60 暗闇の獣と生け贄の子供
始まりの大太鼓が鳴り響くと、それまでさざめいていた人々の話し声が止んだ。
森への感謝を捧げる、お祭りが始まる。
息を詰めてその瞬間を皆で迎える。
そんな気持ちが一つになって、広場は静寂に包まれながらも、熱気に満ちていた。
涼やかな風が吹き抜けて、その火照りをいくらか冷ましてくれる。
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やぐらの前に、村のみんなで輪を作って見守る。
半分は男の人たち。
太陽の昇る方角に集まって固まる。
地主様はその真ん中辺り、一歩だけ前に出て立っている。
そのまた半分は女の人たち。
太陽の沈む方角に集まっている。
私もその真ん中辺りに、地主様と同じように一歩だけ前に立っている。
広場を挟んで、地主様とは真向かう格好だ。
その男の人と女の人の間に挟まれているのは、子供たちだ。
子供たちも同じように、男の子と女の子に別れて固まっている。
影はほとんど足元に落ちている。
それは太陽が昇りきった事を意味する。
広場の中央に歩み出た村長さんが、大きく声を張り上げた。
『これより、大いなる森の定めに感謝を捧げるための祭りを始める!』
いつもの、ほんわかした雰囲気の村長さんではないみたいだった。
威厳に満ちて響いた宣誓の言葉も古語だ。
でも、言い終わってからにっこり子供たちに笑いかける頃には、いつもの村長さんに戻っていた。
子供たちがいっせいに、広場の真ん中を目指して駆け出す。
男の子も、女の子も。
すごく小さな子も、手を引かれながら。
子供たちは全員で二十名くらいだ。
その中に、先程の女の子の姿が見えないか探す。
だが見当たらなかった。
もしかしたら、恥ずかしがって木陰にいるのかもしれない。
あまり深く追及するのは止めにして、目の前の事に集中する。
「せぇの!」
一番年長と思われる男の子の掛け声を合図に、子供たちが歌いだす。
『森のおくの』
『そのまた奥の』
『奥深く』
『そこには森の』
『森の』
『神様と呼ばれる』
『気高い』
『獣がおりました』
古語のせいもあり、意味を理解できないまま歌っている子もいるのだろう。
幼さゆえの舌足らずも相まって、やや、調子が外れてしまう。
それでも幼い歌声はのびやかに響いてゆく。
素直な歌声は微笑ましい。
思わず涙ぐんでしまうほどの、清らさがある。
背後から微かに鼻をすする音が聞こえてくる。
そっと振り返ると、ミルアが堂々と涙を流していた。
彼女のこういう所は素直に見習いたいと思う。本人には告げないけど。
『その姿はまるで』
『まるで』
『疾風まとって動く暗闇』
『皆がそう呼ぶその頃は』
『獣はまだ獣でありました』
『その魂を鎮めるただ一人の娘と出会うまでは!』
『疾風まとう暗闇は獣でありました』
シ ュ デ ィ マ ラ イ ・ ヤ ・ エ ル マ !
最後に大人達も加わって全員で、森の主の名を呼ぶ。
さあ、地主様の出番だ。
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シ ュ デ ィ マ ラ イ ・ ヤ ・ エ ル マ !
その掛け声を合図に、子供たちの群れの中へと突き進んだ。
呼ばれた名前に相応しい動きを意識して。
「きゃああ」
「わるもの来たー!」
「こわいぃ!!」
歓声を上げながら、子供たちが散り散りに逃げて行く。
中には本気で泣き叫んでいる幼児もいた。
後々、心の傷にならなければ良いが。
そのような心配もちらと掠めたが、役目は役目だ。
ひとしきり、追い回すように子供たちの輪の中でマントを翻す。
逃げ惑う子供たちの中で、こちらを見据えて微動だにしない子供が居た。
カールだ。
双子たちの兄なだけあって、随分としっかりしている。
幼いながらも、カルヴィナを真摯に思いやっている男だ。
だから俺や村長のせがれには素っ気無い。
挑むような眼差しで、俺を睨みつけてくる。
例え強がりが含まれていようとも、やはりこの子供は勇ましい。
カールの前に歩み寄り、立つ。
『我は森に住まう獣。それを――疾風まとう暗闇などと呼ぶのはオマエか?』
「獣め! 真っ黒だから暗闇と呼ばれるんだ!」
古語の台詞はカールには難しい。
恐らく上手く理解できていなかっただろう。
それでも受け答えは、そうそう的外れでも無かった。
『それでは今日の生け贄はオマエにしてくれよう』
カールを抱き上げようと引き寄せる。
「放せ――!! おまえの好きになんか、させるもんか――!」
カールが足をバタつかせて暴れる。
それを抱き込み、抱え上げてしまうといくらか大人しくなった。
そのままマントの中に隠す。
闇に包みこんでしまうかのように。
女たちには背を向ける格好で三歩踏み出せば、カルヴィナの出番だ。
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『どうかお待ち下さい、森のあるじ様』
細いが良く通る声が、シュディマライ・ヤ・エルマを呼び止めた。
振り返る。
真剣な眼差しが縋っていた。
思わず、そらしてしまいそうになったが堪えた。
獣は自身の暗闇を恥じたのかもしれない。
娘の存在があまりにも眩く、光をまとって見えるから。
『我をそう呼ぶ、おまえは何者だ』
『ただの人の娘でございます』
『人の子が我に何の用だ』
『どうかお鎮まり下さいませ。子供はお返し下さい』
『ふん。ならばオマエが代わりに生け贄となれ』
そう告げてから、カールを下ろす。
迷わずカルヴィナに駆け寄り、抱きついたカールを側に控えていた女性が引き取った。
名残惜しそうに振り返るカールの手を引いて、輪の中に戻って行く。
それから、カルヴィナの手を取り進む。
村人が見守るように囲む輪の中を、ゆっくりと回りながら台詞を口にする。
なるべく、もったいぶってゆっくりと。
そこが大事だとカルヴィナが言っていた。
おそらく大魔女の教えがそうであったのだろう。
『あなた様は森のあるじ様でございます。子供らではなく、森の恵みがあなた様を満たしましょう』
巫女役の言葉が終わったのを見計らって、付き従っていた村娘が赤い実の付いた枝を差し出した。
カルヴィナが受け取ったそれは、俺へと手渡される。
そこで枝に付いた実を口に含む。
『このようなものでは我は満たされぬ』
『ではこれもどうぞ』
同じ要領で今度はクルミを渡される。同じく口にする。
『これくらいでは我は満たされぬ』
『ではこれもどうぞ』
それを繰り返す。
儀式に則ってパンのかけら、クリ、チーズ、酒を口にする。
それでも獣は満たされないと訴えを続ける。
娘はそれに根気良く付き合う。
ゆっくりと一周し終わる頃に花を渡される。
『我は満たされぬ』
『では仕方がありません。どうぞ私をお食べ下さい』
娘は儚げに微笑みながら、何でもない事のように言う。
獣は衝撃を覚えて歩みを止める。
信じられない思いで娘を見つめる。
『断る。そんな事をしたら我は永久に満たされぬ』
そう断言し、手にした花を娘の左耳へさしてやる。
それから跪き、娘を見上げる。
あらためて、眩しいものを見上げるような気持ちで。
そこで娘は獣を立ち上がるように促がす。
獣は立ち上がる。
それはもうただの四つ足では無くなった事を意味する。
それを見届けた娘は、誇らしげに告げるのだ。
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『あなた様はもうただの獣ではありませぬ』
獣は、その瞬間から真の森の神となった。
『お祭りです。』
何か物騒なサブ・タイトルになってますが。
儀式にのっとりまして、進行中。
地主は何気にノってますね。