その十
「餃子が焼けたよー」
そう言いながら、俺が部屋に戻る頃には、二人は楽しそうに喋っていた。
「おー、待ちかねたー」
「わ、凄い。美味しそう」
そそくさと、大皿を置いたコタツの周りに近寄ってくる二人。俺はそれぞれの前に小皿と割り箸を置いてやった。醤油、酢、ラー油は自力で混ぜるのが西田流。
「さ、召し上がれ」
「いっただっきまーす!!」
猛然と大皿に箸を伸ばす映美。
「頂きます」
それに少し遅れて、由香ちゃんも箸を大皿に持っていく。
今日のは割りと自信作だ。皮もパリッと焼けたし、豚肉、海老、野菜類の配合もばっちりだと思う。
「どうかな?」
尋ねてみると、映美は手で大きな丸を作ってくれた。口の中には餃子が詰まっていてしべれないようだ。そんだけがっついてくれると、見ているほうも嬉しい。
「美味しいですよ、西田さん。料理上手ですねぇ」
由香ちゃんも、ニコニコしながらそう言ってくれた。
「一人暮らし長いからね。コンビニも飽きるし」
「ふひのふふひゃんのひょふぉひふぁへはいいひひょ」
何かこう褒めてくれているのだろう。何を言っているかはさっぱり分からないが。てゆーか、詰め込みすぎだろ。
「先輩、何を言っているのやらさっぱりですよ」
「まったくだ。とうとう日本語すら喋れなくなったか」
「ふぁふぁふぁ〜」
入れ歯をなくしたおじいちゃんか!!眉をひそめて、恐らく俺の発言に何か抗議しようとしたようではあるが、ハムスターのように膨らんだほっぺたがそれを邪魔している。
「ま、いいや。ほっとこう」
「ふむー!!」
良いから飲み込め、アンポンタン。
「何やら抗議しているように見えるんですが?」
「うん、彼女の日本語が不自由なのは、いつものことなんだ。そっとしておいてあげて」
ガンと音が響いて、頭に衝撃が走った。おお、星が見える。
絨毯の上に重たい音を立てて落ちたのは、ビデオのリモコンだった。命中箇所、進入角度から発射地点を割り出してみると、計算するまでもなく映美だ。投げ終えたフォームのままで、こっちを睨んでいる。さっきのお姉さん的な態度はどこへ行ったのやら。
「いてぇよ」
「……むぐ……自業自得だもん」
やっと飲み込めたらしく、映美の口からはちゃんとした日本語が飛び出してきた。ぷいと顔を背ける映美。由香ちゃんが困ったような笑顔を浮かべている。確かに、こんな暴力の現場を見せられては、怯えるのも無理はない。
「ほらみろ、お前の凶悪な本性に、由香ちゃんが怯えているじゃないか」
「違うもん。祐君が馬鹿だから呆れてるのよね?」
「え…、いや、あの…、どっちも、かなぁ……」
困ったようにしつつも、本音をさらっと口にするのは由香ちゃんの良いところであり、悪いところだ。
夕食後、少しだけ喋って由香ちゃんは帰ると言った。明日も仕事だから、早めに休むらしい。映美は一緒に戦隊物のDVDを見たかったようだ。是非とも次回にしなさいという俺の説得に、珍しくあっさり応じたのは、由香ちゃんに対する先輩としての姿を意識したからだろう。そんなものは今日のやり取りでとっくに地に落ちていると言うのに。まあ、それで聞き分けが良くなるなら、無理に知らせてやることもないか。
「途中まで送っていくよ」
「え、悪いですよ」
「いいよぉ。遅くなっちゃったし」
俺より先にそう言ったのは映美だ。お前は部屋でごろごろしているだけだろうが。まあ、俺も同じことを言うつもりだったからいいけど。
「危ない奴がいないとも限らないから。ね?」
「あ、それじゃ……途中までだけ。お願いします」
「うん。じゃあ祐君よろしくー」
そう言って、映美はパタパタと手を振った。ああ、やっぱりついてくるつもりは無いらしい。
由香ちゃんは自転車で来ていた。それをころころと押しながら、並んで夜道を歩く。部屋の中は結構暑かったらしく、外の風は肌に心地良かった。
「どうもすいません」
「ああ、気にしないで。腹ごなしの散歩には丁度良いしね」
くすっと由香ちゃんが笑った。
「それにしても、先輩はいい人を見つけたんですねぇ」
しみじみ、と言う調子で由香ちゃんがそういった。
「あんなに楽しそうで、生き生きとした先輩は久しぶりに見ました」
「そうなの?」
まあ、さっきの大人びた態度を見ていると、大学の後輩には先輩として頑張って接しようとしていたのかもしれないな。
「よっぽど居心地がいいんですねぇ。パトレンジャーごっことか、大学のときはしてなかったなぁ」
「それは、幼児退行しているってこと?」
年々ガキっぽくなっていったら嫌だなぁ。ますます手におえなくなる。
「うーん、と言うよりはリラックスしているんでしょうね。多分元々はあんな人なんじゃないかな。大学のときもちらほらと子供っぽいところ、あったし」
「振り回されっぱなしだけどね」
「それだけ伸び伸びしてるってことですよ」
されるほうは、結構大変なんだけどね。由香ちゃんの嬉しそうな顔を見ていると、それは言わないほうが良いような気がしたので、口を閉ざしたけど。
「戦隊物のテレビ見て、戦隊物のビデオ借りて、映画を見に行って、この間はヒーローショーにも行ったよ。車の中でも、ヒーローソング三昧。たまには、普通のデートをしてみたいと思うけどね」
「大変ですねぇ」
由香ちゃんは、まるっきりそんなことを思っていない口調で同意してくれた。ありがとう。救われるよ。
「ほんとにね」
つい、ため息。
「先輩を泣かしたりしたら駄目ですよ?」
突然、そんなことを言われた。由香ちゃんのほうを見たら、ちょっとだけ顔がマジだ。
「泣き虫だからなぁ」
「そういう意味ではないです。分かっていると思いますけど」
釘を刺された、とはこのことだろう。それにしても、ぶっとい釘だこと。
「私は、先輩の味方ですからね」
何を今更。俺は苦笑を浮かべることしかできなかった。
「あ、そうだ、これを先輩に渡そうと思っていたんです。相談に乗ってもらってたら忘れてた」
そう言いながら、由香ちゃんは自転車のかごに入れた鞄の中から、紙切れを一枚取り出した。
「今度、大学で後輩たちが映像研究会主催の講演会をやるんです。樹木希さんが来てくれるんで、先輩が来たがるかと思って」
そう言いながら渡してくれた紙切れはチラシだった。ついこの間ドラマで見た樹木希が笑顔で写っている。
「へえ、これは絶対に行くだろうな」
「そう思います。来月頭の土曜日なんですよ。良かったら、西田さんも一緒にどうぞ」
にっこり笑う由香ちゃんの顔には、ついてくるんでしょ?と書いてあった。ついてくる、と言うよりは、連れて行かれるんだけどね。
「ありがとう。渡しておくよ」
「はい、よろしくお願いします。あ、それじゃ、ここまでで大丈夫ですから。あんまり遅くなって、先輩に心配されても困りますから」
「そんな奴じゃないけどね」
「そんなことは無いです」
由香ちゃんはきっぱりとそう言い切った。随分と肩を持つ。まあ、後輩だし、当然か。
「先輩と、同じ時間を大切にしてあげてくださいね」
「……ああ、出来るだけね」
俺の返事に、由香ちゃんは少し不満そうだった。俺としては、精一杯の返答なんだけど。
由香ちゃんは、すぐに表情を笑顔に戻して自転車にまたがった。
「それじゃあ、また。おやすみなさい」
「はい、お休み」
由香ちゃんは後ろ手に手を振りながら、自転車に乗って颯爽と去っていった。俺は、その背中が小さくなってからもう一回チラシを見てみた。映美は喜ぶだろうな。けど……。