58 巫女役の娘と疾風まとう獣
広場の一角に、席を用意してもらった。
心地良く風が吹き抜ける。
楽しげな笑い声と太鼓の音が交差する、にぎやかな空気に自然と浮き足立つ。
出番までもう少し。
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「ええと。お酒は……。」
言いよどむ。
「こうやって神様や巫女様に祝いの酒を振舞って、おいしく飲んでもらうのが縁起がいいとされているんだ」
「そう、なの?」
今までお祭りに参加した事が無かったから、知らなかった。
「そうそう。今年も無事に収穫を終えることが出来ました。これは感謝の気持ちです。どうぞお受け下さい」
少し向こうでは神様役の地主様も席を設けられ、皆に囲まれている。
着飾ったお祭り衣装の女の子たちが、順番に注いでいるのはこちらと同じものなのだろう。
そう納得してから、視線を戻すと人懐っこい笑みがあった。
杯を受け取りながら、彼の名前を思い出す。
確か名前はロゥド。
ジェス達と一緒にいた若者。
彼の陽気な人柄を表すような赤い髪に、真っ青な瞳の青年。
ろくに口も聞いたことの無い彼への認識はそこまでだ。
他にも三人の若者たち。
地主様ほど大きな背丈ではないが、こうやって四人もの男の人に四方を囲まれては、縮こまるしかなかった。
皆、私の手元を見守っている。
皆から労われている証の果実酒。
それなら、受けない訳にはいかないだろう。
そもそも、こんな席で断るという事が自分には許されるのだろうか?
答えは否、だ。
だったら飲み干すしか他に道は無い。
そろそろと口を付けた。
お酒の味は濃かった。
これは水で薄めるくらいで丁度良いのではなかろうか。
しつこい甘さが咽喉に絡みつく。
思わず咽る。
何故かそこで笑いの波が広がった。
「さあさあ。どんどん飲んでおくれ。祝いの酒だからな。巫女様にぴったりだ」
なおもと促がす口調から、とてもじゃないが残せる雰囲気ではないと思ったら、哀しくなった。
やぐらを作っていてくれた若者たちに囲まれ、その期待に満ちた眼差しに晒されて追いつめらる。
ほんの少しだ。
杯に一杯。
これくらい、受けるのが礼儀だろう。
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急に強風に煽られて、ベールが大きく後ろに攫われた。
髪飾りという重みで固定されていても、少しずれるほどだったから、とても強い風が吹いた。
何事だろうかと、吹き付けてくる風のほうへと視線を上げた。
視界が陰りを捉える。
陽射しが雲に遮られた時みたいに。
真っ黒い衣装に身を包んだ、仮面の姿をとらえる。
すっかり上がった太陽を、その背で封じ込めたかのようだ。
いつかも似たような事があった気がする。
「地主さま」
というよりも、風をまとい従えたかのような風格に、森の主さまの名前が相応しい気がした。
『シュディマライ・ヤ・エルマ』
皆、その異様なまでの威圧感に圧されている様だった。
存在自体もさながら、意思持って動く闇のよう。
私の知っている闇は夜のあの静かで、包み込むような闇だ。
それとはまた違う、静かな……。
夜の深い湖よりも深く、うかがい知れない存在のような気がした。
これに近い気配は森の彼こと、オークの巨樹しか思い当たらない。
(どうしよう。近寄り難い。こういうのを何というのだったかしら?)
――神々しい。
そう思い当たったら、寒気がした。
彼自体が風の影響を受けていないのは何事か。
地主様のまとうマントはそよともしていない。
ただ、彼が歩みを進めるたびに私のベールが風にさらわれる。
確かに今、地主様は疾風まとう暗闇と表現するに相応しい。
気圧される。
その圧倒的な存在感に、ただ、ただ、目が離せない。
彼がこちらに近付いてくると、周りを囲んでいた若者たちが一人、また一人と横に身をずらした。
私だって出来るのなら、そうしたい。
だが、無理だ。
大人しく椅子に腰掛けて様子を窺う。
両手に持った杯の中身がさざなみ立つ。
やがて彼は歩みを止めた。
優雅に。
それすらも森の獣が、駆け抜ける足を止めた時みたいに。
すいとしなやかな動きで、手を差し伸べられた。
思わず身を竦めた。
それに躊躇ったかのように、彼の手が止まる。
彼の手のひらは、私の頬を掠めるようになぞった。
その流れのまま、さも当たり前のように私から杯を取り上げた。
驚いて目を瞠るよりも早く、地主様は杯に口を付けていた。
仮面が少し邪魔なのだろう。
杯に口を付けてから、しばらく傾ける事もなく、逡巡されたように見えた。
やがてゆっくりと杯を傾け、飲み干される液体が咽喉を滑り落ちてゆく様を見守る。
それは――。
オオカミが、水飲み場にうやうやしく口付けた様子に似ていた。
『カルヴィナ。酒は禁止だと言っただろう?』
怒られた。
「この娘の体は酒を受け付けない。過ぎれば意識を失うほどにな。そうなったらおまえ達、巫女役の不在で祭りに穴を空ける気か? もっとも」
地主様が彼らに一歩踏み込む。
そうして見渡すようにしながら付け足した。
「森の神がそれを許しはしないだろうが」
自然と人の輪が遠ざかった。ほんの一歩分。それにも満たないほど。
そこに安堵を覚える。
大きな闇色の背を見つめながら、肩の力が抜ける自分がいた。
若者たちは顔を見合わせると、散り散りに去って行った。
その背を見送ってから、地主様は振り返る。
そしてため息をついてから、厳かに繰り返した。
『カルヴィナ。酒は禁止だ』
『勧められてもですか?』
『なおの事、駄目だ。特にあいつらのような男共からは』
『……。』
何となく悔しくて、素直に頷く事ができなかった。
『おまえは酒が飲みたいのか?』
『受けるのが礼儀だと思っています』
『無理に受ける必要は無い。わかったな?』
せっかくお祭りに参加させてもらっているのに。
少しでも何でも皆の期待に応えたいだけなのに。
地主様は横暴だ!
そんな風に思ったら悔しくて、気が付いたら反抗していた。
『イヤ』
『何?』
『じ、地主様の言う事なんか、ききません』
『そうか。なら、俺の前でなら酒を飲んでもいいぞ』
『……。』
あっさりと地主様はそう答えながら、私に杯を戻した。
ほんの少しだけお酒が残っている。
強がってみたものの、杯を受け取った時に震えてしまった。
お酒を飲むと少し眠くなる。
地主様の前で、私は何度か眠りについた事がある。
それなのに。
それは何だか、とてつもなく怖い気がした。
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『男の前で酒に飲まれると、どれほど意に沿わない事になるか。何となくだが予想は付くな?』
黙り込み、杯を見詰める。
そんな私と目線を合わせると、地主様は諭すように言った。
何となくは解るけれど、はっきりとは解らない。
『は、い。でも、地主様の前ならいいのですね?』
仮面越しだが、地主様が目を瞠ったのがわかる。
覗き込むようにして、答えを待つ。
正直、自分で言っておいて何を言っているのか、よく解らなくなった。
『カルヴィナ。頼むからそう煽ってくれるな。俺とて……保障はできない』
『保障?』
何の事かと彼を見やると、地主様の手の甲が頬を撫でた。
そのまま、ぺちぺちと軽く叩かれる。
『余計な事を言った。忘れてくれ』
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彼の吐息が触れるほど近くで呟かれる。
そこでやっと、昨晩の出来事をありありと思い出した。
我ながらどうかしている。
一気に頬が熱くなった。
『もうじき出番だな。それまでにもう一度、打ち合わせておこう』
気を取り直したように、地主様が仰った。
いつも通りにされる地主様が、何だか恨めしい。
(地主様は、慣れておられるのだ、きっと。色々と……。)
だから。
私だけが意識したりしたら、馬鹿みたいだ。
そう思ったら、あいまいに頷くのが精一杯だった。
『さあ! お祭りだよ。』
何だこの、甘酸っぱさは……!
こっぱずかしいなと思いつつ、UPしました。
題名を巫女役の魔女~とせず、娘にしました。
ただの一人の女の子だなぁ、今日の魔女っこ。
そう思ったので。