53 祭り当日の魔女の娘と地主
少し、体が重く感じるのは寝不足のせいだと思う。
それ以外に原因なんて思いつかない。
……眠れないからと、無理やり呷った果実酒くらいしか。
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村長さんの家の一室を、控え室にするようにと言われてあった。
約束通りに朝早く、ミルアが迎えに来てくれた。
地主様も一緒に付いて来た。
何ともいえない重苦しい雰囲気を引き摺ったまま、サワヤカな朝の陽射しを浴びながら、移動した。
地主様は客間へと案内され、私は別部屋へと案内される。
二人きりになると、ミルアが恐るおそる尋ねてきた。
「ど、どうかしたの昨夜?」
どうもこうも。
そう思い当たったら、また無性に怒りがこみ上げてきた。
「どうもしないわ」
ミルアは期待一杯の瞳を潤ませながら、流し目を寄こす。
とてもじゃないが信じられないと、その目は言っていた。
我ながらそう思う。
鏡の中の自分の姿を見れば、嫌でもそう思う。
目蓋がはれぼったくむくんでいる。
最低。
泣いたのが一目で丸解りだ。
それだけではない。
唇までもが異常に赤く、腫れていた。
何て事か、と思う。
「嘘よ」
「そうね。嘘だわ」
「えっ!? 何、教えてよ。地主様と何があったの」
「教えられないわ」
わざとらしく顎をそびやかして、そっぽを向いてみた。
そう。
私は今、とてもとても機嫌が悪い。
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流石の地主様も湖底に引きずり込まれれば、危ういに決まっている。
気を失ったずぶ濡れの地主様を抱きかかえて、一角の君を責めた。
『そんなに怒らなくても良いではないか』
と、何やらもごもごと言い募る一角の君は、慌てたように角を一振りした。
その途端、暖かな風が吹き、包まれたように感じた。
『その者もじきに目を覚ます。服も髪も乾かしてやった』
だから何だというのだろう?
どうあっても詫びようとしない一角の君を睨み、未だ目を覚まさない地主様を庇うように抱えていた。
『だから、なんだと言うのです?』
『うぬ……。そう、へそを曲げてくれるな』
『貴方様の方が格上でいらっしゃいます。ですから、私の機嫌を窺う必要などございませんでしょう?』
常々、上から目線である彼にありのままを告げる。
一角の君は立ち去る事も無く、ただ、その場で足踏みを繰り返していた。
『そのような事を言わないでおくれ』
『もう知りません。今後一切、貴方様とはお付き合い致しません』
そして私との、不毛なやり取りを繰り返した。
だから、さっさと立ち去ってくれれば良かったのに!
『そのような事を言わないでおくれ。そなたには、我が花嫁になってもらおうと思っているのだから』
『お断りします。もう二度と会いません。絶交です』
そんなやり取りに疲れた頃に、一角の君が角を振り上げて、後ろ足だけで立ち上がった。
『ところで。その寝たふりをしている地主とやら。いい加減にせぬか!』
一瞬、何の事か判断付かなかった。
寝たふりをしていた?
いつから?
かっと頬と頭に血が上った。
思わず、強く抱え込んでいた地主様の頭を、勢い良く振り落としていた。
地主様はゆっくりと、身を起こした。
その様子を見て安心したのと同時に、気がつけば拳を振り上げていた。
もう、知りません!
ぽかぽかと地主さまをぶってしまった。
それくらいではびくともしない地主様が恨めしかった。
結局それごと広い胸に受け止められてしまった。
なお悔しいったらない。
わたしばかりを責めて。
初めての――。
おまえが悪いと地主様は、そう言って私を責めた。
そう責めながら口付けてきた。
身動きできないように押さえつけて、吐息ごと私の自由を奪った。
奪われたのは身の自由だけではない気がしたが、他に何なのかは解らなかった。
だからと言って、一角の君に感謝する事など出来なかった。
訳がわからなくなって、悔しくて泣けた。
「すまなかった、カルヴィナ」
申しわけ無さそうに呟かれた言葉に、大きく頭を振り続けた。
私が泣くくらいで困るのならば、おおいに困らせてやれと思ったくらいだ。
のろのろと立ち上がろうとした時に、手を伸ばされた。
どういう訳かひどく驚いてしまった私は、その手を叩きつけてしまった。
『嫌っ!』
思い切り拒絶の声を上げて、身を引いた。
その拍子に後ろによろめいたが、構うものかと思った。
むしろ、今後一切構わないで欲しいとも思った。
いつの間にか後ろに回りこんでいた、一角の君に身体を支えられた。
『我につかまれ。森の娘』
『……ぃ』
嫌という言葉は飲み込んだ。
素直に従う。
その白い首筋に腕を回して縋りつく。
地主様に背を向けて。
自分の足で魔女の家に戻るには、それしか方法が無かったからだ。
そうしなければ地主様にまた、抱え上げられてしまうに違いなかったから。
『我の背に跨っても良いのだぞ?』
どこか安堵を含ませた物言いで、一角の君はそう勧めてくれたが、首を横に振った。
振り続けた。
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それから無言で戻った。
一角の君の蹄の音だけが、闇の中に響いていた。
せっかく蓄えた森の力も、楽しい気分も台無しにされてしまった気がした。
地主様に対して失礼だと思ったが、苛立ちは収まらなかった。
『ありがとうございます。----さま』
一角の君の耳元にお礼を囁いてから、別れた。
わざとらしく真名も呼んでしまった。
気高い一角の君は、真名を呼ばれることを良しとしない。
縛られるからだ。
その名を口にする者の意思に、場合によっては良いようにされてしまう事もあるのだ。
私自身それは何と傲慢な行いかと、普段は諌めていた行動だった。
だが、その時は違った。
とても凶暴な想いに駆られていた。
そうして主導権を主張してやらねば、好き勝手されると思ったのだ。
今まで大人しくしていたから、付け上がらせたのだ、きっと。
そのように導き出された答えに、自分自身が一番驚いていた。
おろおろする一角の君と地主様に、何だか余計に腹が立って仕方が無かった。
いつも、大いに威張っているのに、おかしい。
私の顔色を窺うなんて、本当におかしい。
そればかりに気を取られてしまう私が、一番おかしい。
二人に背を向けて、さっさと部屋に篭った。
速やかに部屋の鍵を閉めて横になってはみたものの、興奮していて寝付ける自信など無かった。
明日は大事なお勤めもある事だし、ここはもう無理やりにでも眠ってしまおうと考えて、果実酒に手を伸ばしたのだ。
地主様には禁じられていたが、構うもんか。
寝しなになってようやく、この訳のわからない気持ちに説明がつき始めていた。
何となく、裏切られた気分。
地主様は、「私に、こんな事を絶対にしない。」そう、固く信じていたのだ。
信じる。
信頼するというよりも、疑いもしないでいたというのが正しいのかもしれない。
だって、そうでしょう?
私のような者が側に居るだけで、勘違いされて迷惑だと仰っていたではないか。
きっぱりと、誰がなびくかとお怒りだった。
私のどこが気に入らないかを、スレン様に力強く説いておられた。
この耳でしかと聞いたから、間違いない。
地主様は先々、お嫁さまをお迎えになられるだろうに。
その時までに、私の借金が無くなっているとは到底思えない。
と、言う事は、だ。
私は変わらず、地主様にお仕えしなければならないという事だ。
そうなるのならば。
それは、とても気持ちの悪い事だと思った。
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怖かった。
地主様が。
地主様が、死んでしまわれたかと思った。
心配した。
それから、腹が立った。
寝たふりをしていたと知ったから。
それから。
それから。
後から後から一気に、湧き上がって来る感情に押されるように、涙が零れた。
泣きながら目覚めて、鎮まらない怒りの正体に、また泣けてくる。
それでも必死にこらえて、ここまで来たのだ。
今日はお祭りで、私は巫女の役なのだから、頭を切り替えなければならない。
そう言い聞かせながら。
「エイメ。あのさ、とにかく、その。着替えようか?」
ミルアが気を使いながら、慎重に私の髪に触れた。
『魔女っこ 混乱。』
こんなに怒った事ないので、魔女っこ消耗しています。
妙に興奮したまま、お祭り当日~。
大丈夫でしょうか。