68 乙女を求める獣たち
地主様に抱きかかえられて、やぐらを降りる。
私はといえば揺れに身体を任せながら、手のかけどころに困っていた。
やたらと仮面を握り締めてみても、あまり何の助けにもなっていないのは分かっている。
それでも。
トン、トン、と地主様がひと足ごとに下りる度に、振動が伝わってくる。
最初はそれが心地よかった。
私の胸の鼓動と同じリズムだったから。
でも、だんだんと早まる鼓動とは合わなくなってしまう。
色々と意識が戻ってきているせいだと思う。
さっき、地主様に、たくさん……。
熱を与えられ、そして奪われた。
それだけじゃない。熱を呼び覚まされてしまったのだと思う。
そうして私の中でこもった熱は、地主様に吸い上げられるみたいだった。
地主様も同じに思ったかもしれない。
熱に浮かされながら、そんな事を思ったら自分が溶けてしまう気がした。
そんなお互いの熱を感じながら、ただ嵐が過ぎ去ってくれるのを待った。
もう、恥ずかしくて耐えられない。
俯くしかない。
そうなると、もっと彼に頬をすり寄せてしまうような格好になるしで、いたたまれない。
『どうしたんだ、カルヴィナ? 何だ。照れているのか?』
そんな事をさらりと言われて、額にまたあたたかなものが押し付けられた。
『!!』
私の頬は熱いなんてものじゃない。
動じてもいない地主様に悔しさを覚えるのと同時に、こみ上げてくるのは説明のつかないもどかしさだった。
さすがは地主様だ。こんなこと、当たり前にこなす。
大人の男の人らしい余裕っていうものに、私はすっかり怖気ついていた。
仮面を被ってしまう事にする。
今度は私が外れなくなる番だったら、いい気がする。
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乙女を求める獣の視線と交わった――。
地主様に言われた、謎かけみたいな言葉を反芻する。
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身体に力が入らないまま地主様をぼんやりと見上げると、一瞬だけ視線をそらされた。
それもただ眺めた。
そこに置いてきぼりにされたかのような寂しさを覚えた。
だから無意識のうちに、眼差しですがっていたのだと思う。
それに気がついたように、地主様は視線を戻してくれた。
『そんな顔をするな』
どんな顔の事だろう?
顔を真っ赤にするなって言うことかと思い、頬に手を当てた。
ほてりを冷まそうとしてだったけれど、逆効果だとすぐに気がついた。
手のひらも、負けないくらい熱かったから。
『いや、違う、カルヴィナ……。』
抱え直され、ゆっくりと頬に当てた手を外された。
まだあのどこか熱の名残のある眼差しに、射すくめられる。
『どうしてこんな事をするのだと言いたそうだな』
それもある。
だから、ひとつ瞬いて答えた。
『俺も乙女を求める獣の視線と交わったのだ』
地主様は、ぽつりとそう漏らされた。
そのまま抱き上げられ『もう降りるぞ』と宣告されたのだ。
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どうか熱よ冷めて。
せめてやぐらを降りるまでには。
そう願ってみても、余りにも時間が短すぎた。
いくら視界を遮ってみても、耳に届く楽の音がそれを許さない。
だんだんと近づく、人々の楽しそうな笑い声が音楽に乗って、大きくなってくる。
私の心配はただ一つ。
皆に変に思われたらどうしよう。
顔が真っ赤だってからかわれたら、恥ずかしい。
生まれて初めて、自分の色以外の理由で人前に出たくないと思った。
こんな事は初めてで、私の中の気持ちの整理がつかない。
持て余すどころか、すっかり翻弄されてしまっている。
『カルヴィナ』
促すように名を呼ばれて、覚悟を決めた。
揺れはもう収まっている。
しっかりと大地に立つ安定を感じながら、地主様を見上げた。
仮面が少しずり落ちた。
私には大きいのだ。
落とさないように手で支える。
地主様はそんな私を見下ろしながら、もう一度名を呼んだ。
『カルヴィナ』
『……はい』
何かを伝えたそうな呼び声に、心動かされる。
地主様が何かを気にしておられる。
わずかながらも伝わる動揺が何なのか。
彼の視線にならってそちらを見た。
「――ジェス」
彼が立っていた。
いや。
ただ立っていたのではない。
待っていたのだ。
私を。
その姿は遠く過ぎ去ったあの日の、まだ幼かった彼にかぶった。
いつも何か言いたそうに、でもそれを飲み込むように唇を引き結んだ少年。
それが怒っているように見えるから、私はいつも怯えていた。
私を見ると不機嫌になるんだって、カラス娘は不吉だからって、ずっと無言でそう言われている気がしたものだった。
でも違ったのだ。
今ならわかる。
彼はずっと私に何かを伝えたかったのだ。
それが上手く言葉に出来なくて、乱暴な仕草や物言いに繋がっていたのだ。
「ジェス」
彼の名を呼ぶと、たちまち地主様から不機嫌な気持ちが伝わってきた。
驚いて地主様を見上げると、決まり悪そうに見下ろされたが、そらされることはなかった。
「エイメ。待っていた。ずっと」
ジェスが思い切るためにと、大きく息を飲み込んでから言ったのがわかった。
「俺と踊ってくれるよな?」
『獣の憩う場所』
獣が乙女を求めるように、乙女もまた。
そんなシーンが書きたいな、と早何年目でしょうか。
お楽しみいただけますように!