98 時に連れ去られて行く者と見送る者
差し出された手に、手を重ねていた。
『そう。それが正しい選択だ。フルルも、僕も』
スレン様は強く言い切った。
まるで自分にもこれが正しいのだ、と言い聞かせているみたいだった。
ぎゅっと手を強く握られる。
『そうでしょう、フルル?』
首を横に振った。
『……わかりません』
『じゃあどうして僕の手を取ったの?』
『それは』
息を呑む。それは、それは……怖いからだ。
言葉にしてしまうのも恐ろしい。
これから先、地主様の側に居れたとしても、その時――。
彼はどんな目で私を見るのだろう。
そんな彼を私はどうやって見返すのだろう。
そのいつか来る時、二人を隔てているものの深さを、私はちゃんと見つめる事が出来るだろうか?
自分自身に尋ねてみても、返るのは胸の痛みだけだった。
苦しくなって、スレン様を見上げた。
この痛みを繰り返してきたであろう、彼こそがこの答えを知っているに違いない。
そう期待した。
スレン様の瞳に優しい光が宿る。
『それはね』
やっぱり私の甘えた期待通りに、続きを拾ってくれた。
『それはフルルも僕と一緒だからだ』
『一緒?』
『そう、一緒だ』
虚ろなまま、言葉を繰り返すと、同じように繰り返された。
『怖いよね。同じように物を眺めて、似たような気持ちになれたとしても、違いすぎるんだもの。時というものに連れ去られ行く者とそうではない者の隔たりは、あまりにも大きい。そうでしょ、大魔女の……森の娘?』
『私は、私はっ!!』
『うん』
『やっぱり本当なの? おばあちゃんが教えてくれたような、森から授かった娘であるって』
『うん。間違いないよ。僕たちの、仲間だ』
うっとりと。
夢見るような眼差しに乗せて、スレン様は歌うように言った。
『フルルはまだ幼いから、実感がわかないだろうけど。一緒だよ。僕たちと一緒に時が流れてゆく者を、見送る定め』
そうだ。だからこそ、おばあちゃんを見送ったのだ。
次は? 次は誰を見送る事になるの?
次々と浮かぶのは私に優しくしてくれた人たち。
ミルアにジェスに村長さん。カールにリュレイとキャレイ。お菓子屋さんのおかみさんに旦那さんにルボルグ君。お屋敷のお姉さんたち。ジルナ様にギル様にリディアンナ様。それに地主様。
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おばあちゃんは、死の間際に教えてくれた。
おまえはわたしの、森のあの方が与えて下さった娘。
ただひと時であったとしても、あの方はおまえと過ごすことをお許し下さった。
愛しい……哀れなわたしの娘。
わたしの我がままでおまえを平穏から遠いこちらに、呼び寄せてしまった。
許しておくれ。
わたしには時が迎えに来てくれるから、先にあの方の御そばに戻れる。
でも、おまえは違う。
それでも。必ずあの方は迎えを寄こすから、それまでの辛抱だよ。
だから、心していておくれ。
おまえは大魔女の、森の娘だ。
誰にも心を奪われてはならないよ。
特に、時に連れ去れて行く者たちには――用心しておくれ。
さもなくば、わたしと同じ気持ちを味わわせてしまう事になるだろうよ。
『おばあちゃん。ううん、お母さん』
最後の最後だけ、こっそりとそう呼んだ。
私に命を与えてくれた人は、最期に微笑んでくれた。
その眦からは涙がひと雫、伝った。
乾いた唇がありがとう、と形作るのを見守った。
握り締めた手のひらから、静かに、でも急速に熱が引いていった。
それに追いすがっても、あまりにも呆気なく熱は去って行った。
これが時に連れ去られて行くと言うことなのか。
私はそれからしばらく、その恐ろしさと寂しさに苛まれて、泣きじゃくる事しか出来なかった。
――目蓋を閉じる。
ごめんね、約束、守れなかったみたい。
『どうして泣くの?』
そう言いながらも、スレン様はずっと頭を撫で続けてくれていた。
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自分がひどく、いけない事をしているのは理解している。
そっと忍び寄る。
明け方が近いとはいえ、室内は薄暗かった。
そっと目当ての寝台に歩み寄る。
一歩ごとに妙な高揚感が生まれては消えた。
地主様が眠っていた。
額に腕を当てながら、その眉間は寄っている。
何かに苦悶したようなその様は、とてもじゃないが安眠からは程遠いように見えた。
そっと、その眉間に手を伸ばした。
そういえば、こんなに無防備な地主様は初めて見る。
ゆっくりと寝台に腰下ろす。
それから慎重に、まぶたに唇を押し当てる。
願いを込めて。
そっと触れた唇から、地主様の熱が伝わってくる。
ふと、彼と目が合った。
「……これは夢か?」
眠そうな声が驚きをふくんでいる。
何だかくすぐったい。イタズラが成功したような気持ちになった。
ふふ、と思わず笑い声をもらす。
それを答えと受け取られたのだろうか。
力強い腕に引き寄せられていた。
「だったら俺の好きにしていいのだな」
「はい……。レオナル様のお好きなように、お役立て下さい」
胸元に唇を埋められ。
与えられた熱に怯えながらも受け止めた。
『夜這い。』
魔女っこは何やら覚悟を決めたようです。
どんな願いを込めたのやら。