92 カルヴィナと母娘
リディアンナ様に手を引かれながら、ゆっくりと進む。
お屋敷自体は石造りなのは、地主様の所と変わりがない。
それでも、どことなく柔らかな雰囲気に包まれている。
使われている石の色が、白っぽいせいだろうか。
威厳はあっても上品で、気後れしてしまうのは、あちらと変わりがないけれど。
気取りの全くない気さくなジルナ様や、リディアンナ様から感じるものと一緒だと思う。
陽の光がたっぷりと差し込む廊下を渡る。
眩しくて目を細めてしまう。
温かさに包まれて、そここに置かれた彫像から、まるで微笑みかけてくれているかのよう。
そう感じるから、不思議なものだ。
住んでいる人の雰囲気が、そのまま家に表れるものなのだなぁ、と改めて感心しながら眺め回した。
その間もリディアンナ様は手を引いて、ゆっくりゆっくり私の歩みに合わせてくれた。
言葉数も少なく、慎重に。
「綺麗な女神様よね。デルメティア様よ」
そうやって時折、私が興味を示した物に、註釈をくれるくらいだった。
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やがて手のひらから伝わってくる緊張感に、きょろきょろするのを止めて、一歩先ゆく彼女を見つめた。
目的はジルナ様へのご訪問のはずだ。
綺麗だけれど、とても気さくなジルナ様。
ずっとお会いしていない分、私も何だか緊張してきた。
でも、リディアンナ様にとってはお母様だ。
緊張を強いられる事なんて、あるのだろうか?
そんな違和感を感じたが、黙って付いてきた。
「こちらよ」
そう言って扉に手をかけた途端、緊張感が一気に高まった。
思わずリディアンナ様の手を強く握り返していた。
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来訪を告げると、微かに返事が聞こえた。
リディアンナ様に引かれるまま、中に進む。
「お母様、カルヴィナが遊びに来てくれたわ」
「ああ! カルヴィナ、よく来てくれたわ。お久しぶりね、元気だったかしら?」
ジルナ様は椅子から立ち上がると、両手を広げて迎え入れてくれた。
「はい。ありがとうございます。あの、その、ジルナ様は、お加減はいかがですか?」
「大丈夫。とても落ち着いたわ。今日は色々聞かせてちょうだいね」
「はい」
「おいしいお菓子とお茶があるのよ」
そう微笑みながら、ジルナ様が茶器に手を伸ばした。
リディアンナ様はすかさず手を出して、遮った。
「お母様、わたくしがやりますから、座ってらして」
「はいはい。リディも過保護ねえ」
諦めたように肩をすくめて、ジルナ様がこちらを見た。
「ジルナ様」
ジルナ様は記憶よりも頬がこけて、顔色も青ざめて見えた。
ずっと体調が優れなかったそうだから、リディアンナ様の心配も無理は無いと思うのだ。
「さあ、カルヴィナも座ってちょうだい。リディに任せてしまいましょう?」
「はい」
促されるままに隣に腰を落ち着けた。
「カルヴィナ、今日はまた一段と艶やかね。素敵。ナナカマドの赤い実みたいよ。レオナルはさぞかし有頂天だった事でしょう」
「えっと、その、あの」
服装を褒められ、急に地主様の事に触れられて、上手く言葉が出てこなかった。
何とか返事をしようとする間にも、ジルナ様はおかしそうに笑っている。
「ふふ。綺麗になったわねぇ、カルヴィナ。ほんの少し会わなかった間に、何があったのかしら?」
「そりゃあ、もう! 色々とよね、カルヴィナ。はい、どうぞ、召し上がれ」
「……ありがとうございます」
私が言い淀んでいるのを見かねたのか、リディアンナ様が代わりに答えてくれた。
すすめられるままに、カップに手を伸ばす。
これまた緊張を強いられる茶器だ。
白磁に美しく描かれた赤い実は、ナナカマドだった。
それを小鳥がついばんでいるという絵柄。
リディアンナ様が、ジルナ様の例えに気を利かせてくれたのだろう。
所々金で装飾されたそれは、小さな芸術品と呼ぶに相応しい。
おおよそ私の感覚では普段使い用の品ではない。
繊細な持ち手に絡む指先は、ジルナ様やリディアンナ様のような方たちのものが、相応しいだろうに。
先程まで土いじりをしていた私の指先は、相変わらず少しささくれている。
そっとため息を飲み込んで、器を大事に手にした。
「おいしい、です」
「良かったわ。お菓子もどうぞ、召し上がれ。ああ嬉しいわ。こうやってカルヴィナともお茶会をしたいなって、ずっと考えていたのよ」
「ありがとうございます。そう仰っていただけて嬉しいです」
ジルナ様の傍らには、編みかけの小さな靴下があった。
私の視線に気がついたのだろう。
ジルナ様がそれを私の膝に乗せてくれた。
「あんまり、こういう事は得意じゃないのだけれど、何とかね」
そう言いながら、ご自身のお腹にそっと、両手を当てる。
空色のお召し物はゆったりとしていて、お腹の膨らみ具合が目立たないようになっているようだ。
「えっと、その、お祝いの言葉がまだでしたね。申し訳ありません。ジルナ様、おめでとうございます」
「ううん、いいのよ。気を使わせたわね。ありがとう、カルヴィナ」
新しい命を宿したジルナ様は、つわりで苦しまれたせいか、ずい分ほっそりとして見える。
そんな風に儚げでいても、自信に溢れて見えた。
命を受け止める器とは、こういう事を言うのかと、静かに感動する。
命、命、命。
春、勢い良く枝葉を伸ばす木々によくそれを感じたが、こうやって間近で感じるものもある。
畏怖すら感じる。
先程見た、女神像が浮かんだ。
目の前に女神がいる。
彼女もまた、女神様の化身に違いない。
ゆったりと微笑むジルナ様に見蕩れてしまう。
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それから赤ちゃんはいつ生まれるのかといった事や、次は男の子か女の子か、リディアンナ様には分かっていても、教えないでと言ってあるのだ、といった話で盛り上がった。
年の離れた姉と兄に囲まれて、赤ちゃんはどんな子に育つのだろう、とジルナ様が次々と楽しそうに話すのを聞いていた。
「きっとレオナルも、いい遊び相手になってくれると思うわ」
「叔父様なら間違いないわね」
リディアンナ様が、深く頷いて請け負った。
また何の前触れも無く、地主様の話しが出たので、ドキリとしてしまう。
「そうそう! カルヴィナ、村のお祭りで巫女役をやったのですって? しかもレオナルが神様役!」
「はい」
「見たかったわ、とても」
嫌な流れになってきた。
今は避けたい話題に移行していくのを、どうにか避けられないものかと、リディアンナ様を見た。
「カルヴィナも叔父様もとても素敵だったのよ、お母様」
どうやら避けられないらしい。
「少しだけ、聞いてはいたのよ。でも具合が悪くって! もう一度詳しく聞きたいわ。ねえ、リディ」
それからひとしきり質問攻めにされて、全く落ち着きを無くした私は、あいまいに返事をするばかりだった。
リディアンナ様は心得た様子で、お祭りの事を話してくれている。
私はといえばもう、ただただ小さくなって、話しが尽きてくれるのを待つしかなかった。
「叔父様がね、すごく見蕩れていたんだから。カルヴィナがあんまりにも可愛らしいから」
「そ、そんな事は……。」
「あら! わたくしの目はごまかされなくってよ。叔父様は間違いなく、カルヴィナを真剣に見つめていたのよ。それに褒めてたわ。準備も含めて大変だったろうに、朝から文句のひとつも言わないで、カルヴィナは巫女役を勤め上げたって。頑張ったって褒めてたのよ」
「流石に私達の義妹ね、カルヴィナ」
「え?」
今、耳慣れない言葉があった。
義妹、イモウト、とは私の事を言っているのだろうか。
しかも「私達の」とは、一体何の事だろう。
「あら。カルヴィナは聞かされていなかったの? ダメねぇ、レオナルったら。ちゃんと言わないんだから。カルヴィナはね、」
「お母様、そのお話は叔父様が後できっと」
リディアンナ様は気を使うようにそっと、ジルナ様の言葉を遮る。
「あら、いいじゃない。カルヴィナはもうロウニア家の養女になったんだから、私達に遠慮はいらないわ。安心してこの姉と兄を頼ってちょうだいね」
「お母様」
きっぱりとリディアンナ様が呼んだ。
ジルナ様は驚いたのだろう。
口を噤んで、リディアンナ様を見つめた。
「少しお疲れになったでしょう? お休みにならないと」
『ジルナとお茶会』
微妙に緊張感が漂っているぞっと。
母娘の間に。
いつの間にやら、カルヴィナさんはロウニア家の子になっていたようです。