9 魔女へのご機嫌伺い
鮮やかな色彩の洪水に飲まれて泣きたくなる。
カラス色が嫌でも強調されてしまう。
鏡に映った自分の黒髪だけが、その色調を訴えているかのように見えた。
この黒い髪は何もかもを飲み潰す、闇色なのだ。
「まあ! ほら、思ったとおりで赤と淡い黄色がよく似合う。かわいいわ! ……どうかした?」
鏡の中覗き込まれて、一緒に映った人物の持った鮮やかさに気後れする。
あの、あのお方と同じ明るい茶の髪と濃紺の瞳がすぐ側にあった。
思わず瞳を固く閉じてしまった。
「あの、お気使いありがとうございます。でも、その、あんまりにも分不相応で恐れ多いです。私よりジルナ様がまとうべき色です」
「どうして? 何か言われたかしら。あの愚弟に。言われたのね」
質問どころか、既にそう決めつけた発言に慌てて首を振る。
「あの、その、着慣れなくて。だから違和感があって」
「少し待っていてね?」
「はい」
待っていてもなかなか帰ってこられない。
このまま、こんなに身にそぐわない服装をしているのも気が引ける。
そう思ったから着替えにかかった。
まさかいつまでもドレスで居る訳に行かない。
綺麗にシワにならないよう、細心の注意を払って寝台に置く。
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ためらいがちにしすぎたせいか、ノックの音に返事は無かった。
しばらく間を置いてからもう一度してみたが、中からは何の反応も返ってこない。
「入るぞ」
一応声は掛けたから良しとしてそっと窺って見れば、娘は寝台にもたれかかるようにして眠っていた。
……下着姿で。
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「ちょっと、レオナル!」
ノックとほぼ同時に部屋の扉が開いた。
「姉上。俺は今忙しいのですが」
「だから何?」
読み進めていた資料をひったくるように取られ、ようやく姉を見上げる。
「何用でしょうか?」
「今すぐに、あの子の所へご機嫌伺いに行きなさい」
「何故、俺が」
「貴方が悪いからよ」
意味がわからない。
しかしこのまま無視すれば、仕事に戻れそうもない事だけはわかった。
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寝台に頭だけを乗せる格好で少女は目蓋を閉じていた。
華奢な肩紐も腕と同じく、くったりと滑り落ちている。
この娘が元より華奢すぎるせいか、規制の物では少々大きすぎるようだ。
館に子供用は見当たらないし、間に合わせではこのようになるのだろう事は初日から気がついていた。
やはり、至急仕立て屋を呼ぼうと決意する。
それよりもまずはこの現状をどうするかが問題だった。
「……。」
声を掛けようとして躊躇う。
まず、間違いなく娘が怯え慌てふためく様が浮かんだからだ。
細心の注意を払って、娘を抱え上げる。
とたんに手のひらに伝わるまろやかさと温かさが、愛玩動物を思わせた。
くったりと身を預ける身体は、小さいながらもしっかりとした熱を持っている。
あたたかい。
それは生まれたばかりであった愛犬を抱き上げた時の感覚に似ていた。
浮遊感に僅かに顔をしかめた娘に内心焦りながらも、どうにかシーツにくるんでやる事に成功する。
意味はあまり成さない肩紐も指先で掛け直し、やっと落ち着いて少女をまともに見ることが出来た。
ご機嫌伺い。
こんなにも無防備に眠っておきながら、ひとたび目を覚ませばコレは心底怯えた眼差しをこちらに向けるのだ。
『エイメリィ』とでも呼んでやれば良いのだろうか。
そうしたらこの娘は笑顔を見せるのか?
リヒャエルに『エイメリィ』様と呼ばれて、くすぐったそうに笑い声を上げていた。
「……。」
何故かそこで不愉快だと思った。
無性に苛立つとでも言えばいいのか。
不可解だった。
見下ろす娘はよく眠っている。
ふと気が付けば、娘の口元のほくろをなぞっていた。
そのまま首筋をたどる。
鎖骨の下、胸元にもほくろがあった。
それがかえって白い肌を際立たせているようにも見えた。
―――娘はよく眠っている。
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コ・ココン! という軽やかなノックと同時に扉が開け放たれていた。
「レっ……!」
姉が何か言葉を発しようとして、すぐに慌てたように引っ込めた。
おそらく発されるはずだった、罵りの言葉の代わりにクッションを顔に当てられたが。
『魔女っこドレスを脱いでうたたね』
ずっとドレスでいるという感覚が、この子にはありません。
ジルナ様が着てみて、と言ったから着てみました。
着終わったから、終了という感覚。
レオナル、間違いなくむっつり何とかですな。




