7 魔女の名前
『古語』なるものは作者の創作ですので、ご了承くださいませ~。
呆気に取られている私に、美女は屈んで両手を取ってくれた。
すべすべしている。
私のささくれた指先が、この綺麗な手を傷めやしないかと冷や冷やした。
不安が顔に出ていたのだろう。
にっこりと微笑みかけられる。
改めて、と美女は仕切りなおすと私の頭を撫でる。
「はじめまして。わたくしはナディン・ジルナレッド・ロウニアよ。長いから、ジルナと呼んでちょうだいね」
「はじめまして、ジルナ様。大魔女の娘でございます」
頭を撫でてくれていた手が止まる。
ジルナ様が不思議そうなお顔をされた。
当然、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だろう。
「あの、申しわけありません。魔女の定義で名前はその、名乗れないのです。便宜上『エイメ』とでもお呼び下さい」
「古語で娘の意味ね。そのままなのね。そう……じゃあ、こう呼んでもいいかしら? 『フィルナ』では失礼かしら。かわいいから、あなたにぴったりだと思うのだけど」
『フィルナ』とは雫という意味だ。
泣いているところを見せたからだろうかと少し気恥ずかしかったが、嫌味は感じない。
迷い無く頷いて見せた。
「え、と、その。恐れ多いです。どうぞお好きなようにお呼び下さいませ」
「そこに突っ立っているのが弟よ」
「はい。地主様でいらっしゃいますね」
「……。」
「レオナル! 貴方は挨拶もちゃんと出来ないの!」
いきなりジルナ様が振り返って地主様をなじった事に驚く。
「……ザカリア・レオナル・ロウニアだ。おまえの事は『カルヴィナ』と呼ぼう、大魔女の娘」
『カルヴィナ』は夜露を意味する古語だ。
正直、驚いた。
何故かしら鼓動が大きく跳ね上がった。
やはり、この瞳の色と泣いてばかりいるからだろうか。
ジルナ様とは違って、カルヴィナと呼んで良いか? 等とは訊かれずに決定を言い渡されたのだと思う。
反対する気など無かったが、ここはどう答えるべきなのだろうか。
気まずい沈黙が続く。
かと思ったら、明るい賞賛の声が上がった。
「あら! レオナルにしてはやるじゃない」
「ええ。意外でした」
「リヒャエル。貴様は先程から何を言いたい」
そのお付の人は地主様に凄まれても、意味ありげに唇の端を持ち上げて見せただけだ。
彼もゆっくりと片膝を折ってから、胸に手を当てて私を見た。
透明な空色の瞳は綺麗な青空みたいだ。
私の夜闇を映す瞳とはまるであべこべだ。
彼が頭を少し傾けると、一緒に灰色の髪も一すじ頬に流れる。
髪の色は曇り空のようだな、とぼんやりと思う。
「改めて、よろしくお願いします。リヒャエル・エルンデです。長ったらしいのでエルとでもお呼びください、『エイメリィ』様」
『エイメリィ』それは少しくだけた、お嬢さんという呼び掛けだ。
「お嬢さん、さま?」
「ええ」
『変なの。様、いりません』
思わず古語のまま返して、くすくす笑ってしまった。
「ええ、『エイメリィ』様」
なおも繰り返されて、おかしかった。
久しぶりに笑った気がする。
にこにこしてくれるエルさんは、とても優しそうだ。
「レオナル。貴方、負けてるわよ」
ジルナ様が振り返って地主様に声を掛けたが、意味がわからなかった。
ちらと見上げて、様子を窺うと地主様と目が合う。
彼は何も答えず黙って立っているだけだった。
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名乗りあってから、暇を告げるとやんわりと拒否された。
「まずは着替えて、朝食にしましょう? ね? 私と一緒は嫌かしら」
「そんな事ありませんが、恐れ多いです」
「嬉しいわ。じゃあ早速、着替えましょうね。さあ、男どもは出て行きなさい!」
びしりと扉へと指差され、二人は素直に出て行った。
パタンと扉が閉まったのを見届けてから、ジルナ様はそりゃあいい笑顔で微笑み掛けて下さった。
少し怯んで、引きつった笑顔で何とか応えたつもりだ。
ジルナ様は私を慎重に立たせると、うきうきと鏡の前に引っ張っていく。
鏡の中で虚ろな瞳とかち合った。
泣いたから瞳は赤く、目蓋は腫れている。
黒い髪はぱさついて、まとまりも無い。
頬はやつれ、目の大きさだけが嫌に目立つ。
唇もひび割れていた。
全体的にひどい有様だった。
久しぶりに自分を見た気がする。
『エイメ』 むすめ。
『フィルナ』 しずく。
『カルヴィナ』よつゆ。
『エイメリィ』お嬢さん。
こんな調子でちらほら出てきます~。
誰がどうみたって、エルのリードの巻。