72 レオナルと魔女の娘
あまりに震えているので、支えるつもりで手を差し伸べた。
その途端にカルヴィナの肩が、大きく跳ね上がった。
小さな手から杯が転がり落ち、衣服を濡らす。
カルヴィナの膝下と、ほんの少し俺の袖口ぐらいだったが、カルヴィナの動揺は思った以上だった。
「申し訳ありません。せっかく地主様が持ってきて下さったのに。申し訳……。」
「謝らなくていい。気にするな。それよりもスレン。何を言った?」
スレンに対する苛立ちを、努めて出さないように尋ねた。
今、カルヴィナは俺に怯えていると感じたからだ。
少しでも俺の感情が荒ぶると、この娘は萎縮してしまう。
先程、嫌というほどそうさせた事を後悔している。
いくらか頭の冷えた今なら、己の行動を諌める事ができる……はずだ。
「ん? レオナルの武勇伝。怖がらせちゃったみたいだね~?」
スレンは面白そうに目を細めて、のらりくらりと答える。
こいつにこれ以上構っても、怒りが爆発するだけだと解っている。
だから無視するに限る。さっさと背を向け、カルヴィナに向き合った。
「何を聞いたのだ、カルヴィナ? おまえを怯えさせるような事だったか?」
「……。」
のぞき込み、その瞳を伺う。
カルヴィナは涙を溜めたまま、微かに頭を振って見せてくれた。
安心させるために、頭に手を置いて撫でようと手をかざすと、それだけで怯えられてしまった。
とたんに胸に苦い想いが広がる。
それすらも押しやるようにして、優しい口調を心がけた。
「疲れたな。村長の家に戻って着替えて、休ませてもらおう。それでいいな?」
今度は強く頷いてもらえた。
そこに安堵する自分に苦笑する。
「カルヴィナ。大人しく抱えられてくれるか?」
一瞬、怯えたように首をすくめられてしまったが、打ち消すように頷いてもくれた。
そっとマントを跳ねよけて、華奢な身体に腕を差し入れた。
「あれあれ。乙女がシュディマライ・ヤ・エルマにさらわれて行くようだよ」
スレンが笑いながら仮面を差し出す。
カルヴィナを抱えているせいで両手はふさがっていた。
「ねえ、フルル。これは君が受け取って」
マントの下で、小さく反応があった。
そっと顔をのぞかせたカルヴィナへと、スレンは仮面を差し出し続けていた。
「これは君が村長の家まで持っていってあげて。なんなら、レオナルにはもう一度仮面を付けてもらいなよ。もう一度でも何度でも、二人でお役目ごっこをするといいよ。誰にも邪魔されずにね」
おずおずと受け取ろうと、指先を伸ばしたカルヴィナを、からかうようにスレンは言う。
「え?」
おそらく意味は理解できていないだろう。
だが、意味深なことを言われたと、それだけは察したらしい。
カルヴィナは腕を引きかけた。
だが、スレンは半ば押し付けるように仮面を持たせてしまう。
「カルヴィナ、奴の言うことは気にしなくていい。――スレン! リディアンナを頼むぞ」
「当然」
「もう一刻以内には館に送り届けろよ」
「え~? 今日はここで一晩明かそうよ」
「駄目だ」
「出たな、横暴。嫌だよ。夜の森は危ないから、村長が泊まれって。部屋まで用意してもらってあるし」
「ならいいが。リディアンナにほどほどにするよう、寝かせてやってくれ」
「了解」
ひらひらと手を振りながら、スレンが見送る。
「ごゆっくり。まあ、レオナルも、ほどほどにね」
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村長の家に戻ってみたが、誰も居なかった。
当然と言えば当然だ。
まだ、祭りの最中なのだ。
暗い家に背を向けて、さっさと魔女の家を目指した。
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手にした明かりを頼りに暖炉に火をおこす。
夜の気配に、秋を通り越した季節の気配が混じっているように感じる。
火の側に椅子を引き、そこにカルヴィナを座らせた。
靴を脱がせて、汲み上げたばかりの井戸水で、カルヴィナの足を拭いてやる。
「冷たくはないか?」
「地主様、あの、自分でしますから」
「レオナルだ、カルヴィナ」
「レ、レオナル様。自分でやります」
「もう終わる」
取り合わず、小さな足先を布で包んで水気を切った。
カルヴィナの足では、左の足先に負担を掛けているようだ。
靴の中で押し付けられて、窮屈そうに丸まっていた指先をほぐすと、血も滲んでいた。
不自由な右足とは反対の方に重心を傾けているのだから、当然か。
清潔な布を選んで引き裂いて巻きつけてやる。
慌てふためくカルヴィナをよそに、一連の作業を滞りなく済ませた。
「今日は朝から、なんだかんだと座れなかったものな。痛むか?」
「いいえ。ちっとも」
「無理をするな。気がついてやれず、すまなかった」
即座に否定するカルヴィナを、再び抱え上げた。
鍵付きの方の寝室を目指す。
歩き出すとすがるように、身体を預けてくれた。
その事に何よりも安堵する。
静まり返った室内に俺の足音だけが響いた。
暖炉の炎に照らされた影が揺らめく。
魔女の部屋の奥までは照らしきれない。
開かれた扉の隙間から見える明るさでは頼りない。
互いの輪郭をたどるのが精一杯だ。
そんな中、低めの寝床にカルヴィナを下ろす。
俺にそうされる事にいくらか慣れてくれたらしく、促さずとも下ろされる間際には、首元に腕を回してくれるようになった。
その下ろした瞬間に、腕に力を込められるのが好きだ。
カルヴィナにしてみれば単に、不安定さにしがみついただけかもしれないが。
彼女自身から望んで、抱擁されたとも受け取れる。
それに応えるように、細い身体を抱き込むようにする。
「――もう疲れたな? 横になって休め」
耳元に囁き込むと、頷いたのが伝わる。
背の中ほどをなで上げると、華奢な体がしなった。
そのままゆっくりと身体を横たえてやる。
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どうして俺はこんなにもか弱い娘に、あれほどの暴言を吐けたのだろう?
弱り切った娘がろくに食事も取らずに泣き暮らしている。
そう聞いてしぶしぶ訪れた。
その時の俺は仕方なく出向いたのだ。
これ以上、他人になぞ構っている暇はない。
いくらばあさん縁の者であろうとも、俺は関わる気は無かった。
あの日。
このまま放置すれば娘が、あっさりばあさんの後を追うのが目に見えてしまった。
そこに苛立ちを感じながら、娘をかつぎ上げたのだ。
本当に何という面倒な――。
そうとしか感じられなかった。
帰るのだと言い張る娘に、何と状況の読めない馬鹿な娘かと呆れた。
泣くと腹が立つ。
そう言ってなじった。
放っておけばただ、ただ、弱ってゆくだけのくせに。
食事も取らず、うつむいたまま涙をこぼす娘を、散々なじった。
取らないのではない。
取れなかったのに。
過度の緊張に追いやられて。
そうしたのは俺だ。
あの時――。
萎縮しきって怯え、出ていったカルヴィナを大声で怒鳴りつけた事は記憶に新しい。
ほんのつい先程も同じ過ちを繰り返した上、怒りに任せて押し倒した。
泣きじゃくりながら謝り、震え続ける娘に何と言った?
思い出したくもないとは、我ながら身勝手なものだと呆れるしかない。
嫌われるための行動なら、すでに余すことなくやり尽くしたように思う。
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「地主様?」
「レオナルだ、カルヴィナ」
「あの、巫女の衣装がシワになってしまいますから、横になる前に着替えます」
「そうか。それもそうだな」
「はい」
起き上がろうとするカルヴィナの肩を押さえつけたまま、衣装の肩紐を引いた。
紐は呆気なく解けて白い肌を滑る。
それを眺めながら、もう片方も指に絡めて引く。
次いで腰帯。流れのまま、背中の結び目も同じように。
「じ、じぬしさま……? なに、を?」
レオナルだと言っている。
訂正は自らの唇に乗せたまま、カルヴィナの唇に押し当てた。
『地主よ。その手つきは何だ。』
嫌に手際よい。
あまりのナチュラルさに、警戒心も発動しない……?
どうなります事やら~。