ」

 バタバタと、慌てて引き出しから着替えを引っ張り出し、風呂場へと駆けていく映美。本気で飛ばすわけはないのだが、俺の気持ちを感じ取ってくれた様で何よりだ。


 十分もかからず、映美は再び部屋に戻ってきた。烏の行水とはこのことだ。

「早いな。ちゃんと耳の後ろとか洗ったか?」

「むー、なによぅ、お母さんみたいでやな感じ」

 そうでもしないと、映美はすぐに身だしなみを整えなくなるからな。別に言いたくて言ってるわけじゃない。……本当に保護者みたいだ。まだ、こんなでっかい子供のいる年じゃないんですけど。

「ねー、チラシー」

「はいはい」

 映美にチラシを渡すと、早速食い入るように見始めた。

「んじゃ、俺もシャワー浴びてくるか」

「うん、いってらっしゃーい」

 チラシに目を落としたまま、パタパタと俺がいるのとは反対方向に手を振る映美。完全に入り込んでしまったようだ。まあ、おとなしいから良いか。そう思いつつ、俺は着替えを持って風呂場に行った。

 服を脱いで、中に入って俺は目を見張った。鏡も、風呂場の壁も泡だらけ。シャンプーだかボディソープだか知らないが、どう洗ったらこうなるんだ。怒鳴りつけて呼びたいところだけど、どうせチラシに夢中でこっちにはこないだろう。おざなりに「はーい」とか返事されてもムカつくしな。

 俺は取り急ぎ深いため息を一つついて、シャワーでその辺の泡を洗い落とすことから始めた。

 ……何と言うか、面白くないなぁ。

 

 風呂場から出ると、映美はまだチラシを眺めていた。やれやれ、嬉しそうな顔しやがって。その顔を見ていると何だかさっきの面白くない気分が戻ってきた。やっぱり泡の件は一言言っておくか。部屋に戻った俺は、映美に声を掛けた。

「映美」

「ねー、祐君」

 恐ろしいまでに同時。ここは気が合わなくても良かったなぁ。

「何?」

 とりあえず、映美に話す権利を譲ることにした。きっとどうでもいい事を言い出すに違いない。「そんなことよりなぁ」で話を一刀両断にしてから、説教タイムに突入してくれる。

 そんなダークなシミュレートをしながら、映美の言葉に耳を向けてみた。

「これ、一緒に行こうね」

 映美はそう言って、さっきのチラシを見せてくれた。珍しくこっちをじっと見つめながら、そう言う彼女の仕草は何やら小動物を連想させられ、あまりに眩しかった。思わず心がよろめいた自分がいる。

「お、おう」

 全くもって不覚なことに、このときの俺はやや照れていた。

「へへ、約束ね」

 嬉しそうに映美が笑った。俺も釣られてなんとなく笑った。泡のことは頭から消し飛んだ。

「で、祐君は何?」

「うん?ああ、なんでもないよ」

 俺はそのまま笑ってそういった。映美は不思議そうに首を傾げたが、すぐにどうでもよくなったらしく、俺と一緒に暫く笑っていた。

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