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88 スレンと女の子

 

 地主様が、あの方、と……。


 慌てて手すりから離れようとして、転ぶ。


「うっぇ」


 嗚咽が漏れた。

 すごく、惨めで仕方がなかった。


 痛い。

 どうしようもなく、胸が、痛い。

 切なさとやりきれなさ。

 そして無力感。

 自分で立ち上がることすら出来ない。


 そのまま突っ伏して泣いていると、影が差した。


「ああ、転んじゃったの? 泣き虫なんだから」


 スレン様が手を貸してくれる。


 確か内側から、鍵を掛けたはずでは? 


 でも、どうして、とは思わなかった。

 今は構うところではない、という余裕のなさが本音だ。


「フルル、はい、よいしょっとね」


 私を抱え起こすと、当たり前のように首のリボンを解かれる。


「お着替えしようね?」


 また、ごしゃごしゃと頭を撫でられた。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 スレン様の手つきは思いの外、優しかった。

 私も抵抗なく、されるがままでいた。

 スレン様は何も言わない。

 そんな私を見つめる瞳と目があった。


 深い緑。


 まるで雨に洗われる森の木々のように、そぼ濡れているかのように揺れて、惑う。


 それは私の瞳が涙で霞んでいるせいだろうか。


「ど、ぅして?」


「うん?」


「スレン様が泣きそうなのですか?」


「そう見えるんだ」


 そう言うと、スレン様はぽんぽんと私の頭を軽く叩いた。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


「ねえ、見て見て。フールールー?」


 ねえねえと歌うように名を呼ばれて、ゆるゆると目線を上げた。


「うっわ。レオナルの奴。痛いなぁ。何だこの贈り物の多さは!」


 スレン様が次々と、棚に納められた衣装を取り出し始めた。

 次々と寝台に置かれて行く衣装たちに、何故だか顔を背けてしまった。


 どれもこれも気後れするほど、魔女の娘には過ぎた物だと思う。


 こういう物はああいった方にこそ……。


 そこまで思って自分の卑屈さに嫌気がさした。

 頭を振って唇を噛み締める。

 自分を貶めたって何にもならない。


 この衣装を贈ってくれた地主様に対しても、失礼だ。


「ねえ。これはもう着てみた事はある? あ、そう。じゃ、これは?」


 藍色の衣装は、この間の夕食の時に着た。

 静かで深い夜の静寂をまとうかのように思えた。

 だから心を落ち着けて、どうにか食事の時間を乗り切れた気さえした。

 それきり、袖を通した事はない。


 新しい物が次々、次々と用意されてしまうから。


 お姉さんたちも次々と新しい、まだ着たことのないお衣装をどうぞ、と言って勧めてくる。

 いつも、ためらいながら通す衣装たち。


 深い藍色、薄めの空色、明るめの深緑に、薄淡い黄緑色。


 色とりどりの洪水は変わらない。

 でも最初のころよりもずっと、控えめな物を用意されている事くらい、ちゃんと気がついている。

 どれもこれもみんな、私の心許せる森にある色合いばかりだ。

 そう感じるのは、私の思い上がりなのかもしれないけれど。


 そうしていくつかの候補の中で、目が覚めるような赤い衣装を当てられた。


 これはいくら何でも派手すぎやしないだろうか。

 目立ちすぎて恥ずかしい。


 そんな気後れが表情にも表れていたのだと思う。

 スレン様はニッと笑った。


「んん? 自分で着る? それとも僕が着せてあげようか?」


 首を横に振る。


「どうして? これじゃ嫌なの?」

「あ……。派手すぎるから」

「派手? そうでもないと思うよ。こんなの」

「充分、派手だと思います」

「そう。この色は何の色に例えようか、フルル?」

「え? えっと。ナナカマドの赤い実の色みたいです」

「お。いい例えだね。アレは雪景色の中でも、鮮やかに赤くて小鳥たちに存在を教えてくれているよね」

「はい」


「でも、フルルは派手すぎる何て思わないでしょ」


 そうだ。

 秋空にも充分映える赤い実は、冷え込んでも実りを付けてくれているのだ。

 雪をかぶって赤い実は、ひときわ鮮やかに映る。

 確かに派手すぎるだなんて、思ったりしない。

 ナナカマドはナナカマドだから、赤い。


「はい」


「じゃ、これね」


 何だか丸め込まれてしまった気がしないでもないが、すんなりと受け取る事が出来た。


「そうそう。どんな時だって面を上げていなけりゃ、女がすたるよ。それに。そんな気持ちを助けてくれるような、装いってものがあるわけ」


 そこで一つ、息を大きく吸うとスレン様は目を細める。


『ナナカマドの赤は燃えたぎる炎にも匹敵する。剣をも鍛えるあの、炎のように。それでいて七度釜戸に焼かれても燃え尽きることのない樹木。そんな色彩をまとう事に、何を気後れする必要があるだろうか。森にあるもの全ては、君の力添えになりたいと願っていると言うのに』


 一息に告げられた言葉は古語だった。

 きっと何らかの意味合いを持つ、言葉の並びのように響く。

 その意味を問いかけようにも、ただひたすらに見つめて、言葉の余韻に浸る事しか出来ずにいた。

 手渡された衣装を強く握り締めるくらいしか。


 そんな私にスレン様は背を向け、ひらひらと手を振った。


「何だか、誰かさんの足音が近づいて来ているから、早くねー」

「!?」


 慌てて衝立ての後ろで着替える。

 急いだのと、着慣れないせいで、思ったより手間取った。


 そんな時、ドンドンと扉を叩く音がした。

 驚いて肩が跳ね上がる。


「はいはい、レオナルちょっと待っててー。フルルはお着替え中だから、開けちゃダメー」


 そんな事をさらりと、扉の向こうに言わないで欲しい。


 ドンドン・ドンドンと乱暴に扉が叩かれている。

 幾分、下の方からも響いて聞こえたから、扉を蹴りつけているのかもしれない。


 ―― ス レ ン! 貴 様 こ こ を 開 け ろ !


 そんな怒鳴り声もどこか遠い。


「フルル、気にしなくていいからね。でもレオナルが扉を蹴破っちゃう前に、お着替えしてあげて」


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 相変わらず、扉の向こうからは大きな音がしている。

 そんな事はお構いなしで、スレン様は自分の調子を崩さない。

 私を鏡台の前に座らせると、白く柔らかなショールを肩にかける。


「うん。いいね。ナナカマドの花の色だし、ピッタリ」


 それから髪を梳かして整えると、素早く香油で撫で付けてくれた。

 別の入れ物も素早く開けると、すくった蜜蝋を私の唇に塗る。

 手の甲で私の頬を撫でて、考え込んでいたのだが「いいか。このままで。おしろい必要なし」と言うと、手を離した。


「はい、出来た。ん、可愛い可愛い。……まずい。僕も、はまりそう。女の子で着せ替えゴッコ」


 支度が終わると、ひょいと抱きかかえ上げられてしまった。

 そのまま、歩き出す。


 扉は変な軋み音がし始めていた。


「もう、泣かない、泣かない。いいこ、いいこ。フルル、ちゃんと見てなよ。レオナルの顔」


 そう、扉を開ける前に囁かれた。

『魔女っこのこれからの出方。』


どうした訳か、またしてもスレンが出しゃばる。


スレンのセリフにご注目。


「僕も、はまりそう。」


も、って。


うん。はい。はまってます。


着せ替えゴ……?


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