69 勇気を出した乙女たち
そこにあるのは立派な青年の姿のはずなのに、私の脳裏に浮かぶのはまだ幼さの残る少年の残像だった。
引き結ばれた唇を眺めていたら、私も同じように引き結んでいた。
それは決意の表れだと思うけれども、一体何を決めたらいいのか教えて欲しい。
誰に教えを乞おうというのか。
そこで浮かぶのはやっぱり、おばあちゃんだった。
おばあちゃん。
いつだってこの胸にある人を思い浮かべる。
おばあちゃんは確かに年齢から言えば、お年寄りかもしれなかった。
けれど、私よりもうんと昔のことも、新しいことも知っている人だから。
この胸に渦巻く想いを表す言葉を、きっと知っているのもおばあちゃんだ。
でも私も知っていることがある。
おばあちゃんはこんな時、どう言うかということだ。
いつも不安で答えに惑うたび、おばあちゃんにすがった。
すると必ず頭を優しく撫でながら、こう促される――。
『自分で自分に聞いてごらん?』
おばあちゃんはいつだって、答えを自分で出すようにと促してくれた。
それが正しかろうと間違っていようとも、それが一番の答え。
選択を人に任せてはならない。
一番正しいと思っているおばあちゃんの答えこそ最善に違いない。
そう信じて疑わない私の甘えは、やんわりと、そしてきっぱりと突っぱねられた。
だから私は自分に尋ねるしかない。
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私も呼吸を整えるべく、意識して大きく息を吸い込んだ。
辺りは日が落ちかけている。
一昨日よりも、昨日よりも、日暮れが早いように感じる。
足はやに駆けてゆく実りの季節を惜しむ間にも、確実に遠ざかる何かを迎え入れられたら――。
まっさらな自分になれるだろうか。
ふとそんな祈りにも似た、儚い想いが浮かんで消えた。
入れ替わるように、ゆっくりと忍び寄る冬の気配が胸に沁みて、背筋が伸びる気がした。
「ジェス」
「言っただろう? 待っていると」
「……うん」
「エイメ、待っていた。ずっと」
「ずっと?」
「ずっとだ」
ジェスは胸に手を当てると、ゆっくりとその場に跪く。
今この目の前にいる青年は、遠いあの日の少年であって、そうではないのだ。
どんなに瞬いたとしても戻ってこない日々。
いつかは彼とも一緒の風景を見たはずなのに。
冷たい風が頬を撫でながら吹く。
私はただ怯えていた。
ジェスは違うものを望んでいた。
そこに気が付けていたのなら。
ほんの少しだけで良かった。
俯いてしまわずに、勇気を出して眼差しを上げていたのなら。
――見えてきたものがあったろうに。
それでも、重なったかもしれない想いを呼び起こしたいとは思わない。
真剣な眼差しに、どうしても応えられない等と言い出しにくくなる。
罪悪感からだけではない。
我が身の可愛さからもだ。
自分で自分が嫌になる。
「……。」
胸が詰まり、言葉にも詰まった。
自分の状況も忘れて、真剣な眼差しから逃げないようにするだけで、精一杯だった。
背中がとても温かな事も馴染んで忘れていた。
声を掛けられるまで。
「カルヴィナ」
ものすごく改まった口調で名前を呼ばれた。
低く落ち着いた声の威力は半端ではない。
すぐさま答えねばという気持ちになってしまう。
「じぬ……っ、レ、レオナル様」
危ない。
慌てて口を噤んで、言い直した。
そうでなければ人前であろうとも、どんな目に合わされるか。
これは地主様の仕掛けてきた罠だ。
もうその手には乗らない。
先程さんざん思い知らされた。
用心深くなった私に、微かだが舌打ちが上から振ってくる。
危なかった。
こんなにも密着しているのに、それを本気で忘れていた。
自分の神経を疑う。
頭を振って、しっかりしろと自身を叱咤した。
仮面を構えて、いざという時に備える。
『ちゃんと名を呼ばれなければ、俺はまた再び獣に戻ってしまう』
そこに至った理由を尋ねる暇も与えてもらえないまま、そんな風に押し付けられた理由を飲み込むしかなかった。
確かに名前は大事だ。
魔女の娘だもの。
よぅく心得ている。
仮面に宿る意思に支配されていたらしい、地主様の言い分はもっともだ。
だが、もう仮面は外れたのではなかろうか?
それともシュディマライ・ヤ・エルマの御霊は、まだ地主様の奥深くにしがみついていて離れないのだろうか。
何といっても今日はお祭りだ。
そうやって今日は過ごそうと森の神様も考えたのだとしても、文句は言えない。
「カルヴィナ」
「じ、レ、レオナル様」
「カルヴィナ」
「レオナル様?」
試され……脅されている!
間違いなく、私は今、脅されているに違いない。
何が何だかよくわからないが、地主様の放つ気迫にただならぬものを感じる。
頭の中がぐるぐるしてきた。
忙しなく呼吸を繰り返していると、視界の端を何かが掠めた。
そっと伺うと、いつの間にか出来た人垣の中、手を振るミルアの姿があった。
ひらひら視界を掠めるのは、ミルアの白い手だった。
ジェスの後ろで人影に紛れてこっそり立つ、ミルアが何やら口をぱくぱくさせている。
何か言いたいようだ。
唇をミルアにならって動かしてみた。
ガ ン バ レ 。
――何をどう?
尋ねようにもこの距離と雰囲気だ。
困りきって視線を投げかけると、ミルアも何やら決心したように頷く。
心なしか表情が固い。唇を引き結ぶと、隣に立つ人の腕を引いた。
その腕を高々と持ち上げて見せてくれた。
その男の人――エルさんの腕には、一生懸命にこさえた腕輪がはまっている。
「……。」
何だかもう後には引けない所に追いやられている気がしないでもないが、覚悟を決めるしかないようだ。
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「じぬ……。レオナルさま、少し下ろしてください」
「嫌だ」
即座に断られた。
「あの、お渡ししたい物があるのです。この格好だとお渡しできません。それとも、やっぱり……。私からの物はご迷惑でしょうか?」
すぐさま下ろされた。
地主様は私からさりげなく仮面を奪う。
その間も私が転ばないようにと、もたせ掛けるようにして支えてくれていた。
自身の左の二の腕にはめておいた腕輪を外す。
石は赤だ。
ミルアと一緒にこしらえた、想いを託すという腕輪。
今までの感触の記憶を頼りに作ったら、私の腕にははかなり大きな寸法になった。
いつのまにか、この目の前の人を想いながら作ったら、そうなっていた。
「じ、レオナル様。どうかこれを、よろしかったら受け取って下さい」
勢い付けて差し出したら、地主様にまるで押し付けるようになってしまった。
彼の手のひらに収まる赤い石の輝きが、ひどく眩しい。
地主様は私と腕輪とを交互に見比べて、それから微笑んでくれた。
「ありがとう、カルヴィナ。いいのか?」
「はい」
こくりと頷く。
すごく恥ずかしいけれど、先程のやぐらでの出来事に比べたらなんてことはない。
そう自分に必死で言い聞かせた。
それはそれで頬が火照る。
そっと見上げると、地主様は早速はめてくれていた。
私に見せるようにしてくれる。
「ちょうど良い大きさだ」
地主様のもの言いたげな眼差しと見つめ合ってから、ジェスへと向き合った。
「ごめんなさい、ジェス。あなたとは踊れません。これからも、ずっと。だからもう、待たないで。待たないで――本当にごめんなさい」
「そうか。わかった。……もういくら待っても、どうにもならないのだな」
「ごめんなさい」
「謝らないでくれ、エイメ」
ジェスが悲しそうに、でも無理やり微笑んで見せながら、立ち上がる。
「いいんだ。エイメが祭りに参加してくれて良かった。本当に。巫女姿、綺麗だ。すごく」
「ジェス……。」
「お疲れさん!! ジェス――!!」
突然の大声に驚く。
ジェスの背を突進するように叩き、後ろから首を羽交い締めにする人影があった。
お祭りの直前に、お酒を勧めてきた若者たちだった。
「そうだ! そうだ! 謝らなくたっていい! ジェスは俺らフラレ組みに任せろ――!!」
「祝いの酒でやけ酒すっから気にすんな! 毎年恒例」
「嫌な恒例行事だねぇ」
いつの間にか歩み寄ってきていた、スレン様がのんびりと言った。
「色男様には解るもんか!」
「確かにそうだねぇ」
そう言いながら前髪をかき上げる腕には、腕輪が二つもはまっているのが見えた。
「うっわ。むかつく気もおきねぇ」
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ちょっとした騒ぎの中、地主様だけが落ち着きを払っていた。
ものすごく大きな、広い意味での好意のつもりで差し出した腕輪だった。
今までもお世話になりっぱなしで、迷惑のかけ通しだった。
私の持っているもので、差し出せるものなどほんの僅かでしかない。
せめてもの、お礼を伝えたい。
そんな気持ちを込めた品を渡したいと思って、差し出したのだ。
こんなもの、きっと地主様にしてみたら、何の意味も成さないはずだろうけれど。
そんな卑屈な気持ちに負けてなるものか、と気持ちを奮い立たせていたのに。
いざ渡す段階になると、やっぱり気持ちは怯んでしまった。
それなのに地主様は腕輪をはめてくれて、大事そうに石の部分を撫でてくれている。
目が合うと石に唇を押し当てながら、頭を下げられてしまった。
そのまま優雅に膝をたたむように折り、胸に手を当てて申し込まれた。
「あなたの好意を確かに受け取った。どうか私と踊って欲しい」
地主様――と心の中で呼ぶと、見透かされたように訂正された。
「レオナルだ、カルヴィナ」
大慌てで頷く。
そのまま再び、勢い良く横抱きにされた。
「スレン。片付けておけ」
「何だぁ。もう外れちゃったんだね」
ニヤニヤと意味ありげに笑うスレン様に、地主様は仮面を押し付けた。
スレン様はおどけて、半分だけ仮面を被るようにしながら、流し目をくれる。
「当たり前だ。いつまでもシュディマライ・ヤ・エルマでいられるか」
「ふぅん?」
そんなスレン様に背を向けると、地主様はぐんぐん踊りの輪の中に進んでいく。
大きく組まれた木の枠組みの中、炎が勢い良く燃え盛っている。
何組みかの男女が、既に向かい合ってステップを踏んでいる。
それにぶつからないように、上手に避けながら地主様は回った。
炎の周りを、くるくる回りながら、一緒に笑った。
さっき一緒に撒いた花びらも一緒に舞う。
私を落とさないようにしっかりと抱きかかえてくれる腕の中、安心していられた。
ただそうやって、くるくるされているだけなのに息が上がってきた。
「レオナル様、ちょっと、回りすぎやしませんか」
「確かに」
声を上げて笑う地主様なんて初めてだった。
目が回ったのだろう。
クラクラしてきた。
「もう! ふざけすぎです」
「舌を噛むぞ」
「きゃあ!」
抗議してみたが、笑い飛ばされてしまった。
つられて一緒に笑ってしまった。
笑い過ぎたのか、だんだん苦しくなってきた。
楽しいけど、苦しい。
今の私の気持ちは、体の声と一緒だと思った。
「……。」
何だ。
私は地主様が好きなのだと気がついた。
好き。
その瞬間――ぽたりと落ちた雫は、夜露なんかじゃない。
地主様が好きだと認めるしかない。
けして相手にされるわけないからと、見ないふりをしてきた気持ちを、潔く見据えることなんて出来やしなかった。
でも。
それでも。
――好き。
そうしたら、楽しいけど苦しいと思った。
息ができないと。胸が詰まるのだと。
軽快な音楽が少し緩やかになった。
それに合わせるように、レオナル様もまた優雅に歩調を落とす。
私を抱きかかえて、あやすように身体をゆすり続けてくれる。
どうされたって、胸は苦しいばかりだ。
「よく、がんばったな」
そう言って大きな手が、後ろ頭を撫でつけてくれた。
何を労ってくれているのだろう。
それでも一気に肩の力が抜ける。
レオナル様の首筋にすがって、肩に額を押し付ける。
そのまま、何故だか溢れ出した涙を止めることが出来なかった。
『腕輪はある意味 獣にはめる首輪みたいな』
結局は皆が見守る中の告白大会になりました。
カルヴィナ、注目されるの苦手なのに頑張りました。
おいちゃん・おばちゃんたちはもちろんの事、
おじいちゃん・おばあちゃんたちも
「若いっていいねぇ」 と うっとりしながら見守っているぞ!




