81 レオナルとシュディマライ・ヤ・エルマ
結局はカルヴィナが思うようにならないから、怒りを爆発させてしまっただけだ。
結果がこれである。
心底怯えさせ、何もかも拒まれた。
ここから帰らない、と強く宣言された。
当然の流れだろう。
確か菓子屋の所でも似たような事があった。
ならば、俺もここに居座るまでだ。
あの時のように、地主という地位を見せつける真似はするまいと思った。
結局カルヴィナには自分が借金を返さぬまま逃げようとしたから、連れ戻されるのだと認識させてしまったからだ。
閉じられた扉の前で、ただひたすら待つ――。
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日も傾いてきた頃に意外な来訪があった。
スレンだ。
奴にしては珍しく血相を変えていた。
「もうレオナルになんて、任せておけない」
そう、ごくごく小さく囁くと、扉に向かって叫び出した。
あれこれ訴える内容はまるっきり作り話でもなかったが、だいぶ大げさだった。
「フールールー! レオナルは大事なお役目を放棄しようとしているよー!」
それがさもカルヴィナのせいで、という風に思わせるのに充分な小芝居だった。
なるほど。
こうやって人の心理を巧みについて、こいつは世の中を渡ってきたのか。
俺には出来ない芸当だ。
妙に感心してしまったが、同じようになろうとは思えなかった。
罪悪感を嫌と言うほど感じたらしいカルヴィナが、扉を開けてくれた。
俺に勤めを放棄させては自分のせいだ、と思っての事らしかった。
真面目なカルヴィナらしいと思ったし、まだ本格的に見限られた訳ではなさそうだとも思えた。
おずおずと顔をのぞかせたカルヴィナは、ひどく憔悴していた。
その事に胸が締め付けられた。
同時にえも言われぬ色気を感じて、動けなかった。
「カルヴィナ!」
「フルルゥ!! 捕まえたっ」
そんな俺とは裏腹に、スレンの動きは素早かった。
あっという間にカルヴィナを捕まえてしまった。
それが面白くなく、取り戻そうとしたが拒否された。
スレンからもカルヴィナからも。
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やはり、帰らない、帰りたくないと訴えられた。
そこはスレンが話術で巧みに言いくるめてくれたおかげで、どうにかこうして帰路についている。
先ゆく白馬を見つめた。
カルヴィナは俺と一緒ならば嫌だと泣いて、スレンにすがったのだ。
「よしよし。じゃあ、優しい僕が一緒にだったらいいよね?」
またもスレンは言葉をいいように捉えて、何となくカルヴィナの意思を尊重したように納得させた。
「じゃあ、行こうか」
スレンに抱えられてカルヴィナは馬に乗せられた。
いくらか居心地悪そうにして見えるのは、俺の希望だろうか。
やはりこちらがいいと、腕を伸ばしてくれないだろうか。
そんな気持ちも込めて見守る。
目があったが、ショールを深く被り、顔を隠されてしまった。
それでも見つめ続ける。
「ハイハイ行くよ。レオナルはもうちょっと、離れて離れて」
どちらにしろ、狭い森の小道を並んで馬を進める事は出来ない。
仕方なく、その後ろに続いた。
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何事か。
いきなりスレンが馬の腹を蹴った。
「はっ!」
やると思った。
奴の事だから、俺を引き離すくらいのいたずらは仕掛けてくるだろうと、最初から踏んでいた。
だが向こうは人ふたり分の重みがある。
馬にとってそれは不利だ。
そうした油断が俺を不利な状況へと追い込んだ。
引き離された?
そんな馬鹿な。
スレンはああ見えても能力者としての腕はある方だ。
人に気付かせず、術を発動させたりも出来るのか。
俺にすら、いや俺だからこそ、手の内は見せないでおいたのだろう。
スレン、本当に食えない奴……!
歯ぎしりしても距離は広まるばかりか、その馬の背を見失った。
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確かに目では捉えていた。
馬の速さも申し分なく、過不足なかったはずだ。
それでも追いつけないどころか、完全に引き剥がされてしまった。
気が気では無くなる。
カルヴィナと他の男が二人きり、しかも人気のない森の中ときている。
始末に負えないイタズラをしでかすのが、スレンという男だった。
恐らく何もしないでいる、とは思えなかった。
イタズラ。
嫌がらせなどという程度で、収めるか、そうではないとしたら?
「可愛かったから。」などと、さらりとほざいて、実行していそうだ。
心配の余り、妄想だけが先走る。
「スレン!! いい加減にしろ!!」
全力で叫んだ言葉も、森は静かに受け止める。
いったん、馬の足を緩めて辺りを伺った。
木立を吹き抜ける風も木漏れ日も、皆、魔女の娘の味方のようだ。
耳を澄ませても、己の胸の高鳴りだけが響いて聞こえる始末だった。
――落ち着かねば。
まずは、そう自分自身に言い聞かせて、瞳を閉じた。
耳を澄ませる。
どこへ行ったのだろうか?
その痕跡を辿ろうと試みる。
カルヴィナ、カルヴィナ、どこだ!?
そこでふと、浮かんだのは仮面だった。
昨日今日の騒ぎで返しそびれていたものだ。
巫女の衣装と共に、持ち帰っていた。
もちろん、後で改めて村長の家に返しに行くつもりだった。
もどかしく荷をあさり、仮面を引っ張り出して付ける。
再び、視界が闇に近くなる。
『我は森の主こと、シュディマライ・ヤ・エルマ!』
ザザザッと強く木々の枝がしなって、ざわめいた。
しめた、と思った。
その勢いのままに叫ぶように命じた。
『我の森の娘の元へと導きたまえ!!』
そう言い終えてから、後はとにかく馬を走らせた。
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そうして辿りついたのは、例のあの森の彼こと、オークの木のもとだった。
何故、奴がここに?
そんな疑問は後でいい。
間違いなく、ここでこちらに背を向けているのは、スレンだった。
カルヴィナの姿は見えない。
だが、スレンの腕が捉えている手首は、カルヴィナ以外にありえない、
「カルヴィナ!!」
馬から飛び降り、全力で駆けつける。
仮面は途中で放る。
視界を遮って邪魔だったからだ。
スレンは必要以上に近く、カルヴィナの側にいた。
宥めようのない怒りに、今度こそ身を任せ、勢い任せにスレンの肩を引いた。
「あ~あ。残念。良いところだったのに、追いつかれちゃったよ」
ふざけた口調であったが、スレンの目は挑戦的に、睨んできた。
こいつは時折、俺に敵意をあらわにする。
いつもは、表に出さないようにしているのだろうと思う。
だが、今は構うところではなかった。
「カルヴィナ! 大丈夫か? スレン、どけ!!」
木とスレンとに挟まれて、身を小さくしていたカルヴィナがこちらを見ていた。
瞳には涙が溢れている。
だが、そらされる事は無かった。
「カルヴィナ、すまなかった。カルヴィナ、カルヴィナ、無事か?」
「っく、レオナ、レオナルさま。ごめんなさい、ごめ、ごめんなさい」
泣きじゃくりながら、俺へと腕を伸ばしてくれた事に安堵する。
幾度も名を呼びながら、その背を撫で続けた。
温かさに安堵する。
カルヴィナも安心したように身を任せてくれた。
「すまなかった。来るのが遅れた。怖い思いをさせてしまったな? ――スレン! どういうつもりだ!」
カルヴィナを腕にしまいこみながら、スレンを問い詰めたが、ニヤリと笑われただけだった。
「ん? 二人とも意地っ張りだから悪いんだろ。良かったじゃない。仲直りできて」
そう言うとさっさと背を向けて、馬へと戻り出した。
途中、俺の放った仮面に気づいて拾い上げていた。
何事もなかったように、それを歩きながら、ひらひらと振るようにして見せた。
「二人とも、もう帰ろう。日が暮れちゃうよ」
これ以上は何も言わないからね。
その背はそうきっぱりと、俺を拒絶しているようだった。
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二人でしばらくその背を見つめていると、ぱらぱらと乾いた音がした。
オークの実だ。
それが俺の頭と肩に当たっている。
当たり続ける。
――相変わらず、オークの木からも歓迎されていないようだ。
『レオナル、ぐだうだ』
してる場合じゃないよ!
そんなまま次回です。