78 カルヴィナとスレン
景色がどんどん後ろに流れていく――。
駆け抜ける疾走感に翻弄されてしまう。
どうしたって、スレン様にしがみつくより他はなかった。
その手触りには覚えがあった。
お祭りの準備中の地主様もこの手触りだった。
厚みがあって、ゴワゴワとしていて、何となく取っ付きにくい。
これこそが、彼の言う大事なお勤め服とやらに違いあるまい。
色合いや意匠こそ異なるが、地主様が神殿に行かれる時の服装に似ていた。
それに身を包んだ人を引き締めて見せる上等の衣服は、けして派手ではないが地味でもない。
表情も、雰囲気までも、何もかもが少し違って見せるのだ。
それこそがこの衣装の目的なのだろう。
重役の任務に当たるというのがどういうことなのか。
それを垣間見せてくるようで、私は苦手に思っている。
その襟首に刺繍された蛇と絡む蔦の紋様が、神殿の象徴だと言うことくらい私だって知っているからだろうか。
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神殿。
そこに集うは能力者として名乗りを上げた人たち。
あるいは見出された人たちだという。
おばあちゃんからは、そう聞いている。
古 から語り継がれた叡智と自然からの恩恵の、集約の場。
様々な人々の想いが編み出した魔術というものが加わって、独自に発展しているそうだ。
政 は中央政権、すなわち王族が主だって行う。
それとは別に祭事は神殿が行うのだ。
神殿が祀るのは女神デルメティア。
彼女が司るのは豊穣だ。
乙女に身をやつした女神が、この地に降り立ったという言い伝えは子供だって知っている。
その乙女がこの国の王族の祖先と恋に落ち、その身に命を宿したという事も。
女神は母となり、やがて豊穣の大地となった。
その夫に選ばれた者は、その実りを国中に分け隔てなくもたらす事を誓い、王として認められた。
そんな二人の間に生まれた子もまた、この国を導いたという。
それがこの国の王族の始まりとされている。
だが豊穣の女神の方は血の流れに則って現れる訳ではなく、常に生まれ変わり続けているらしい。
この国の乙女として生まれたものは皆、女神様の血を受け継いでいるとされているのだ。
だから神殿を統治する王は世襲制ではなく、時が来たら自然と選ばれるもの。
一度もお目にかかった事はないが、今の巫女王様はご高齢であるらしい。
既に70歳近いというのを、おばあちゃんから聞いた事がある。
おばあちゃんと同じくらいの歳だ。
その御方こそが、地主様がお仕えしている尊い御方なのだ――。
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スレン様の正装姿に、そんな事をつらつらと考えていた。
この国を代表する御方に仕えておきながら、地主様は何を考えているのだろう?
今まであんまりにも遠い話すぎて、いまいち掴みきれないでいたが、そうも言っていられない。
私に構っていたせいで、何か大切なお役目を放棄する気だとしたら……。
地主様はどうかしている。
「レオナルときたらさぁ。フルルを見たとたん、さらって行っちゃったでしょ。森の娘を自分の元へとさ。だから僕は追いかけて、様子を見たんだ。わざと意地の悪い言葉をぶつけてね」
何故、そんな必要があるのか。
もちろん私には解らなかった。
スレン様はお構いなしで続ける。
「そうしたら案の定。つまらないプライドからフルルをこき下ろした。聞いていたよね?」
はい、と。
どうにか答えた。
そんな答えも風にさらわれて、遥か後方だ。
思わず地主様に届いてくれるなと、祈らずにはいられない。
もちろん耳に届くようなものではないと知ってはいるが、このわだかまった想いが礫になってぶつかってしまう事を恐れた。
風というものは何もかも、さらって届けるものだから。
目に映らないものなら、なおさらだ。
ぎゅっと目をつぶった。
みっともないカラス娘。
貧相な娘。
しかも足を引きずって歩く。
いくらか時間が経ってくれたおかげで、はっきりとその言葉は思い出せない。
だがその分、言われた言葉の指す意味合いだけが凝縮されて蘇るのだ。
要点だけを突き詰めて、私のことを何という風に捉えているのか。
それだけは忘れられない。
何より、忘れてはならないと自分自身を諌めてもいる。
そういえば――地主様は追いかけて来てくれているのだろうか?
ふとよぎった考えに、自分自身の浅ましさに嫌気がさした。
あれだけ地主様を拒んでおきながら、いざという時は彼の姿を求めてしまう何て。
あれほど置いて立ち去って欲しいと願っていたくせに。
いつ、地主様から愛想をつかされてもおかしくないのだ。
怖くて後ろを振り返ることも、スレン様にも尋ねることも出来ない。
私は、自分勝手な娘に違いない。
あんなに真剣な眼差しの地主様を、突き放すようなマネをした。
そうしてスレン様の手を取ったのだ。
あの時、彼はどんな目で私を見ていたのだろうか。
胸が痛んだ。
「自分のプライドの方を優先するヤツに、フルルを任せて何ておけないよ。だから、フルルが出て行くように仕向けたよ。何でわかるのかって? だって君。そんなに大人しくないもの。弱っていたけど、何かしら対処しようとするでしょ。大魔女の娘だものね」
私というお荷物を乗せてなおかつ、こんなにもしゃべり続けていながら、スレン様の呼吸はまったくもって乱れていなかった。
「レオナルは迎えに行った。あのまま無視するかな、って本当は思ったんだ。面倒ごとが無くなった。そういう答えを出すかな、と思ったんだけど。意外にも自分で追いかけた。人も使って、あちこちに配置して。それこそ、囚われているって公言しているようなものでしょ?」
「囚われている?」
地主様ほどの方が、何に囚われていると言うのだろう。
あの方は自由だ。
何においても彼自身に選ぶ権利があると、私は思っている。
それは私には無いものだとも。
悲しくなって瞳を伏せる。
そんな風に思って面をあげられなくなる自分がますます、その輝かしい何かから遠ざかる気がした。
少しでもいいから彼の側にいるのに相応しい、人となりを望んでいるのだと気が付く。
それが具体的にはどういったものなのかを考えるのが怖くて、事実を突き付けられる前から、私は逃げている。
今だってそうだ。
「もう、馬を止めて。下ろしてください」
意を決するよりも早く、言葉が口を付いて出た。
体をこわばらせて、その場に留まるようにしてみたが、何の効果もなかった。
「嫌だよ」
「お願いします」
「……ダメ。もうちょっと、付き合って」
スレン様は少しだけためらってから、続けた。
「レオナルは繰り返すよね。君の魅力にひれ伏しては、それに抗うっていうの? 優しくしては突き放す。矛盾しているんだよ。君を大事に想う心と己の自尊心を量りにかけては、その重みの傾くほうがわずかばかり自分なんだ。レオナルが一番フルルを侮辱しているに、他ならないと思わないかい? そのくせフルルって呼ぶ僕を怒るんだ。要は自分以外の誰かが、フルルを侮辱すると怒り狂う。フルル自身がフルルを卑下してもだよ? 何様のつもりなんだろう。そう思わないか」
「それは、私が税を納めてこなかったし、色々と問題のある娘だから……。」
「まだそんな事を言うの?」
うまく答えられないまま、スレン様の走らせる馬に揺られ続けた。
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いくらか風が柔らかになった。
馬の足音にもゆとりが表れる。
それでも私の動悸は収まらない。
吹き付けてくる風は心地よく、厳かながらも暖かな空気に出迎えられる。
開けた原っぱの先に待つもの。
それは、森の彼ことオークの巨木だったからだ。
「さて、振り切ったね。どうしたのさフルル? 君、ここが好きだろう」
スレン様がこともなげに言うのを、ただぼんやりと聞いていた。
『何のつもりでしょうか、スレン?』
何か考えあってのことなのは、間違いありませんが。
もう少し彼の目的にお付き合いください。