66 シュディマライ・ヤ・エルマと真白き光
沈黙が怖い。
地主様は何も仰ってはくださらない。
仮面の奥の眼差しは何をうつしているのかも計れない。
先ほど、地主様に言われた言葉を繰り返す。
地主様以外に、お嫁に行けないようにするって仰った。
もしかしたら聞き間違いかもしれない。
だとしたら、きっと、見当違いの答え方をした。
やぐらの天井に飾られた色とりどりの刺繍飾りが、よく見えた。
それらからも見下ろされ、身動きが取れない。
その事をぼんやりと思う。
私は、今、身動きが取れない――。
その事に衝撃を覚えるよりも、どうしてだろうかなどと疑問に思う。
地主様に押さえ付けられているからこその、この有り様なのだが。
地主様はどうして怒り出してしまったのだろう?
ああ、そうか。
私がお祭りに無理やり付き合わせて、貴重な時間を奪うようなマネをしたせいだ。
息が詰まる。
ふえっと、抑えきれない嗚咽が漏れた。
慌てて唇を噛み締めて、堪えようとしても遅かった。
ぎゅっと目蓋を閉じると、眦から涙も押し出されてしまった。
頬をゆっくりと伝い落ちるのを感じながら、何故じぶんが泣いているのかと問いかけた。
地主様が怖いせいもある。
だがそれ以上に悲しいのは、他にあった。
地主様が怒り出したのは、お祭りが楽しくなかったからかもしれない。
そう思い当たったからだ。
私は楽しかった。
準備も含めて、いろいろあったけれども、すごく楽しかった。
でも地主様はそうでなかったのかもしれない。
仮面が外れなくなるという、説明のつかない事態になったのも、元を正せば私にあるのかもしれない。
それなのに、魔女の娘は何の役にも立てないでいる。
いろいろな可能性を思って謝った。
地主様からは何の言葉も返らない。
それが答えだと言うことだろうか。
もう口をきくのも嫌なくらいなのかもしれない。
『もぅ……も、しわけ』
申し訳ありませんと言いかけて、唇を噛んだ。
いっそう大きな嗚咽が漏れそうになったのを、飲み込むためだ。
お前みたいなのが泣くと腹が立つ。
一番最初にそう言って怒られたではないか。
これ以上の不興を買うと、どんな恐ろしい仕打ちが待っているのだろう。
それが怖いというよりも、地主様が私を見て不快だと思われるのは避けたかった。
そんな風に思われてしまうのは、もうこれ以上耐えられない。
見ないふりをしてきた事実を、はっきりと自覚してしまう。
その救いようのなさに、また泣けた。
瞳を閉じていても、冷たい視線に嬲られているのを感じる。
とてもじゃないが怖くて、目が開けられない。
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しばらくそうして耐えていると、目尻を触れられた。
思わず大きく体が跳ねる。
私は泣いているという証の雫。
ますますもって言い逃れ出来ない。
『泣くな』
命令をくだされたかのような重さが、耳に沈む。
従わなければと頷いたつもりだったが、そのまま首を引いたままで固まる。
『泣かないでくれ』
懇願の響き。
そろそろと瞳をあければ、飛び込んできたのは黒い仮面だった。
その獣の毛並みを象った、彫りの向こうにある眼差しとぶつかる。
しばし見つめ合う。
先に視線を外したのは、地主様の方だった。
瞬きで涙を払うと、眼差しで追いかける。
『地主様?』
『……。』
やはり返事はない。
では、地主様ではない?
何故かそう思った。
『シュディマライ・ヤ・エルマ?』
びくりと地主様の肩が揺れた。
『シュディマライ・ヤ・エルマ』
もう一度呼んだ。
今度は確信を込めて。
そうだ。
これは地主様であって、地主様では無い。
そんな気がした。
仮面に込められた何かに、地主様は突き動かされているのかもしれない。
『……真白き光』
そう呼ばれた。
胸のどこかが軽くなった気がした。
そうだ。やっぱりそうだ。
シュディマライ・ヤ・エルマだった。
彼は飢えた獣なのだった。
乙女がその傍らに在らなければ。
片方の手首が自由になっていた。
地主様の右手に頬を包むようにされる。
かと思えば指先が、唇をなぞる。
くすぐったくて、思わず自由になった手で止めようとした。
地主様の手に手を重ねる。
そうやって触れたけれども、押さえることは出来なかった。
『シュディマライ・ヤ・エルマ。私を……食べるの? 食べたら、飢えは収まるの?』
これはお祭りの続きだと思ったから、そう口にした。
食べるという表現が果たして相応しいのかどうかは、解らない。
『……言っている意味が解っているのか?』
地主様――シュディマライ・ヤ・エルマが唸るように言った。
仮面が近づく。
仮面の紐が落ちて、首元をくすぐる。
やはり、紐が緩んでも仮面は外れないらしい。
房飾りに手を伸ばす。
弄ぶように引くと、仮面がもっと近づいた。
肌をかすめるほどに。
房飾りを辿り仮面に手を伸ばすと、地主様の髪にたどり着く。
地主様の髪の毛は思った以上に柔らかだった。
艷やかに光を反射する、あのオークの実と同じ色から、もっと硬さを想像していたのに違っていた。
思わずもっと絡めようと、指先を伸ばしてしまう。
さ迷わせた指先を捕われた。
動きを止められたのだ。
引こうとしても遅かった。
またしても目を閉じてしまった。
だが、次の瞬間にはすぐさま見開く。
覚えのあるあたたかな弾力に、指先が包まれていた驚きから。
まずは人さし指の先を、次いでは中指の腹を伝い、薬指の根元から、手のひらへと温かさが移動していく。
手のひらに頬をすり寄せられるようにされてから、その中心に唇を押し当てられていた。
熱が手のひらから、体の奥深くまでにじんわりと伝わって行くのを感じる。
その熱をやり過ごせなくなって、それを伝えようとどうにか抗う。
親指で彼の唇を押しとどめたつもりだったが、ただその輪郭を確かめただけに過ぎなかった。
そっと這わせただけの指先にまた、唇が押し当てられる。
おとこのひとに、初めて触れたと思える瞬間だった。
『あ……っ、や』
もはや言葉に何てならない。
仮面がぐっと近づく。
だが獣を模した作りが、一定以上の距離を保たせる。
地主様にはこれ以上触れる事はない。
そっと仮面にも指先を這わせる。
伝わるのは乾いた木の感触のみ。
その時――初めて仮面が邪魔だと思った。
『気力も体力も根こそぎ使い果たしました』
幼いながらに使う色気とやらを表現せよ。
などという指令を自分に出してみたがため~。
れ、れおなる……。
次、パスするんで頼んだ。