91 スレンと子猫
どうして私が、スレン様に取られるなどという発想がわくのだろうか。
スレン様は私もそんな地主様と、同じ顔をしたと言って笑っている。
「……そんな事、ありません」
どうにか、そうひねり出すだけで精一杯だった。
スレン様の言葉が衝撃的過ぎて、上手く口が回らない。
頭の中に響くのは、地主様を取られると思ったという事だけだ。
取られるも何も。地主様は元々、私のものではない。
私の事を子猫呼ばわりした、綺麗な貴婦人が浮かぶ。
彼女のドレスの裾が、いつまでも目の端にちらついて離れてくれない。
考え込んで黙り込んだ私を、スレン様が馬へと上げてくれた。
ご自身も軽やかに飛び乗った。
「はっ!」
掛け声を合図に、馬が歩き出す。
「嫉妬だって生きる者の糧にすればいい。ほらぁ、僕はこの通りだーかーら? そういう想いを抱ける君らが羨ましい。心底」
また嫌味なのかと思ったけれども、そうでもないようにも伝わる。
「僕はね、君と一緒。人の感情に非常に敏感なんだ。でも、フルルと違うところはそれを生きる上での糧と思っているところ」
ぎゅう、と後ろから抱きしめられる。
何となく拒絶する気も起きなかったから、そのまま大人しく収まっていた。
「だからさ。フルルが醜いと嫌っているその感情の波ですら、僕にはとても……尊く響くよ。生きているって感じがするよね」
「よく分かりませんけれど。出来ればこんな気持ちには、なりたくありません。すごく重苦しくてたまらない。スレン様に吸い上げて糧としてもらえるのなら、こんな気持ちを全部無かったことにして欲しいくらいです」
「気持ちって目には見えないものじゃない? でも重さを感じたり、軽やかさを感じさせてくれたり。確かな手応えはあるけど、言葉でなんてとてもじゃないけど表現しきれないし、もどかしいったらないよね。伝えようがない。自分の気持ちは自分で味わい尽くすしかない。それなのに、僕たちときたら他者の感情に敏感ときている。本当にしんどい時があるよね」
「スレン様でも辛い時があるのですか?」
「ええ!? 食いつくところ、そこなの? ひどいや、フルル!」
「申し訳ありません。スレン様には苦労が似合わないので、つい」
「まあ、いいけどね。それよりも僕は、もっと自分の感情と戯れたらと薦める」
スレン様と他愛の無い会話を繰り返すうち、ずい分気持ちが落ち着いてきた。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・
落ち着くと今度は頭が冷えてきて、急に恥ずかしくなってきた。
はっきり言えたから胸がすいたかと思えば、逆だった。
かえって自分を追い詰めただけだ。そう気がついても遅い。
私ときたら、地主様に対してものすごく意地悪な気持ちのまま、それをぶつけた。
恥ずかしい。
それこそ子供ではないか。
何が地主様の手を煩わせたく無いから、だろうか。
ほんの少し前の自分を、誰か止めて欲しい。
とめどもない思考の渦の中、馬に揺られて進んでいると、これまた大きなお屋敷が見えてきた。
門構えだけで私を圧倒するのに充分だ。
正直もう帰りたいと、ちらりと思った。
頭を振る。
そこで浮かんだのが地主様のお屋敷だったので、余計に納得いかない。
そんな自分に納得なんてするものか。
唇を噛み締める。
私の帰る場所といったら、森のはずなのだから。
私は、大魔女の娘だという誇りを捨ててはいない。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・
門は開かれており、そこにリディアンナ様の姿があった。
「ようこそ、カルヴィナ。よく来て下さったわ。お母様も待っているのよ!」
待ちかねた様子で、大きく手を振って出迎えてくれる。
「リディ、じゃあまた後でね」
スレン様は私を下ろして杖を持たせると、すぐに馬へと跨った。
「スレン様はお帰りになるの?」
「そう。これでも一応まだ勤めの最中。抜け出してきたんだ。レオナルと一緒にね」
そこでスレン様はニヤリと笑いながら、私を見て言った。
「あら。スレン様はいつもの事でしょうに、叔父様まで? 余程の緊急事態でしたのね」
「ひどいや、リディ。でもその通り」
さり気なく切り返すリディアンナ様に、スレン様は肩をすくめて見せる。
二人は年の差もずい分あるのに、何だか対等だ。
改めてリディアンナ様をすごいと思う。
とても頭が良くて、思慮深い。
物怖じせず堂々としてらして、やはり血筋による所もあるのだろうかと思う。
そこで少々、置いてけぼりをくらったような気持ちになるのは、何故なのだろう。
ちっぴり居心地悪く感じてしまう。
そんな失礼な思いが伝わってしまいませんようにと、努めて大人しくしていた。
「緊急ねぇ? そのようですわね。叔父様ったら」
「わあ。姪っ子にまでそんな風にため息つかれるなんて、レオナルってば立つ瀬なし」
「いつもの叔父様らしくは無いと感じるけども、そんな時もあるものなのでしょう?」
「まぁね。いい傾向だと思う」
そう神妙に締めくくるスレン様に、リディアンナ様も頷く。
「でしたらスレン様。叔父様の分までしっかりお務めしてらしてね。リディアンナは応援しております。さ、カルヴィナ行きましょう」
「はい、リディアンナ様。スレン様、お世話になりました事、感謝いたします」
我ながら声にまったく張りがなかった。
沈んでいるのが見事に現れている。
「大丈夫だよ。何も心配いらない。レオナルは必ず迎えにきてくれるよ。ふくれっ面も可愛いとしか思ってないよ。レオナルは今、我が身の春を噛み締めて有頂天のはず。フルルに嫉妬してもらえて、やにさがっていたじゃないか!」
「ええ?」
「大丈夫。君の嫉妬なんか、ただ子猫が毛を逆立てているのと何ら変わりがない」
その程度の扱いなのか。
そしてスレン様は相変わらず、私を励ましたいのか貶したいのか。
一体どちらなんだと思わずにはいられない。
リディアンナ様はといえば何も仰らず、ただただ、にこにこしている。
正直、何か声を掛けてもらえた方が楽な気がした。
二人で、スレン様が見えなくなるまで、門の所で見送った。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・
「カルヴィナ。少し歩くけどいいかしら? 我が家の庭園もそれはいいものよ」
リディアンナ様は微笑むと、私の手を取って歩きだした。
『長々と語るスレン。』
今、僕、良いこと言ったよね、フルル?
そこをスルーされました。
励ましているというよりも、面白がっています。




